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もう帰って、とできる限りの攻撃的な声で言おうとしたときだった。
耳慣れない電子音が玄関に反響した。
郁が慌てた様子で、今度は右のポケットを探る。――ご丁寧に、ジップロックに入ったスマートフォンを取り出す。
ファスナーを開いて、楽しげに耳に当てる。
「――はい。――うん。うん。……あはは、マジで? まぁいいよ。……今は、えーっと、宮の塚駅の近く。ん? 野暮用」
何が野暮用だ、人の生活に土足で踏み込んでおいて。
怒鳴りつけたくなるが、「他人の電話中は静かにする」という礼儀が体に染み着いていて、通話が終わるのをじっと待ってしまう。
「じゃ、駅で待ってるわ。うん、頼むね。――はいはい、りょーかーい。じゃね」
楽しそうに話すその横顔は、もはや真の片鱗すらなかった。
若くて、軽薄で、目の前の享楽に飛びつきそうなイマドキの男の子にしか見えない。――雪緒の一番嫌いなタイプ。
嫌悪を滲ませて郁を睨んでいたが、それに目もくれずに郁は立ち上がった。
「ごめん、話、また今度。部屋番号わかったし、直接来る」
「……ちょっと! 来なくていいから!」
「お茶、ごちそーさま。美味しかった」
雪緒が呆然としている間に、郁は出て行った。
後には、畳んで湿ったバスタオルと雑に丸められたフェイスタオル、空の紙コップ、負のオーラを放つ指輪ケースが残された。
嵐みたいだった。
かき乱すだけかき乱して、さっさと立ち去った。
ぺたりと床に座り、指輪ケースを見下ろす。
火の点かないままの爆弾。
ジップロックごと、鷲掴みにする。
振りかぶって、玄関ドアを見据える。
力一杯投げつけたらすっきりするだろうか。真への未練も、粉々に吹っ飛ぶだろうか。金属のドアにぶつかって、さぞかしいい音がするんじゃないだろうか。
そう考えて、ゆっくり腕を下ろす。
投げつけたあとに襲うであろう、虚しさに耐えられそうにない。投げつけるのも自分なら、床に転がったケースを拾うのも自分だ。
ここにまだ郁がいれば。
怒鳴りつけて、投げつけて、勢いのままに怒って燃え尽きられたかもしれない。
完全に、不完全燃焼だ。
雪緒は自分の膝に手を当てて、ふらりと立ち上がった。
握った指輪ケースを見下ろす。
ゴミ箱に放り込むこともできないこれを、どうしたら……。
しばらく立ち尽くして――悩むのが面倒になり、玄関に備え付けのシューズクローゼットに入れ、封印するように扉をぴたりと閉めた。