テラーノベル
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四月。北海道、帯広市。
長い冬が終わり、外では雪解け水がアスファルトを濡らす季節がやってきたというのに。
俺の住む築三十年のボロアパート、四畳半の空間は、外の気温とは無縁の、凍りつくような無機質な空気に支配されていた。
「……結愛(ゆあ)。現在の配信開始からの経過時間と、同接の推移は」
俺は、三万円のゲーミングチェアの上で、デュアルモニターの右画面――通称『コックピット』を睨みつけながら、マイクをミュートにして低く呟いた。
『現在、配信開始から二十四分三十秒経過。同時接続者数は五万二千人をキープ。離脱率は直近五分間でマイナス0.8%。極めて安定しております』
ディスコードの裏回線から、アシスタントである結愛の、感情を完全に排除した氷のような報告が返ってくる。
「よし。事前のデータ分析(セイバーメトリクス)通りだ。……で、次の『アクション』のタイミングは?」
『タイムラインに従い、二十五分ちょうどで【怒りのフェーズ】へと移行してください。キーワードは「法人住民税の均等割」および「赤字でも払う理不尽さ」です。トーンは普段より20%高め、声量は85デシベルを推奨します』
「了解した。……三、二、一」
俺は、手元のストップウォッチが『25:00』を指した瞬間、ミュートを解除し、マイクに向かって「完璧に計算された絶叫」を放った。
「だァァァァァッ!! ふざけんなよ帯広市役所ォォォ!!」
画面の中の超絶イケメンアバター(ルシフェル)が、俺の動きに連動して頭を抱え、苦悶の表情を浮かべる。
「お前ら! 会社作れば税金安くなるって言ったよな!? なのに、なんだあの『均等割』ってシステムは!! 会社が赤字で死にかけてても、問答無用で毎年七万持ってかれるんだぞ!! ショバ代か!! ヤクザのケツモチかよ!!」
『wwwwwwwww』
『出た! 和尚の税金発狂www』
『ヤクザ(国家権力)』
『今日も順調に税金にキレてて草』
俺の叫びに対して、チャット欄が秒速で反応する。
そして、結愛の分析データが弾き出した通り、この「理不尽な税制への絶叫」をトリガーにして、極彩色のスーパーチャットが雨のように降り注ぎ始めた。
『スパチャ:10,000円(和尚、均等割の足しにしてくれww)』
『スパチャ:50,000円(赤字でも払う税金最高!! もっと苦しんで!!)』
『スパチャ:10,000円(息してるだけで税金取られる男ww)』
「やめろォォ!! お前らがスパチャ投げるたびに、来年の法人税と消費税のシミュレーションが狂うんだよ!! これ以上俺の課税売上を増やすなァァァ!!」
俺は、喉を枯らさんばかりの勢いでツッコミを入れた。
一見すると、いつもの『ルシフェル和尚』の、リスナーとの楽しいプロレス(殴り合い)の光景だ。
だが、その裏側にある現実は、全く違っていた。
(……よし。今のアクションでのスパチャ総額、約三十万。想定(ROI)を3%上回ったな)
俺は、画面の隅でリアルタイムに更新されていく『売上グラフ』を見つめながら、心の中で冷たく計算を弾いていた。
俺の心臓は、ちっとも跳ねていない。
怒りも、絶望も、焦りも、そこには微塵も存在していなかった。
なぜなら、今俺が叫んだ「均等割への怒り」も、「スパチャへの悲鳴」も、全ては結愛とジェミニ先生が構築した【配信最適化マニュアル】に沿って出力された、ただの『音声データ』に過ぎないからだ。
『ルシフェル社長、見事な出力(パフォーマンス)です。スパチャのRPM(千回再生あたりの収益)が目標値を突破しました』
「ああ。次は三十五分に、お前がコールセンター話法でリスナーのマシュマロを冷たく論破するターンだ。準備しとけ」
『承知いたしました。すでに最もエンゲージメント(反発と熱狂)を稼げるマシュマロを選定済みです』
俺と結愛は、裏回線で淡々と業務連絡を交わす。
そこにあるのは、インフルエンサーとリスナーの心の交流などではない。
いかに効率よく、いかに無駄なく、画面の向こう側の人間から『現金(スーパーチャット)』を吸い上げるか。
社会保険料、法人税、消費税。
俺の首を締め付ける数千万円の固定費を払うため、俺は自らの意志で、自らの感情を殺し、ただの【集金マシーン】へと成り下がっていたのだ。
「……さあて、次はどいつだ? 結愛、一番イキが良さそうなマシュマロを出せ!」
表の回線では、ハイテンションな破戒僧を演じ続ける。
結愛が、予定通りにマシュマロを表示し、あの氷点下の声でリスナーを論破していく。
俺が予定通りのタイミングで悲鳴を上げ、予定通りの額のスパチャが飛ぶ。
完全にコントロールされた、無菌室のようなエンターテインメント。
利益率(コスパ)は、過去最高を叩き出していた。
このままいけば、株式会社インフィニティ・ワンの初年度の資金繰りは、余裕で黒字化するだろう。
だが。
『…………』
『……ん?』
『あれ?』
配信が五十分を経過したあたりから。
滝のように流れていたチャット欄の空気に、ほんのわずかな、しかし確かな『違和感』が混じり始めた。
『今日、なんか和尚……変じゃね?』
一人のリスナーのコメントが、モニターの端を流れていく。
『俺もちょっと思ってた。なんていうか、テンポが良すぎるというか……』
『いつもならここで一回むせたり、関係ない昔話(コールセンターの愚痴)が始まったりするのに、今日は一切脱線しないな』
『税金にキレるタイミングが、昨日と全く同じ(配信開始から25分)だったし……』
『なんか、AIが喋ってるみたい』
『綺麗な和尚』
「…………ッ」
俺の背筋に、冷たい汗がツーッと流れ落ちた。
(……やばい。バレ始めてる……?)
リスナーの直感というのは、時に恐ろしいほど鋭い。
俺が「効率化」のために切り捨てたもの。
それは、ゲームで負けて本気で台パンする泥臭さや、どうでもいいコメントを拾ってダラダラと一時間も語り合ってしまうような、無駄(ノイズ)の数々だった。
だが、その無駄こそが、彼らが愛した『ルシフェル和尚』という人間の体温(リアリティ)だったのだ。
『ルシフェル社長。コメント欄のネガティブな感情分析スコアが、基準値を上回りました』
結愛の無機質な声が警告を発する。
『しかし、現在の配信経過時間は五十八分。マニュアル規定の【一時間での強制終了】まで、残り二分です。このまま逃げ切ることを推奨します』
「……ああ、わかってる」
俺は、マニュアルに逆らうことはしなかった。
ここで下手にアドリブを入れてボロを出し、視聴維持率を落とすわけにはいかない。
俺は、画面の中のイケメンアバターに、完璧にプログラミングされた「焦ったような表情」を貼り付けた。
「おっと! もうこんな時間か! いけねえ、明日は朝一番で市役所に行って、鈴木さんに法人の設立届を出さなきゃなんねえんだった!!」
『えっ!?』
『もう終わり!?』
『まだ一時間しかやってないじゃん!』
『和尚、もっと喋ろうぜ!』
リスナーの引き止める声がチャット欄に溢れる。
だが、データ至上主義において、ダラダラと配信を続けることはROI(投資利益率)の低下を招く。一番熱狂しているピークで切るのが、鉄則なのだ。
「悪いなお前ら! 俺は会社を守るために忙しいんだ! じゃあな、また明日!!」
ターンッ!!
俺は、一秒の狂いもなく、配信開始からちょうど六十分のタイミングで、配信終了ボタンを叩き切った。
プツン、と。
モニターが暗転し、俺の四畳半に、静寂が降りてきた。
『……お疲れ様でございます、ルシフェル社長。本日の収益も、目標値を120%クリアいたしました。完璧なオペレーションでした』
結愛が、淡々と結果を報告する。
「……ああ。そうだな。完璧だ」
俺は、三万円のゲーミングチェアの背もたれに、深く体を沈めた。
デュアルモニターの黒い画面に、俺の顔が反射している。
そこにあるのは、大金を手に入れて喜ぶ成功者の顔ではなかった。
ただ数字を追いかけ、マニュアル通りに笑い、マニュアル通りに怒り、自らの魂をデータという名の鎖で縛り付けた、ただの【機械(おっさん)】の顔だった。
「……俺は、何になりたかったんだっけ」
四畳半の天井に向かって、ポツリとこぼれ落ちた言葉。
誰にも拾われることのない、ノイズ(無駄)でしかない独り言。
効率化と利益の追求。
会社を守るために選んだその道は、確実に、そして静かに。
『ルシフェル和尚』という存在の根幹を、内側から食い破り始めていた。
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레몬인
201
そあち♡໒꒱
88
なんたろ
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コメント
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(読み終えて、少し息を呑んだ……) 今回の93話、めちゃくちゃ刺さりました。完璧に計算されたパフォーマンスでスパチャを吸い上げる「集金マシーン」と化した和尚の姿が、怖いほどリアルで……特に、配信のテンポが良すぎて逆に違和感を覚えたリスナーたちの反応、ゾッとしましたね。最後の「俺は、何になりたかったんだっけ」って独り言、心にグサッと来ました。効率化の代償って、本当に怖い……ゆうきさん、このお話、続きがすごく気になります。和尚はこのまま機械のまま進んじゃうんですかね……?