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「こちらの席でお願いします。飲み物はセルフサービスとなっていますので、お好きな物をご自由にどうぞ。あぁ、おかわりも可能ですよ」
そう言って、店員の一人に扮しているリュカは早々にキッチンの方へ戻って行った。あまり長居をしては、メンシスとララに何を思われるかと心配しての行動だ。彼にもララが見えているので、彼女に下手な事をされてはうっかり反応してしまうかもしれない。そうなるとメンシスやロロから後でお叱りを受ける事になるので、遠くから見守るのがお互いのためにも一番良いだろうとの判断でもある。
二人は昨日と同じ席に並んで座った。朝食として頼めるメニューの書かれた紙をカーネの前に置き、「軽い物にしておきますか?」とメンシスに訊かれたカーネは、「そうですね、そうしておきます」と返した。彼の本心としては食の細いカーネにしっかり食べて欲しいのだが、無理はさせたくないという気持ちが今は勝っている。
注文を終え、早々に運ばれて来た料理を共にゆっくり食べつつ、仕事の件をメンシスが話し始めた。ローストビーフのサンドイッチをもぐもぐと頬張りながらカーネは彼の言葉に耳を傾ける。同行していたララは華麗にカーネの膝の上を陣取り、早速うたた寝モードに移行している。
「シェアハウスには四部屋あります。現在それらは全て満室ですが、皆さんお仕事の都合で帰宅はあまり出来なかったり、普段は寮生活で、息抜きの為だけに部屋を借りている様な人達ばかりなのでそれ程仕事量は多くはないかと思いますよ」
「じゃあ、ゆっくり仕事のペースを覚えていけそうですね」
仕事の経験は初めてなので、カーネはそっと安堵の息をついた。全て我流ではあるものの、幸か不幸か普段から家事はやり慣れてはいるし、雇い主も優しそうな人だから何とか馴染めそうだ。
「食後にはもう合流は可能ですか?その他の詳しい話は、現地でしようかと思うんですが、どうでしょう?」
「そうですね。これといって荷物を鞄から出したりもしていませんし、宿泊料金の支払いさえ終わればいつでも合流可能です」と、カーネは部屋の状況を思い起こしながら彼に伝えた。
「わかりました。では、後程出入り口の辺りで待ち合わせしましょうか。勤め先となるシェアハウスは此処からそう遠くはないので徒歩で向かおうかと思うんですが、そちらは大丈夫ですか?」
「はい。問題ありません」
そう答えはしたが、この体は体力があまり無い事をふと思い出し、少しだけ不安になる。一昨日も昨日も、ほぼもう森だろと言いたくなる様な林の中を、街に向かって黙々と歩いていた時も休み休み進んで行った事を考えると、正確にはどのくらいの距離なのかがちょっと気になった。
「……えっと、すみません。どのくらい歩く感じになりますか?」
「そうですねぇ、十五分程度かと思いますよ」
その言葉を聞き、カーネがほっと胸を撫で下ろした。街の中は初代聖女・カルムのおかげで何処も整備された道ばかりである。なので歩きやすいし、体力が無くても、そのくらいならば休憩を取らずに目的地まで歩けそうだ。
「もし歩くのが厳しいなら僕が背負いますよ。お姫様抱っこでも良いですけど」
心配そうに顔を覗き込まれ、不意に、長い前髪の隙間から覗く彼の碧眼と目が合った。宝石の様に綺麗な瞳に一瞬目を奪われたが、カーネは慌てて視線を逸らし、頬を染めながら「——大丈夫です!」と言って彼の提案を跳ね返す。お互いに年頃なのに子供みたいに背負ってもらうとか。一応は貴族令嬢であるカーネにとってはあり得無い事なので、お言葉に甘えるという選択肢は存在しない。
『あらン。魅力的な提案なの二、勿体無いワァ』
片方だけ薄目を開けながらララが言う。カーネには、ララの発言がこの状況を面白がっている様にしか聞こえず、悪い冗談はやめてと思いながら渋い表情をちょっとだけララに向けたのだった。
朝食を終え、宿泊費用の支払いを済ませたカーネが出入り口付近にあるベンチに座っていたメンシスに、「——お待たせ致しました」と声を掛けながら駆け寄る。すると彼は、「もう、出発しても大丈夫ですか?」と問い掛けながら、カーネの持っていた旅行鞄を代わりに持ってくれた。
「あ、えっと、自分で持てますよ」
「僕の方が力がありますから。それにこのくらいは当然です。女性に大きな荷物を持たせたままというのは外聞も悪いですしね」
(あ、そっか。そういう周囲からの視線もあるものなのか……)
今はララが居るにしても、単身での外出は今回が初であるカーネには『今の状況が周囲からはどう見られるのか』という事を気にする感覚すらなく、持たせるなんて申し訳ないという気持ちだけが先立ってしまった。だがこれからはそれではいけないと考え直し、此処は素直に甘えるのだと決意した。
「……じゃあ、お願いします」と言ってカーネが軽く会釈をする。
「良いんですよ。僕は甘えてもらうのが大好きなので、もっと頼って下さい」
素敵な笑顔を向けられ、カーネが反応に困った。
「僕に甘えるのも、『これも仕事だ』と思ってくれると嬉しいです」
目元が見えずともわかる程に懐っこそうな顔を向けられ、つい「——あ、はい」と答えてしまう。するとメンシスは言質を取ったと言わんばかりの恍惚とした笑みを一瞬だけ浮かべ、「じゃあ行きましょうか」とカーネに声を掛ける。その様子を間近で観察していたララはカーネの頭の上を陣取っており、今にも鼻歌でも歌い出しそうな顔をしている。そんなララを見てメンシスはそっと笑みを浮かべているが、カーネの視界には入っていなかった。
——二人が並び歩き、宿屋を後にする姿を店員に扮したメンシスの部下達が少し離れた位置から温かい目で見守っている。その中には少し涙ぐんでいる者も。一団の最奥にはララの双子の兄である黒猫のロロも混じっており、受付カウンターの上でゆるゆると尻尾を振りつつ嬉しそうに口元を緩ませた。
『トト様、本当に幸せそうダネェ』
「あぁ、そうだな」
「そうですね……。長い長い時を、共に待った甲斐があったというものです」
ロロの言葉に、テオとリュカも同意する。
メンシスは、初代の聖女であった“カルム”の生まれ変わりである“カーネ”にずっと恋焦がれていた。
冷遇の結果、生まれて早々に放置されそうになったカーネに乳母となる者を密かに派遣したり、屋敷に仕える侍女達の中に間者を忍ばせたりし、七歳の頃から逢えないままでいた間も影ながら支えてはいたが、シリウス家の目があって常に最低限の支援しか出来ずにいた事をメンシスは常々悔やんでいた。今世では再会出来た事が嬉し過ぎて周囲が見えず、嫉妬したティアンが暴走してカーネの顔に火傷を負わせた原因の根底は自分にあると考え、己を責めてもいた。
目論見よりも随分と時間が掛かったが、“ティアン”から体を取り戻した今、“カーネ”はやっと本来あるべき姿となった。初代聖女・カルムを殺して肌を剥いだり、その身を食らった『五人の罪人』達の生まれ変わりも全てこの世から消えたし、後はもう過去世で聖女の血を飲んだ神官達の生まれ変わり共を始末するだけだと思いながらロロが口元に弧を描く。
『…… こっちは任せてねぇ。トト様、ララ』
幸せそうなメンシスとララに背を向け、ロロがカウンターから飛び降りると、その姿がふっと消えていった。『ボクは兄であり、長子になるはずだった』という事実からくる責任感のせいで人一倍罪人達への恨みも深いロロは、自分があの輪に混じるのはまだ早い——と、常々思っている。綺麗な青い瞳を怨みつらみで染めながら、ロロは残りの“スティグマ持ち”の者達の元へ足を向けた。