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俺はアスタ・ロッドリッジ、30なりたての独身。かつて依頼のままに暗殺をこなしてきた殺し屋だった。
影に生き影に死ぬ。それが俺のモットーだ。到底、お日様の元に姿を晒すのとは無縁な人生だ。
しかし今は足を洗い、日の元に姿を晒して生きている。最初は何かが俺の中で吹っ切れた。そして俺ならできる、と適当に考えていた。だが、今の俺の脳内は影に包まれて、少し後悔していた。
(ああクソ。今の女の子って、何が好きなんだよ!)
俺は引き取った義娘に悩み、頭を抱えていた。
ことの発端は一週間前。俺はとある依頼で裏研究所に乗り込んだ。白衣を纏い怪しいバイザーを付けた研究員達が働いていたのを、今でも思い出す。
酷い話、そこでは人間、それもまだ若い子供を使った人体実験が行われていた。
あの時ばかりは、人間の方が映画の化け物や悪魔より怖いと思い知った。
ともかくその日は関係者を一人残らず掻き斬り、第二の依頼だった子供達の救出を行なっていた。そしてここで、あいつと出会った。
「……ぱぱ」
そう呼ばれた気がして振り返る。すると、子供達の中に一人だけ俺に抱きつく子がいた。
さっき言ったが、俺は生まれて30年、子供どころか妻もいないただのオッサンだ。しかも彼女は13歳くらいか、少し大人びている。
髪は粉雪のように柔らかくボサボサで、服装も無機質に白かった。それに対して目は珊瑚色で桃色がかっている。だが、その目には光がなく、虚だった。
「悪いが嬢ちゃん、俺はパパじゃない。さあ、こっちに――」
「ぱぱ」
まるでパパと喋る人形のように、彼女は俺から離れなかった。
これが標的なら引き剥がして斬ったが、相手は実験体の不遇な少女。俺は不思議と、彼女に特別な縁を感じた。
そして俺は彼女のために殺し屋から足を洗い、同時に彼女の保護者になった。
しかし独り立ちして以来男一匹で生きてきた俺にとって、女子の世界は異次元そのものだった。
俺達はデートのようにフランスの街を歩いていた。
「ニーナ、せっかくの外出なんだろ? 行きたい所とかあったら言いな」
「うん、アスタ」
調子が狂う。さっきからこの調子で勧めてはみるものの、一言返事を返すだけでそこで話が終わる。
因みに、彼女には名前がなかった。強いて言えば「27号」という名前があるらしいが、きっと施設時代の被験体番号だろう。だから、分かり易くニーナという名前を与えた。
「ニーナ、お前はその、ファッションとかには興味ないのか?」
「わからない。私は、私がわからない」
まあ無理もない。あの施設でどんな実験、どんな扱いをされてきたかは考えられないし、考えたくもない。だが一つ言えることは、彼女は生まれてこの方“人なみ”に与えられてこなかった。
これまで命を奪ってきた罪をコイツで滅ぼそうというつもりじゃあない。だが、彼女が俺をパパと言って付いてきてくれた以上、親の代わりとして与えられなかったものを与えてやる。それが俺の使命。そう思っている。
「まあいいか。わからないなら人に聞けばいい。ブティックにでも行こうか」
ひとまず、彼女の白ずくめな服装をどうにかしたかった俺は、彼女を連れてブティックに入った。
入口のベルが鳴り、店員の声が響く。だが言い切る前に、言葉が詰まったように黙り込む。そして、客の視線が集中する。
「アスタ、どうしたの?」
「……気にすんな。まあ遠慮せず気に入った服入れてけ」
言いながら、俺は籠を取る。
それにしても、虚でボサボサ髪の少女と冷たい顔の男の二人組は異様なのか、空気がピリピリしている。
だが彼女は俺の言った通り遠慮なく気に入った服を籠に入れた。というか、目に映るもの全てをぶち込んでいる気がするが、気のせいか?
しかしその最中、ピタリと動きが止まった。
「どうした?」
「これ、なんか好き」
彼女は半額品の黒いワンピースを手に取った。フリルの付いたちょっとお洒落な服のようだが、俺にはそれの何がいいか分からなかった。
だが彼女に与えてやる手前、俺の色眼鏡を押し付けるのはナンセンスだ。
「そうか。すみません、この子に試着を」
「は、はぁ」
なんだその態度は。まあなんだっていい。とにかく俺は彼女に試着を提案した。
だが、まさかこれが事態を重くするなんて、その時は思わなかった。
彼女が試着をしてから5分、10分と時間が過ぎた。試着にしては、流石に時間がかかり過ぎだ。
「ニーナ、ニーナ」
俺はノックをして彼女を呼んだ。普通ならうんだかすんだか言うはずだが、この時は全く反応を返さなかった。
その時、微かに血の匂いがした。刹那、俺は慌てて扉を開けた。中に異性がいることなど知ったことじゃない。火のないところに煙が立たないように、出血者のいないところに血の匂いはない。皮肉な話、俺はこの血に飢えた鼻を洗い忘れたらしい。
中では案の定、ニーナが血に塗れていた。
口から血を吐き、気絶している。
「いやぁぁ! 誰か、救急車を!」
店内は阿鼻叫喚。ニーナはまだ息をしていたが、とても苦しそうで、見ていられなかった。
義娘と言う関係だったが、俺はニーナの保護者として救急車に同乗し、病院に向かった。
「先生、あの子は、ニーナはどうなんですか?」
「落ち着いてくださいお父さん……落ち着いて、ください」
俺は医者に掴みかかる勢いで、結果を訊く。しかし医者も何が何だか分からないようで、結論を出し渋る。
それは1分2分と経過していき、俺が落ち着いた頃に医者は重い口を開けた。
「結論から言いますと、彼女の体は激しく傷ついて体の内側はボロボロでした。このまま行けばニーナさんは、一週間以内に死ぬでしょう」
その瞬間、俺は頭が真っ白になった。
考えられなかった。考えたくなかった。まだ一週間とはじまったばかりのニーナとの生活が、こんな早くに終わってしまうとは思わなかったからだ。
「落ち着いてください! まだニーナさんは――」
「冗談じゃねぇ! ニーナはまだ若いんだぞ! 親からも愛されないで、人として扱われないで! だのに、だのに余命一週間だと? 冗談も大概にしろ!」
俺は狂ったように怒り散らした。この世の理不尽に、不条理に、そして自分の無力さと、ニーナを見放した神に、これまでにないほどの怒りを爆発させた。
血のつながりもない、ましてやつい先日会ったばかりの少女だというのに、なぜか俺は怒っていた。
きっと心のどこかで彼女を、ニーナを実の子だと思っていたのだろうか。わからない。俺の脳内は影に呑まれていた。今ここで助かる術があるなら、俺はきっとそれに縋っちまう。
たとえそれが、悪魔の契約でも一本の藁でも。
「……アスタさん。少しハードルは高いですが、彼女を救う方法が“一つだけ”あります」
「な、何だって!」
こんなときに限って、神は俺に藁を差し出した。もちろん今の俺に深く考える能力はない。
その方法に、俺は縋った。
しかしその“方法”を聞いた途端、俺の縋った藁は悪魔の尻尾に変わり果てた。
「それでも、いいですか?」
「ああ。俺はもう、命を捧げる覚悟は整いました」
「起きたか、ニーナ」
「あ、アスタ。ごめん、私が急に倒れたせいで」
「心配するな。ほら、ちゃんと買っといたぞ。店員さんも、血の付いたやつと交換してくれてさ」
俺はニーナの病室に行くと、早速紙袋をベッドの上に置いた。
ニーナは中から服を取り出すと、それを胸に当てがい静かに「似合う?」と訊いた。
「ああ、似合うよ。それ着れるといいな」
「そうだね、着れたらね」
くそっ。こういう時くらいは、嘘でも目を輝かせてくれてもいいのに。未だに、ニーナの目は虚のままだった。
だが微かに、虚な目の中には心があった。そんな気がした。
「……なあニーナ、これはおっさんの戯言だけどさ、笑うなよ?」
「?」
「もし、もしもだ。朝起きた時、月と太陽が消えてたらニーナはどうする?」
俺は質問した。本当に、言った側から難だが、変な話だ。でも今の俺は、どうしてもこんな調子じゃないと正気が保てなかった。
しかしニーナはそんな変な話を笑わず、顎に手を当てて深く考えてくれた。せめて笑って欲しかった。
「驚く、かな。だってそうしたら、朝も夜も来ないじゃない」
「まあそうだよな。驚くよな、普通」
「それで、アスタはどうなの? 消えてたら、どうするの?」
参ったな。コイツめ、純粋なのか狙ったのか、なかなか返しの上手いやつだ。
本当に。
本当に。
もっと話したかったなぁ。
「そうだなぁ、俺は……」
「どうするの?」
「抵抗する。月と太陽の消えた理由を探して、両方取り返す。だって俺は。俺は……」
執念深い元殺し屋だから。なんて、一般人もいる手前で言えるもんか。
でもそうだよな。俺は、元とはいえ殺し屋。殺しに生きた影の男が誰かを助けたいなんて、烏滸がましいにも程がある。
親父でもないのに、こんなマジになって。
でも、親父らしいことくらいはやってやりたい。罪滅ぼしなど百の次に、お前の“命”の代わりになれるなら。
「ニーナ、最後にお前の名前、ここに書いてくれないか?」
俺は医者から受け取ったある紙をニーナに渡した。幸い、まだ読み書きが疎いから、内容はわからないみたいだ。だがニーナは、練習するつもりで名前を書いた。
ミミズが這ったような、汚い字だ。だが、これでいいんだ。これで。
「じゃあなニーナ。おやすみ」
✳︎
一体いつまで時間が過ぎたことか。私は重く閉ざされた瞼を開けた。
「奇跡です。手術は成功しました」
「しゅじゅつ?」
私の目覚めがそれほど素晴らしいことなのか、目の前のおじさん達は喜び抱き合い、涙を流していた。
「あの、これは一体?」
「ああすみません。あれほど死と隣り合わせだった体が奇跡の復活を遂げたもので」
「本当に。あの人は神のようなお人ですよ」
意味がわからない。こういう時、アスタがいたら教えてくれるのに。
あれ? そういえば、アスタがいない。どこを見ても、あの冷たい顔をしたアスタがいない。
「ねえ、アスタは? アスタはどこ?」
すると、おじさんたちは急に黙り込んだ。
そして、胸からチューブみたいなものを垂らしたおじさんが、ぐしゃぐしゃになった紙を広げて読み上げた。
「ニーナ。俺は事情があってある場所に潜入している。きっとお前が婆さんになっても帰ってこれないかもしれない。だが忘れるな、俺はいつまでもお前の中にいる。そして生きている。だから、俺のことは探さないでくれ。アスタ」
すると、なぜかそれを読んだおじさんが涙を流した。そして、私の視界もなぜか霞んできた。
「じゃあアスタは、パパは……」
「ああ。彼は本当に、歴史上誰よりも勇敢な男だよ」
私は、この時初めて、泣いた。心の底から、枯れ果てたはずの虚な瞳から、しょっぱい涙を流して。
そして私は、今も絶えず鼓動している心臓に手を当てて、その温もりを感じた。
(パパ、ありがとう)
こうして私は、人生初の別れと失恋を味わった。
その味はとてもしょっぱかった。でもこの味は、一生忘れない思い出の味だった。