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◻︎絶望感からの邦夫との出会い
次の日。私は仕事を無断欠勤した。
そんなつもりはなかったんだけど、欠勤すると連絡しなければいけないということが、頭から欠落していた。
昨日のことを思い出せない。
どういうことなんだろ?
あの人に何を言われたんだっけ?
そのまま、4日休んだ。
4日も過ぎていたという実感もなくて、ずっと泣いていたのか寝ていたのか、考えていたのか何も考えていなかったのか…
わからなかった。
4日続けての欠勤で、それが退職勧告の理由になった。
2日めには電話でなんとか欠勤すると告げたはずだけど、どうやらそれは会社側には伝わっていなかったようだ。
それでもよかった。
もう仕事に行けるような状態ではなかったから。
「これ、届いてるけど?本当に辞めるの?」
お母さんが会社から届いた退職届けの書類を持ってきた。
「うん…もう無理…」
あの日から私の様子がおかしいことは、両親も気づいていた。
理由を聞かれた時
「好きだった人が結婚してた人で、もうダメだから…」
そんな中途半端な言い訳で納得してくれた。
お金の使い込みの疑いをかけられたとか、若社長に騙されていたとか、そんなことは話せなかった。
運良く(?)、会社からも使い込みについての話は何も言われなかったから、その誤解は解けたのかもしれない。
それか、若社長の失態をお父さんの社長が隠したのだろう。
「もう、いいから…」
それだけ言うのがやっとで、あとは1人になりたくて引きこもってしまった。
ご飯も食べられなくなって、眠れなくなって。
カーテンを閉め切った部屋では朝も夜もわからなくて。
ずーっと深い闇にいるような気がしていた。
そんな日がどれくらい続いてのだろう?
季節は一つ進んでいたように思う。
ある日、部屋のドアが強引に開けられ、そこに両親が立っていた。
「そろそろ、外に出ないか?ずっとこのままでいるつもりなのか?」
お父さんが、このうえなく優しい声で言った。
「どれほどツライ恋をしたのかわからないけど。女ってね、誰かに愛されて新しい恋を知ると昔の恋なんて忘れるものよ」
お母さんも優しかった。
怒られると思っていたのに、2人ともとても優しかった。
いつまでもこのままではいけないと、頭のどこかではわかっていたけど、外へ出るきっかけがなかった。
「うん、もう大丈夫、だから…」
泣くのも後悔するのも、そして恨みがましく思うのも疲れた。
あんな男のために、私の大事な時間を無駄にしてしまったことが情けなく思えた。
それからすぐ、近所のスーパーでアルバイトを始めた。
体を動かす仕事だったから最初はヘトヘトに疲れたけど、疲れてお腹がすけばよく食べてよく眠れた。
1ヶ月もしないうちに、笑えるようになった。
ある日。
「ねぇ、洋子、この人、どう思う?」
お母さんが、写真を持ってきた。
お見合い写真だ。
「え?どうって…」
「会ってみない?」
「そんな、まだ結婚とか考えられないし」
「いいわよ、結婚なんてしなくても。でもね、新しい出会いがあってもいいかなと思ってね」
「出会いか…」
「実はね、この人、お母さんが昔お世話になった人の息子さんなの。次男なんだけどね、奥手すぎて彼女ができたことないんだって」
「いくつ?この人」
「洋子より、3才上、もうすぐ24才」
「ふーん…」
写真で見た感じ、優しそうな人で特に問題はなさそうだった。
「どうせなら、身元のしっかりした女性がいいからと声をかけられたのよ。向こうもね、まだ結婚は早いけど、女友達くらいはいないと、ってことみたいね」
女友達を作るのに、お見合い写真を用意するってどうなんだろ?とか思ったけど。
「たしかに身元がキチンとした人、というのは大事かもね…」
不倫とか、よくないよね?と思う。
「いいよ、私、友達になっても」
ほんの軽い気持ちだった。
なのに、あっという間に結婚してしまった。
そして、一年もたたないうちに、侑斗が生まれた。
付き合い始めてからも、結婚してからも、侑斗が生まれてからも、旦那は優しかった。
裏表がなくて、真っ直ぐ私を見てくれて、これが女としての幸せなんだと感じていた。
結婚した時に仕事は辞めて、専業主婦になった。
侑斗の成長も楽しみで、旦那と3人で穏やかに暮らす毎日だった。
専業主婦だったから、家事はほとんど私がやっていた、あの時までは。
頭が痛い、ぼんやりする、なにか体調がおかしい…でもそれは、育児疲れだと思っていた。
吐き気もして、頭痛がひどくて、座り込んだ。
「ママ!?ママ!?ママ!?」
旦那が私を呼ぶ声が遠くに聞こえる。
だから、私はあなたのママじゃないって言いたいのに声が出なかった。
暗くなっていく視界の中で、侑斗にオヤツを作らなくちゃ…そんなことを考えていた。
ものすごく眠い、目が開けられない。
体が動かない、なんとなく声は聞こえる、誰の声?
「ママ!ママ!」
「ママ!ママ!、起きた?ねぇ、ママ!」
旦那の声と、侑斗の声だった。
朝だよね?起きなくちゃ、朝ごはんのしたくもしないといけないし…。
テープで貼られでもしたかのように重いまぶたをやっとの思いで開ける。
「?!」
すごく近くに2人の顔があって、びっくりした。
でも声が出ない。
「よかった!気がついたんだね、今、先生を呼んだからね」
「ママ!マーマ!!」
目玉だけが動かせる、そんな感じ。
あれ?私、どうしたの?
「松村さーん、聞こえますか?わかりますか?わかったらゆっくりでいいので、右手を握り返してみてくださいね」
白衣をまとって、黒縁の眼鏡をかけた先生が私の顔を覗き込みながら問いかける。
右手?
こっち?
あれ?うまくできない…
「あ、大丈夫ですよ、ちゃんと動きました。まだ力は弱いですが、意識はハッキリしてます」
「よかった…侑斗、ママはもう大丈夫だぞ、よかったな」
後日、私は自分の病気について説明を受けた。
脳腫瘍。
幸いにも処置が早く、後遺症も残らないようでほっとした。
「でも、まだまだ無理はさせないように。それから、定期的に検査を受けるようにしてください。再発を見逃さないように」
「はい!わかりました、僕が洋子を守ります」
ベッドに横たわる私の横で、旦那が妙に気合いを入れている。
困ったことになったな、めんどくさそうだな、それがその時の私の気持ちだった。
それから、旦那は退院するまで毎日、仕事の都合がつく限り侑斗を連れて病院に来てくれた。
退院してからも、私がちゃんと静養できるようにすべての家事をやってくれるようになった。
「もともと、家事全般、嫌いではないから任せて!」
そういう旦那に、あれもこれもやってもらっているうちに、今みたいになった。
私の下着まで用意してくれるようになったのは…そうだ!私の病気が発端だ。
退院して最初のうちは、仕方なくやってもらっていた家事も、テキパキとこなす旦那がやった方が早くなった。
朝ごはん、掃除、洗濯、買い物から晩ご飯。
体調が戻ってくると、私は私の時間を持て余すようになる。
さらに侑斗が幼稚園に行くようになると、暇な時間ができてしまう。
「ねぇ、相談があるんだけど…」
「なぁに?」
旦那は、私に答える時に小さな子供を相手にするような話し方をする。
その旦那の話し方で、私はまるで小さな子どもに戻ってしまった気分になって、すごく居心地が悪い。
そんなこと言えないけれど。
「侑斗も幼稚園に行くようになって時間ができたから、アルバイトを始めようかと思うんだけど」
「え?働くの?どこで?」
「これから探すけど、前に働いていたスーパーでまた募集してたようだから、そこに行ってみようかな?と思ってる」
んー、と腕組みしながら何やら考えている。
「ママが働くのは心配だけど、ずっと家にいるのもストレスが溜まるよね?」
「うん、家事全般やってもらって暇っていうのも申し訳ないけど…」
「わかった、絶対無理しないって約束してくれるかな?」
「うん!約束する」
「ママの体のことはママ本人が一番わかると思うから、何か少しでもおかしなことがあったら、我慢しないこと、わかった?」
「はい、わかりました」
「よろしい。じゃ、短い時間のアルバイトから始めてみたら?」
許可は降りた。
でも、なんとなくスッキリしない感情がある。
「わかった、短時間から始めてみる。それから、家事もできるだけやるね」
「家事は僕の手が届かないとこだけでいいよ」
「あ、そう…」
やっぱり私はこの人人の子どもになってしまったような錯覚に陥る。
制御されてるというか、監視されてるというか…
もちろん、決してそんなことはないのだけれど。
こんな話を幼稚園のママ友に話したら
「洋子さん!何、贅沢なこと言ってるの?そんな優しい旦那さん、他には絶対いないからね、感謝はしても嫌がっちゃダメだよー」
「そうだよ、家事も育児も全部押し付けられてさ。なのに晩ご飯の味噌汁がしょっぱいとか文句しか言わない旦那より、ずっといいよ、うらやましいよ」
そうか。
やっぱり私は幸せなんだな。
そう思って…ううん、思いこもうとしてきた、何年もずっと。