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「…貴方が生まれる前の…遠い約束なのです。だから悲しまないでね?。たとえこの世で消えてしまっても…私は必ず貴方を見つけますから…また…会いましょう。いつか…きっと………」
底冷えのする二月の頃、どこまでも澄んだ青い空の朝に彼女はそう言って小さく息を吐いた。白く狭いベッドの上で、睫毛の長いその大きな眼をゆっくりと閉じる。数多のコードで繋がれた枕元に置いてある白い箱が緊急を知らせるアラームを鳴らし始めた。
「八門さ〜ん!?聞こえますか〜!?八門さ〜ん!?」
「酸素濃度を上げて!はやく!アドレナリン投与!急いで!」
「八門さーん!息子さん来てますよー!?八門さーん!?」
看護師の一人が力の抜けた彼女の手をとって大声をかけている。控えていた他の白服の大人達の動きが俄に忙しくなっていった。
「ひびき…さん」
眼の前で顔に白い布をかけられた女性を見下ろして、俺はその名前を呼ぶことしかできなかった。人の死を看取ることがこんなにも呆気ないなんて思いもしない。心はこんなにも軋みながら痛むのに、何故か涙は溢れなかった。恐らく俺の脳は代理母の死を理解していないのだろう。眼下に横たわる美しかった女性はきっと俺が知らない別人なのだ。そうさ…絶対そうに決まっている…。
今になって思えば、とても可愛らしい人だった。不器用なのにいつも懸命で、そのくせお節介と言える程にお世話好きで。人前では滅多に表情を変えない彼女だったが、二人きりになると見せてくれる柔らかな笑顔がとても似合っている素敵な女性だった。
俺の記憶にない本当の両親は不慮の事故で亡くなったと聞いている。その日からこのうら若い美女が代理母となったらしい。その経緯や理由やきっかけは十八歳になった今でも知らない。聞かなかった。とゆうよりも聞いてはいけない気がしていたのだった。
「こっ……ぐす。この度は、ご愁傷さまで…ぐしゅっ…」
ドサリと音が聞こえてきそうなほどに分厚い香典を置いたロマンスグレーな髪の男性が、涙を喪服の黒い袖で拭きながらサラサラと記帳している。その達筆さとどこかで見たことのある名前に、俺は無言で深々と頭を垂らした。会ったことがある気がする…。
そのナイスミドルの背後、通路沿いに並ぶ漆黒の長蛇は最後尾すら望めない。目頭をハンカチで押さえる者や鼻を啜る老若男女の列の中にはテレビでお馴染みな有名人が所々に混ざっている?。
『なんだコレ…?…雫さんっていったい何者だったんだ?』
そう、俺は彼女の日常を全く知らなかった。目覚めると側にいてくれて、俺が食事と身支度を整えれば玄関まで見送ってくれる。そして一日の授業を終えていつもの時間に帰宅すると彼女は夕飯の支度を始めていた。夕餉の食卓を囲んで他愛のない会話で笑い合い、休日には揃って買い物に出かける程度のごく普通の家族。 特別に取り柄のない俺にとっては余りある毎日を過ごしていた。
ところが今生の別れの日になって、俺は代理母の人望の分厚さと人気に驚愕することとなる。知事に区長に市長に代議士まで。俺が暮らす地方都市の運営に携わるお偉いさん達が軒並み顔を揃えていた。いい歳をしたその尽くが人目も憚らずに号泣している。
代理母の名は八門響。年齢と身長と体重は不明だ。長い黒髪がよく似合う可憐さ際立つ幼顔な美女だった。人前でこそ表情は乏しかったが二人きりだといつも穏やかにニコニコとしていた。体格的には小柄で華奢なのに女性の象徴部分はかなり豊満。ここからは身内贔屓になってしまうのだが、その容姿端麗さだけで判断してもこの人気には頷ける気がする。人脈はどうあれ…なのだが。
染め抜いた様な純白の巨大祭壇。更には常識無視なサイズの彼女の遺影が、その上段に堂々と場内を見下ろすように掲げられていた。高く奉られている棺の前に据えられた献花台に、真っ白な大輪の花を次々と手向ける黒い人々の列があとを絶たないでいる。
『凄い人だったんだなぁ響さんって…全然知らなかったよ…。俺に教えてくれなかったってことは…何か理由があるんだよな?』
理解を遥かに超越した光景を前に、俺はただ立ち尽くす事しかできない。代理母の遺体を病院から引き取った夜、当時の俺は住み慣れた古い長屋で慎ましい葬儀を一人で執り行うつもりでいた。
「突然ですが、今日から貴方は私と暮らすことになりました。お互いに天涯孤独なのだから仲良くしましょうね?エイジくん♪」
そう言って見せてくれたあの日の彼女の笑顔は今でも心の奥にしっかりとしまい込んでいる。同じ境遇の者同士で傷を舐めあったつもりはないが既に互いが何者にも代え難い存在になっていた。だからこそ俺は……一人で静かに見送ってやろうと決めていた。
ところが故人に陰ながら恋い焦がれてきた大人達がソレを許さない。「正に今生の別れなのだから是非とも街をあげて盛大に送り出したい!」と、何十人とゆう権力者達に力説されて食い下がられて買収されて…愚息でしかない俺は渋々と了承してしまった。
斎場として無償提供された巨大な区民会館。普段はコンサート会場や劇場として使用されている。そんな広すぎる建物に犇めくように訪れる喪服姿な老若男女たち。とても一般庶民の、個人レベルなお葬式とは思えない。桁外れに圧倒的で異様な風景だった。
「ヤツカドエイジくん、だな?。ちょっといいかな?」
喪主席の前で、止め処ない人の波に直立不動で呆気にとられている俺に背後から声がかかった。振り向くとそこには…屈強そうな男が数人、とても喪服になど見えないピッチピチな黒服姿で立っている。その全員が、なぜかお揃いの黒い眼鏡をかけていた。
「……八門栄司は……確かに俺ですけど…。な、なにか?」
言い訳だが俺は、標準より背が少し高いだけで他に取り柄など何も無いと断言しておく。顔も人並み、体格も普通、何かしらな特殊能力がある訳でも逃げ足が早いわけでもない。よってピンチのときには平謝りするか状況に流されるしか手立てが無いのだ。なので俺はこの窮地も、いつものように困った作り笑顔で応えた。
「我々と来てもらおう。お前と話したいとゆうあるお方がある場所でお待ちになっておられる。まぁ選択の余地は無いがな?」
そう告げた男の合図で、俺の身体はあれよと言う間に黒塗りな高級車の側に運ばれ押し込まれた。男達に左右の腕をガッシリと掴まれた挙げ句に目隠しまでされて、まさに問答無用に攫われた。
「この男が天姫さまのひとり息子か?」
「あの場の喪主なのだから間違いないだろう。確認済みだ」
「いや、そうゆうことではなくて…。あの天姫さまに子供がいたことがショックなんだよオレは…。永遠の純潔者なんだぞ?」
「お前の気持ちは判るがどうしようもないだろう。オレだって泣きたいよ……くっそぉ、誰だよ父親は!しかも息子はデカいし…」
「そうだよ。あの姫様にこんなデカい息子がいるはずがない。天姫さまは永遠の二十歳なんだぞ?忘れたのか?」
「だってよぉ〜ぐすっ…ぐすっ。憧れてたんだぞぉ俺はぁ」
「えーい!泣くなっ!うっとうしいっ!」
「こんなの絶対に何かの間違いだって。きっと使徒の方々が証明してくれるさ。コイツは天姫さまとアカの他人だってな?」
滑るように走る車の中で黒眼鏡の男たちがグチグチと何かを話している。俺は無言なままで耳をそばだてていた。何の話しだ?。
『てんひめさまって誰だ?響さんのことか?。そりゃ俺とは他人だけど「アカの」じゃないなぁ。お前達、ざんね〜ん!。でも俺が知らない響さんをコイツらが知っているのはなんだか癪だなぁ。それに随分と馴れ馴れしくないか?なんで恋愛対象にしてんだよっ!?だいたい綺麗好きな響さんがお前達みたいなムサクて怪しいやつ等を相手なんかするもんかよ!バーカ!バーカ!』
俺は心の中で悪態を吐き続けていた。こうしている間にも出棺の時間が刻一刻と近づいているのだ。最愛と言っていい女性の顔を見られるのも今日で最後だとゆうのになんでこうなっている?。
『きっとコイツラには血も涙も無いんだ…こんな大切な日に人攫いなんて碌な死に方をしないぞ?人間の世界は因果応報、いつかきっと思い知る日が来るんだからなぁ?このバカちんがぁ!!』
俺が奥歯を噛み締めながらそんな事を考えていると車が減速を始めた。その制動感から信号等の停車ではないことが推察できる。ノロノロとした速度で、どうやら砂利道を進んでいるらしい…。
「おい、ヤツカドエイジ。そろそろ到着だ。俺はお前が天姫さまの息子だなんて絶対に信じないからな?この大嘘つきめ…」
左腕を掴んでいる男が凄むように言うと同時に車が停車する。ドアが開かれたのか凍えるような冷風が一気に流れ込んできた。
「目隠しはそのままだ。これからお前をある方へ引き渡す。アチラから良いと言われるまで何も喋るなよ?いいな?小僧。」
今度は前から声が飛んでくる。聞こえた方向だと助手席からなのだと推察できた。外気よりも冷たいものを背筋に感じながら俺は腕を掴まれたままで車から引きずり出される。光も何も感じない視界のままで引っ張られる方向へ俺は着いていくしかなかった。
「お待たせ致しました使徒さま。例の男を連れて来ました。」
「……ご苦労でした。ですが随分と手荒ですね?丁重にお連れしなさいと言った筈ですが?。そこのお前すぐに手を離しなさい」
シトと呼ばれた人物の声は意外にも女性だった。俺は更に集中して会話に聞き入る。距離と風のせいでよく聞き取れないのだが全くとゆうわけでもない。何やら内輪揉めが始まっているようだ。
「お言葉ですがシト様、自分にはこの小僧があのヤツカドとはどうしても思えません。身柄を渡す前に試させて貰えませんか?」
「試す?お前ごときが八門さまに敵うとは思えませんが?」
「ほほう?使徒さまは元外人部隊で世界中を飛び回った自分が、こんな鼻垂れ小僧にヤラれると仰るんですな?。おもしろい」
何やら物騒な話が風に乗って流れてきた。俺は目隠しの中でその尋常ではない雰囲気を肌で感じている。いつの間にか両腕が自由になっていた。しかしアイマスクを外す気にはなれなかった…。
「元外人部隊…か。お前は何も解っていない。八門は焔天様の守護者。そして我らは焔天の使徒。お前が極天にある八門に牙を剥いた以上、先ずは私が相手となるが?。それでいいな?虫けら」
「いっ!?いいや!?自分はそうは言っていません!あくまでこの小僧っ?!いやヤツカド様を試してみたいと言っただけで!」
「それが身分不相応だと言っている。さあ懐の銃を抜け。お前たち全員が私の頭をしっかりと狙えてから始めるとしようか…」
どこかヒリヒリとした感覚が肌を突く。それは寒風とは明らかに違う凍てついた緊迫感だった。同時に漂ってくるニオイは何なのだろう?。鉄をジリジリと焼いた様な異様な臭いが鼻を刺した。
「しっ!シトさんっ!俺が原因ならやめてくれ!。この黒尽くめな奴らは俺を試したいんだろう!?だったら俺がやるから!」
俺は堪らず声をあげる。さっきの鉄を焼いたような臭いは誰かに死が近づいたか誰かが死ぬ臭いだ。これには代理母が息を引き取った瞬間にも嗅いだ覚えがある。そしてその臭いはすぐ近くから流れてきていた。この中の誰かが今この場で確実に死ぬのだ。
「…八門さま?それはご命令でしょうか?。ですが今の貴方様に彼らが屠れますか?。あの方の庇護の下で他人を傷つけたことも傷付けられたこともない貴方に、戦場での殺人を生業としていたこの虫けら達を何とかできるとはわたくしには思えませんね。かく言う私も元は暗殺者…人の力など簡単に見抜けるのですよ?」
その瞬間に風が止んだ。俺は目隠しを外さないままで歩き出す。声がした方へ…死の臭いを撒き散らす方へとまっすぐに歩いた。だけど何故だろう?このヒリつく感覚には覚えがある気がする。
「シトさん。あんたは間違ってる。どんなに強かろうが…暗殺者だろうが傭兵だろうが死神だろうがっ!下らない見栄や外聞で誰かを簡単に殺していい理由がないんだよ!。それでもヤルって言うなら俺が相手になってやる。おい、黒服達は今のうちに帰れ。巻き込まれたくはないだろう?こんな馬鹿げた殺し合いにさ?」
俺は何気に立ち止まると決めゼリフ的にそう言い捨てた。内心では鳥肌が立つほどの変な達成感が湧き出してくる。言葉だけなら完全に正義の味方だ。そう、人殺しは絶対に良いコトではない。
「あっ!ありがとうございます八門さまっ!おっ!おい!全員撤収だっ!早く車に乗れっ!急げ!急ぐんだ!早く来いっ!」
数人がバタバタと車に乗り込む音が背後で聞こえた。激しく砂利を弾くタイヤの音が鳴ったかと思ったら急速に遠ざかって行く。
「八門さま?なぜ下賤の輩をわざわざ逃がすような真似を?。それに、いい加減はずしてはどうですか?似合っていませんよ?」
誰かの指先がアイマスクに触れた。そのままゆっくりと外してくれる。突然に夕焼けが眩しく広がった目の先では、和造りな豪邸がゆったりと佇み、囲む庭園には光を弾く玉砂利が敷き詰められていた。そして視界のすぐ下ではアイマスクをグシャリと握りしめている濃紺色なスーツ姿の女性が鋭い目つきで見上げている。
「さあ?何のことですか?。そんなことより貴女は誰なんです?そして俺になんの用ですか?知っていると思いますけど俺はまだ母の葬儀の途中なんですよ。特に用が無いなら帰らせて下さい」
俺は冷徹に言い放った。さっきの今だ、とてもまともな会話になるはずがない。それに中二病のような話題に興味など全く無いし何より俺にはやらなければいけない最優先な責務がある。先ずは荼毘に付した八門響の遺骨を無事に受け取らなければならないし、二人暮らしたあの長屋へと連れ帰らなければならないのだ。
「残念ですが、このまま帰す訳には参りません。それに中二病でもありませんので悪しからず。天姫様がこの世を去った以上、あなた様をこの穢れた世界に留め置くわけにはいかないのです。詳しいことはこの建物の中でお話し致しますが、その前に私も八門の力を試してみたくなりました。その飄々としながらも漲っている御力の真を覗いてみたく、私とお手合わせを願えませんか?」
そう告げた彼女は後方に軽く跳ぶと、間合いを見ながらスイと両腕で身構えた。胸の前で右の手刀を肩の高さに止め、左の手刀は右肘の内横へ添えていた。半身になって少しだけ腰を落とす。
「私の名は紫雅。後程に会って頂く方のお世話係を務めています。八門栄司さま?天姫さまに何かしらの闘法を教わっているのでしょう?そうでなければそんな余裕など見せられない筈です」
「ムラサキミヤビさんね?。俺が弱っちいことなんてお見通しじゃなかったんですか?。やめておきましょう。とてもじゃないけど素人が元暗殺者のアンタに勝てるわけがないじゃないですか」
「……八門さま…天姫さまから何も聞かされていないのですか?貴方様が何者なのか……。そしてその身に何を宿しているのか……」
「何の話ですか?。俺、中二病な物語に興味はないですよ。それに響さんが天姫さんだなんてどうゆうことです?その天姫さまって焔大社の御神体の名前でしょ?街の中心にある大きな神社の」
「はぁ……お話しになりませんね。何も知らされていない八門さまに勝ったところで酒の肴にもなりません……どうぞコチラに」
何かを急に諦めたムラサキミヤビは、構えを解くと俺を屋敷へと誘った。これ以上に話をややこしくしたくない俺は黙ってついて行くことにする。どうせもう夕方だ、当然ながら響さんの火葬もとっくに終わっている。最後の最後に彼女の顔を見ておきたかったが今となっては正に後の祭りだ。だが不思議と腹がたたない。
明るい栗色の髪を靡かせる彼女の後ろ姿が美しかった。背丈は高い方に入るのか?スーツ姿なのに腰からのくびれが凄い。俗に言う七頭身とゆうやつだろうか?全身のしなやかさが見て取れた。
「わたくしの主は日没後に参ります。それまではお寛ぎ頂きましょう。嗜好を凝らした食事も用意させてありますので……」
長い廊下を歩きながら、時折確認するようにこちらをチラリと見る睫毛の長い切れ長な眼が綺麗だ。俺が暮らしている場所は美人の街として国内でも有名な地方都市だが、このムラサキミヤビとゆう女性は滅多にお目にかかれない美人の類に入るだろう。
「コチラの部屋になります。どうぞお入り下さい」
絢爛な彩りの彫刻が施された板戸の前で立ち止まった彼女が、その横に正座に座ると取っ手に両手を軽くかけて横に滑らせた。目前に広がった見たこともない空間に俺は吸い込まれてゆく……。