コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
長年使い続けた、勉強机。小さな擦り傷が散見されるも、勉学に励んだ証拠と言えよう。
もしくは、勲章か。
どちらにせよ、その机は部屋の片隅で役目を終えた。
イダンリネア王国唯一の教育機関でもあるアーカム学校を退学したばかりか、傭兵という血生臭い職業に就いてしまったのだから、教科書とノートを広げる日々とは決別だ。
それでも、埃を被っていない理由は二つ。
メイドによる清掃が行き届いていることと、新たな使用者が現れた。
「きょちんせんそーはー、こうりゅーれきー……」
瑠璃色の長髪を左右でそれぞれ束ね、二つの尻尾を垂らす。それらをゆらゆらと揺らしながら、勉強机に向かう細身の少女。
パオラ・エヴィ。年齢は九歳ながらも容姿はさらに幼い。知能についても同様だ。
今日はカーキ色のワンピースを着ており、ロングシャツタイプゆえ、素肌の露出は少ない。
エヴィ家に引き取られて以降、自身の部屋を与えられたものの勉強の際は隣の部屋に忍び込む。
使い古された勉強机を気に入ったからだが、部屋の主としては迷惑極まりない。
(パオラの部屋にも机あるだろうに。しかもまーた間違えてる……)。
少年の名はウイル。十六歳の若さとは裏腹に、その実力は本物だ。
そのはずだが、自信はすっかり消え失せた。自分以上の強者がいくらでもいることを思い出してしまったのだから、気持ちはくすぶってしまう。
「巨人戦争ね。光流暦四年に開戦」
「よねん、かいせん。かいせんてなにー?」
「争いが始まったってこと。その絵本だと、王様が部下を……、みんなと一緒にお出かけしてるでしょ? その時のことってこと」
「わかたー」
巨人戦争。今ではおとぎ話の一つでしかない。
しかし、千年前に起こった実際の出来事だ。初代王が軍を率いて巨人族と戦い、勝利を収めたからこそ、人間は生存を許された。
パオラが読んでいる絵本はその戦争を題材としており、何度も読み返しているのだが、未だに文字が読めない以上、毎回が勉強だ。
(巨人戦争……か。建国の王、オージス・イダンリネアが後の四英雄を率いて、西を目指す冒険譚。最後は巨人族の親玉を打ち破ってめでたしめでたし。のはずなんだけど、絵本の中のフィクションでしかなかったようで……)
勉強机に向かう少女とは対照的に、ウイルはだらしなくベッドに寝そべっている。
今は朝食と昼食の真ん中頃。窓の外も室内も光に満ちており、睡魔もすっかり行方不明だ。
それでもゴロゴロと過ごしている理由は、一人静かに思考をまとめたかった。
大きなベッドは一度や二度の寝返りなどあっさりと許容する上、その柔らかさはどんな姿勢であろうと負担にならない。
最上級の寝具は極上の居場所ゆえ、考えをまとめる場所としても抜群だ。
(エルさん一家の件は一先ず解決、貧困街についてもフランさんがやりくりしてくれそう。そういう意味じゃ、目先の用事は片付いた……のかな。だったら……)
決断の時だ。
やるべきことは明確な上、憂いもない。
来年の光流武道会を勝ち上がるためには、実力が足りていない。優勝などもっての外だ。
そんなことは自覚出来ている。
もしくは、思い知らされた。
ならば、今以上に強くなるしかない。
魔物を倒し続ければ成長も見込めるが、期限までに望む強さが手に入るとは思えないのだから、代案が必要だ。
(ハクアさんのとこでみっちり鍛錬に励む。現状、思いつく方法なんて、これくらい。まぁ、一か八かの賭けけど、ゼロじゃないだけありがたいか)
決勝戦の相手はプルーシュ・ギルバルド、四英雄の一人であり、本物の超越者だ。
現状では、勝てる見込みなどない。
ウイルは女神教の教祖に手も足も出なかった。
その女はプルーシュに完敗した。
疑いようのない不等号が力関係を示しており、たったの一年で覆るはずもない。
それでは、諦めるしかないのか?
少年は否定する。
受け入れたくないだけと指摘されれば、その通りだ。
敗北が重なろうと、心が折れかけようと、不屈の精神で立ち直る。それこそがこの少年の根幹であり、だからこそ、エルディアという傭兵と共に四年もの月日を駆け抜けることが出来た。
(ハクアさんのしごきに耐えられる自信ないけど……)
迷いの森に隠れ住む、自称最強の魔女。審議のほどは不確かながらも、その実力は本物だ。
それをわかっているからこそ、ウイルは弟子入りする。
正しくは、志願する。
入門の可否は不明だが、迷っている時間はない。
「おうさまが、ひかりのけんをたずさえて。おにいちゃん、たずさえてってなにー?」
両脚をブラブラと前後させながら、パオラは絵本とにらめっこの最中だ。
広げたページには、デフォルメされた人間達と緑色の地面が描かれており、先頭の男が黄色い剣を掲げている。
彼の後ろには大勢が付き従い、大軍の進行を描いた構図だ。
ウイルは起き上がり、ベッドから降りると少女の元へ向かう。言葉で説明しても良いのだが、絵本を読んでいるのだから視覚情報を交えた方が早いと判断した。
「たずさえての意味は、この人、王様のように何かを持って歩くってことね。ほら、光の剣を持ち上げてるでしょ?」
「わかたー。ふんふんふーん」
言葉の意味を学べたからか、はたまた絵本が面白いのか、パオラは今日もご機嫌だ。鼻歌混じりにページをめくると、そこでも音読が開始される。
「きょうもあしたも、まっすぐにしへ。もりをこえて、やまをこえて、そのさきへー」
王の進軍は止まらない。自分達の双肩に王国の命運がかかっているのだから、使命を果たすまでは前進あるのみだ。
「おなかがすいたらみんなでごはん。おてんとうさまもにこにこみまもっているよ」
そのページの登場人物は誰もが楽しそうに笑っている。
その手は武器ではなく皿を持っており、盛りつけられた料理は絵でありながらも美味しそうなご馳走だ。おおよそ野営向きの献立ではないのだが、絵本への指摘は野暮なのだろう。
「おうさまはだいのちからもち。きょじんとのちからくらべもあっしょうです。おにいちゃん、あっしょうってなーに?」
「もっともっと強いってことかな」
「ふーん、おにいちゃんみたい」
「お兄ちゃんは別に……。初代王はきっとすごかったんだろうね」
パオラの屈託ない意見に対しても、ウイルは腐るような言い回しをしてしまう。もちろん、正しいのは少年の方だが、おだてられても鼻が伸びることはない。
「おうさまとよにんのえいゆうが、だいぶたいをひきいてめざすよ、れこんさばく。おにいちゃん、れこんさばくってどこにあるの?」
「ん~、めちゃくちゃ遠いよ。西の方、一か月くらいはかかるんじゃないかな。そこらへんまで行くと完全に巨人族のテリトリーだから、傭兵でさえほとんど目指さないんだよね」
レコン砂漠。砂砂漠がどこまでも続く、苛酷過ぎる土地だ。徒歩での横断は不可能だと言われており、その理由は広さと暑さに起因するのだが、巨人族は涼しい顔で突破するばかりか、巨大な砦を築いてみせた。
千年前の大戦争における最終局面がこの地だと、今を生きる人達は教わった。
しかし、頭の中の彼女は真実を知っている。
絵本が嘘をついているのか、作者もまた騙されているだけなのか、そこまでは不明ながらも、彼女は正さずにはいられない。
(レコン砂漠はただの通過点だったんだけどね~。大きな戦闘はあったけどさ)
声の主は白紙大典。表紙も中身も真っ白な古書ながらも、意思を宿している。
その上、巨人戦争の参加者なのだから、ウイルにとっては最高の話し相手だ。
(大きなってどれくらいの?)
(巨人の基地を落とす時に、千を越える大軍を蹴散らしたんだけどさ、半分以上は王が一人でやってたね~。私なんか、最前線にいたのにほとんど見てただけで終わったよ)
(千って……。それこそ絵本みたいな話じゃないですか。本当ですか?)
(本当だって~。王の前じゃ、数なんて意味ないし。ちなみにあの女が居座ってた遺跡は、もっと先の火山地帯だよ。確か、キャピトル火山って名付けたんだっけかな? 知ってる?)
(いえ。多分、コキュートスラインの向こう側なんだと思います。軍隊引き連れてよくもまぁ、そんな遠出が出来ましたね)
彼女の証言は雲を掴むような内容だ。
現実的ではない。その一点に尽きるのだが、白紙大典に嘘をつくメリットなどないのだから、少年は驚きながらも素直に信じることから始める。
(大軍ってわけでもなかったしね~。精鋭だけについてきてもらったし、食べ物は現地調達でオッケーだから、なんとかなっちゃうもんよ。あ、ちなみに今でこそふんぞり返ってるハクアだけど、その頃はメソメソしてたんだよ~、ぷぷぷ)
(笑ってますけど、その人に鍛えてもらおうと思ってるんですけど……)
(急いでるんだよね? いつ出発する予定?)
(んー、可能なら明日とか……)
ウイルの帰国は昨日のことだ。
エルディアの父親は今日から武器屋の切り盛りを再開させたが、この少年は自室で悶々としている。
疲れが溜まっているわけではない。
脳内の情報も整理出来た。
残された課題は、パオラの境遇についての検討だけだ。
「にしをめざしてふふんふーん」
ツインテールが揺れている。
楽しそうに。
嬉しそうに。
彼女が掴んだ幸せは、ウイルとその家族によってもたらされたものながらも、それを奪うのもまた、ウイルなのかもしれない。
(パオラを戦いに巻き込んでも……、いいのかな?)
資質があろうと。
唯一の可能性であろうと。
ためらわずにはいられない。
無邪気な笑顔は子供のそれであり、このままエヴィ家の一員として保護され続けた方が良いのではないか? 今となってはそう思ってしまう。
ウイルがパオラに手を差し伸べた理由は、初めこそ純粋な善意だったが、少女の素性を知った後では打算的なものに変わる。
生まれながらの超越者なのだから、有効利用出来るかもしれない。
そう考え、エヴィ家に招き入れたのだが、そのような思考は霧散してしまった。
パオラは、ただの子供だ。
その上、まだ九歳。
親の育児放棄により、知能は年齢未満の水準に落ち込んでいる。
不幸な生い立ちにも関わらず、小さなその手を魔物の血で染めさせてもよいのか、ウイルとしても悩まずにはいられない。
一方、白紙大典はどこまでも冷静だ。
(この子が戦わないと、誰があの女を倒すの? そういうことだと思うけど)
この主張が正論なのか誤りなのか、それすらも判断がつかない。
ゆえに少年としても唸るしかないのだが、それっぽい反論を試みる。
(ハクアさんとか……)
(本人が無理って言ってるよ? 私としては、良い線いくんじゃないかな~って予想してるけど。ただまぁ、勝ち目がないって意味では正しいだろうね。ハクアの魔眼や天技ってさ、戦闘方面では一切役に立たないからね)
(数で攻めるっていうのは? それこそ、四英雄が一丸となって立ち向かえば……)
彼らの戦力は想像を絶する規模だ。一人ひとりが超越者なだけでなく、子供の頃から鍛錬に励んでいるのだから、王国軍全員を相手取ることさえ可能かもしれない。
まさしく、巨人戦争の再現だ。
豪華すぎる戦力を投入するのだから、ウイルが勝利を信じるのも当然と言えよう。
(この前、プルーシュって人の戦いっぷりを見て確信したんだけど、この時代の英雄って才能枯れちゃってるからな~。千年前のみんなはこんなもんじゃなかったよ?)
(え、えぇ⁉)
(だけど、勝てなかった。封印するしかなかった)
(封印出来たのなら、勝ちなんじゃ?)
(ううん、逃げるための封印。しかも、一度っきりの大博打。最悪なことに、あの女は不老不死に近い。だから、寿命は期待出来ない。封印も絶対ではなかった。さらにさらに、封印のからくりがオーディエンにばれたから、復活するタイミングは全く読めない)
絶望的な状況だ。
それほどの化け物が解き放たれようとしているのだから、炎の魔物ことオーディエンにはもうしばらく待ってもらうしかない。
(パオラなら、勝機がある……と。本当に?)
ウイルの疑問はもっともだ。
彼女の並外れた生命力に、議論の余地などない。非人道的な虐待に耐え抜いてしまったのだから、生まれた時から超越者であることは確定している。
しかし、所詮は九歳の女の子だ。
その上、栄養不足から五歳前後にしか見えない。魔物と戦う以前に鍛錬そのものが不可能と思えてしまう。
(わからんちん。ただ、この子からあふれ出るオーラ? は確かにすんごいよ。ウイル君や昔のハクアがかすんじゃうくらいの逸材ってことだけは、私が保証してあげる。ここから強くなれるかどうかは本人のやる気次第かな。無理やり連れだしたところで、成果が得られるとは思えないしね~)
(むぅ……。僕はこれから一年間の修行に励みます。だから、パオラもついでに鍛えてもらえれば一石二鳥だけど、焦る必要はないのかな? 白紙大典はどう思う?)
(それこそ、わからんちん。少しはお肉がついてきたけど、ま~だまだガリガリだしね~。まぁ、でも? 君は一年がんばるとして、この子はお試しで一か月とかそんな感じで運動させてみたら? お勉強も大事だけど、体づくりもありだと思う。今以上に健康になれるわけだし)
(なるほど……)
白紙大典の率直な意見に、少年は静かに納得する。
パオラの死は回避された。
今ではエヴィ家の一人として、愛情を注がれている。
この時点で十分だと満足することも出来るが、一方で身体能力を向上させることも有力な選択肢だ。傭兵並、もしくは軍人並の強さを身に着けておくことで、怪我や病気とは無縁の日常生活を送れるからだ。
健康面の心配が完全に払しょくされれば、勉学に専念することも容易となる。
ありえない話ではあるのだが、この家に泥棒の類が忍び込んだとしても、パオラが撃退してくれるだろう。
白紙大典の言う通り、少女は以前よりは健康的な見た目を手に入れた。
干からびた死体と見間違うことはもはやなく、痩せすぎてはいるものの、そこは超越者としての素養であっさりと補えている。
ウイルとしては時期尚早と思えて仕方ないが、短期間の修行は案としては面白かった。
(まだハクアに紹介出来てなかったし、一回会わせてみたら? この家にずっといても、それはそれでつまんないっしょ? 子供なんだし)
(僕はインドア派なので、そういうのはよくわかりませんけど……)
(え、それでよく傭兵なんてやれてるね)
(言われてみたら確かに……)
不思議な事実に頭の中が混乱するも、ウイルについての議論はどうでもよく、白紙大典が話を本筋に戻す。
(この子が嫌だって言ったらそれまでなんだけどね。君と一緒なんだから逆についてくって言いそうだけど)
(そうなのかな~?)
(試しに訊いてみたら?)
背中を押された以上、ものは試しだ。
眼下の少女はかつての自分のように勉強机で読書に励んでいる。対象が絵本であろうと、立派な勉強であることには変わりない。
「パオラ、ちょっといいかな?」
「とりこみちゅうです」
「あ、すみません……」
九歳児にあしらわれた結果、少年は肩を落とす。
頭の中ではやかましいほどの笑い声が響くも、今は押し黙るしかなかった。
◆
大きなテーブルに並べられた、六人分の暖かな料理。
濃厚な香りを味わいながら、既に四人が腰かけている。残りの二人が着席すれば、楽しい昼食の始まりだ。
ウイルの右には父親のハーロン。白髪交じりの茶色い髪を含め、あちこちに汗が浮かんでいる理由は、職場からこのためだけに走って帰宅したためだ。
左手側はメイドのサリィ。決して若くはないのだが、ふくよかな体型のせいか、貴族顔負けな肌艶を維持している。長い黒髪を後頭部で束ねており、人柄も相まってウイルにとっては第二の母と言えよう。
対面にはパオラが座っており、涎を垂らしながら右手にフォークを握っている。
前方右側に座っているのがマチルダだ。灰色の髪は息子と同色ながらも、作業着を含めてあちこちが土で汚れてしまっている。庭で土いじりに没頭していた証拠だ。
正面左がもう一人のメイドでもあるシエスタ。実年齢は十九歳ながらも、その落ち着きようから大人びている。セミロングの黒髪を一切揺らさず、食事の挨拶を静かに待つ姿は整った顔立ちも相まって人形のようだ。
彼女ら二人の従者が席に着いたことで、準備は整った。
「じゃあ、いただこうか」
家長の一言によって場がわっと盛り上がる。
献立は三種。
ミートソーススパゲティとコーンスープ、そして、からあげだ。
「いたまきます!」
パオラが嬉しそうに叫ぶも、次の瞬間には口いっぱいにスパゲティを頬張る。当然のように口周りがソースで汚れるも、家族は誰一人としてうろたえない。
一方、ウイルもある意味で冷静だった。
(新しい単語を覚える弊害なのか、今まで言えてた言葉が微妙に崩れていってるような……。まぁ、そういうのも含めて、少しずつ正していけばいいか。と言うか、結局まだ訊けてないんだよなぁ)
絵本を読み終わるまで見守った結果、昼食の時間が訪れてしまった。
ゆえに、魔女の森へ同行するかどうかの確認は未実施のままだ。
焦る必要はない。
されど、のんびりしたいとも思ってはいない。
どうしたものかと考えながら、コーンスープに口をつける。
濃厚な甘みを鼻と舌で味わいながら、家族の団らんに耳を傾けるも、話を振られないわけがなかった。
「息子よ、友達は……出来たか?」
ハーロンお決まりの枕詞だ。
いつものことゆえ、ウイルはスパゲティに伸ばした箸を止め、淡々と右へ視線を向ける。
「残念ながら。そんなことより、父様にお伝えしたいことがあります」
少々堅苦しい入り方だ。
だからなのか、パオラ以外が一斉に手を止める。
「ほう、何だ? お小遣いか? いくら欲しい?」
「違います。あ、でも、お金の工面って意味では違わなくもないのか……。来年の光流武道会に出場したいと思っています」
「あぁ、前から何度も言っていたな。来年だとは思ってもみなかったが……。そうか、決意したのか」
光流武道会は二年毎に開催される。来年を逃すと三年後になってしまうのだが、出場することが目標ではないのだから、焦ったところで意味はない。
ウイルの宿願はただ一つ。魔女が自分達と同様に人間であると、王国に認めてもらいたい。
つまりは、平民にも貴族にも、そして王族の意識を改革する必要があるのだが、あまりにも険しい道のりだ。
その一手として、女王に訴えることから始めたい。国のトップが認めてくれれば、下々の人間も従う他ないからだ。
武道会の優勝者は、望んだ褒美が与えられる。
ゆえに、それをもって女王への謁見もしくは上申の機会を得たいと考えており、いかにも傭兵らしいやり方と言えよう。
しかしながら、手っ取り早いものの非現実的と言う他ない。
決勝戦の相手が、四英雄から選出されるためだ。
今回の場合、プルーシュ・ギルバルド。中世的な顔立ちと艶のある黒髪のせいか、一見すると女性的でさえあるのだが、ギルバルド家の次男だと公表されているのだから、そこを疑う必要などない。
十八歳の若さで当主に収まっている理由は、長男が国外に追放されているからであり、彼が帰国するまではプルーシュが四英雄の一人としてギルバルド家とこの国を守り続ける。
そして、大役の一つとして、来年の光流武道会に出場する。勝ち上がってきた軍人を一瞬で負かすだけの簡単な行事だ。
そのはずだが、ウイルにも負けられない理由がある
もっとも、決勝戦まで勝ち上がれるかどうかも定かではないのだから、父への決意表明は時期尚早なのかもしれない。
そうであろうと、このタイミングだ。
それをわかっているからこそ、言葉を紡ぐ。
「だけど今の僕じゃ、まだまだ実力が足りていません。それこそ、勝ち進めるかどうかも定かではないと思っています」
「ふむ、出場者は腕に覚えのある軍人揃いだからな。将来の隊長、もしくはそれ以上が約束されていると言っても過言ではない。確かに、優勝ばかりを追っていると足元をすくわれるかもしれん」
ハーロンの言う通りだ。
光流武道会は誰もが参加出来るわけではない。上官からの指名、あるいは他者を納得させるほどの強者だけが出場を許可される。
一方、傭兵は二十万イールを支払うだけでトーナメント表に名前を記してもらえる。一度に二名までという制限はあるものの、過去にその規則が必要となったケースはない。
この大会は軍人のためのものだ。これは王国における一般常識ゆえ、出場を検討する傭兵など本来はいるはずもない。
そのはずだが、三年前にエルディアがウイルを誘って参加してしまう。
ウイルは当然のように一回戦で惨敗するも、彼女は一勝ながらも勝ち星を挙げてしまったのだから、当時はちょっとした騒ぎとなった。
「だから、急な話で申し訳ないのですが、一年間、修行してきます」
「ぶふっ⁉」
少年の決意表明を受け、家族の反応はバラバラだ。
父親は吹き出し、他三人は静観を決め込む。
そんな中、パオラは質問を投げかけずにはいられなかった。
「いちねんかんって、どのくらい?」
「一日が、三百六十五回だよ」
「やだー!」
反抗期の様にパオラが騒ぎ出すも、ウイルにとっては好都合だ。即座に話の流れをシミュレートし、提案を持ちかける。
「たまーには帰ってくるつもりだけど、ちょっとした旅行のつもりでお兄ちゃんと一緒に体を鍛えてみる?」
「いく!」
(あれ、もっと悩むかと思ったけど即決だった。まぁ、楽でいいけど……)
子供達の話し合いはあっさりと終了だ。
ならば、後は大人達の了承を得なければならない。
ウイルについては、許可など不要だ。傭兵として独り立ちしているのだから、心行くまで鍛錬に励めば良い。
問題はパオラの長期にわたる外出だ。それを許すか否かは両親次第と言えよう。
気づけば意識を失っている父を無視して、ウイルは正面右の母へ視線を向ける。
「どうかな? パオラはこんなんだけど、運動自体は悪いことじゃないと思う。飽きたら連れて帰るから……」
「おっけー、気を付けてね」
「あ、うん……」
パオラに引き続き、マチルダも即答だ。
さばさばとした対応は息子を信頼してからであり、補足すらもないのか、貴族らしく上品にスパゲティを口に運ぶ。
最も大事な報告が済んだことで、ウイルもスパゲティへ箸を伸ばす。フォークを使わない理由は、箸の方が食べやすいという個人的な好みだ。
「ウイル様、出発はいつになりますでしょうか?」
声の方向は左前方から。パオラの隣に座るシエスタが、当然の疑問を投げかける。準備だけでなく、二人が去ってからは二人分の食事が不要となるのだから、そのタイミングは事前に知っておかなければならない。
「えっと、明日の朝にしようかなと思ってます。朝食後に出発したいです」
「かしこまりました。こちらで用意すべきことはございますか?」
その質問が少年を悩ませる。
今回の旅路は一人ではない。パオラを同行させると決まったのだから、今までとは勝手が異なる。
「んと、パオラの着替えとかになるのかな? それと、もし手間じゃなかったらおにぎりもお願い」
ウイルの指示に、メイド親子が揃って頭を下げる。
長旅にしては荷物が少なすぎるも、今回に関しては問題ない。
目的地は徒歩だと何週間もかかるのだが、この傭兵なら一日で走破出来る。道中出くわす魔物についても問題なく、唯一の敵は空腹くらいか。
現地に着いてしまえば、食事の心配も不要だ。食材の調達を指示されるかもしれないが、その程度なら修行の一環として手伝うつもりでいる。
(すんなり決まってよかった。後は、お金のことくらいか)
金と言っても小遣いでもなければ旅費でもない。
相談相手は依然として白目のまま硬直中だが、切り出すならこのタイミングだ。
「父様、来年の光流武道会に申し込むための出場料が欲しいです。後で返しますので」
その額は二十万イール。一般的な仕事の月収に匹敵する金額ゆえ、今のウイルでは用意が困難だ。
依頼をこなすか特異個体狩りに成功すれば話は別だが、この一年間は自己研磨に専念したいため、今回ばかりは父を頼りたい。
「んあ……、そ、その程度なら構わんぞ。しかし、一年か……、たまには帰ってくるのだな?」
「はい。月に一、二回は……」
ハーロンはすっかり落ち込んでいる。息子と娘が長期にわたっていなくなるのだから、好物のからあげも今日だけはほんのりと塩味だ。
対照的に、マチルダは平然としている。今生の別れではないと理解しており、ましてやウイルは傭兵だ。この大陸を走り回ることが仕事なのだから、こういった状況にも理解を示す。
「本気で打ち込んでいる証拠だもの。がんばりなさい」
「はい」
「ところで、どこで修行するの? やっぱり山籠もり?」
母のさりげない質問に対し、ウイルは一瞬だが口ごもる。迷いの森と魔女の関連性については一切明かしてはおらず、ならば誤魔化すしかない。
「巨人の砦は避けつつも、西の方を目指すつもりでいます。ラゼン山脈とか、その向こう側もいいかもしれません」
「あらあら。随分遠くまで行くのね。パオラちゃん、大丈夫?」
「おぶって行くつもりです。道中、色んなところに立ち寄るので、社会見学も兼ねれば良い勉強になるかもしれません。野原とか川とか森とか。虫や動物だけでなく、魔物もてんこ盛りですけど」
ゆえに、普通の人間に遠出など不可能だ。細心の注意を払えば、マリアーヌ段丘なら縦断出来るだろうが、そこから先が困難極まる。
なぜなら、そこに生息する魔物が凶暴だからだ。人間を見つけ次第、問答無用で襲ってくる。
そうなってしまったら最後、逃げ切ることは困難なため、護衛として傭兵を雇うべきだろう。
もしくは拳銃の所持か。
どちらにせよ、王国民はよほどの理由がなければ領土の外へ出るべきではない。
「父親の私が訊くようなことではないのだが、たった一年の特訓で四英雄に並ぶことが出来るのか? その、信用していないとかそういうことではないのだが……」
この疑問はハーロンだけでなく、家族全員が抱いている。
四英雄はイダンリネア王国の頂点であり、ウイルがいかに優れた傭兵であろうと、比べることさえおこがましい。
ましてや、三年前の大会では一回戦で敗北している。その実績があるからこそ、決勝まで勝ち進むことさえ困難に思えてしまう。
「わかりません。だけど、諦めたくないんです。挑戦してダメだったら、その時はその時です」
「ふむ、その通りだな。さすが私の息子だ、お小遣いをやろう」
「けっこうです」
今のウイルなら、一、二回は勝てるのかもしれない。エルディアでさえ二回戦へ進めたのだから、相手次第ではそれ以上も可能なはずだ。
しかし、それで満足することは出来ない。決勝まで進むためには、出場者全員を上回らなければならないのだから、今以上の強さが必要だ。
(仮に優勝出来たとしても、魔女うんぬんが好転するとは限らない。ほんと、不器用なことをしようとしてる……。学校を中退しただけあって、泥臭い方法しか思いつかないな。勉強なんて全然関係ないけど……)
少年は自傷気味に心の中で笑う。
大前提として、魔女との共存を願ってしまった時点で着地点は遥か彼方だ。
そうであろうと、断念だけは受け入れがたい。やる前から立ち止まれるほど、ウイルは物覚えの良い人間ではないのだから。
箸を器用に動かし、ミートソースがかかっていない麺をするりを持ち上げる。先ずは麺自体の味を楽しむ算段だ。
「だったら、食べ物だけでも買い溜めてから向かうといい。後で軍資金を渡すから」
「あ、ありがとうございます」
父の申し出はありがたい。朝出発すれば夜には着くだろうが、道中、おにぎり以外も食べたいに決まっている。
(何を買おうかな……。そうだ、ハクアさんにお土産買うのもありか。何が喜ばれるだろう……。調味料とかがいいのかな?)
魔女は王国と比べてしまうと前時代的な暮らしを営んでおり、食べ物に関しても融通が利かない。
とは言え、飢えることはないだろう。迷いの森に住まう彼女らの場合、隣接するミファレト荒野にトカゲの魔物が生息しており、その肉は少々硬いが不味いわけではない。
ましてや、魔物の多くは無限に沸き続けるのだから、殺されないだけの腕前は必要ながらも、調達し続けることが可能だ。
(あぁ、あそこだと魚が喜ばれそう。干物になっちゃうけど、王国土産ってことでいっぱい買おう)
考えがまとまった祝いに、ジューシーなからあげを一つ頬張る。熱さと油っぽさと肉のうま味が暴れるのだから、口の中は幸せでいっぱいだ。
(よし、今日は準備に専念して、いよいよ明日……)
出発する。
決めるべきことは決めた。
腹をくくっただけとも言えるが、家族に伝えた以上、後戻りはカッコ悪い。
そもそも、そんなつもりは毛頭ない。前に進む以外にエルディアを取り戻す術はないのだから、明日からはがむしゃらにがんばるだけだ。
「パオラ、明日からはお兄ちゃんと一緒に出掛けるんだけど、持って行きたい物があったら今日中に教えてね」
「わかた」
(本当かな~? 返事だけは一人前なんだけど……。まぁ、着替えさえあれば、忘れ物なんていくらあっても問題ないか)
赴く先は魔物の住処でもなければ、未開の土地でもない。ハクアと多数の同胞達が暮らす集落ゆえ、手ぶらであろうと生きていくだけなら十分可能だ。
「おにいちゃんといっしょ、おにいちゃんといっしょ」
楽しそうなパオラだが、大人達は少々心配だ。
マチルダが母親らしく助言を送る。
「寂しくなったら、すぐにでも帰って来るのよ。あと、体のどこかが痛くなったら、遠慮しないでお兄ちゃんに言いなさい」
「わかた!」
その後も家族の団らんは続く。
パオラを中心に。
ウイルも中心に。
六人はしばらくの間、四人に減ってしまうも、彼らは知っている。
笑顔で送り出すべきだ、と。
離れ離れの時間はたったの一年。以前とは異なり、待っていれば二人の方から帰宅するのだから、残された者達に悲壮感などない。
その日は慌ただしくも、あっという間に過ぎ去る。
翌朝、父親だけが号泣する中、彼らは陽ざしを背に旅立つ。
「行ってきます」
「いってきま!」
ウイルの隣にはパオラ。その腕は病的なほどにか細いが、宿した素質は本物だ。
それが開花するかは誰にもわからない。
努力次第なのか?
儀式のような何かが必要なのか?
それすらもわからないまま、二人は手を繋いで歩き出す。
目的は明白だ。
言うなれば、パオラはついででしかない。
それをわかっているからこそ、少年の足取りは力強い。
光流暦千十五年。
ウイル、十六歳。
パオラ、九歳。
今よりも強くなるため。
エルディアを取り戻すため。
そして、王国を狙う災厄に備えるため。
長い長い一年が、ここから始まる。
これがその第一歩。少年と少女は導かれるように歩みを進める。
「王国の外に出たら、おんぶしてあげるから。それまでは歩けるかな?」
「うん」
眩い太陽に見守られながら、街中を歩く二人。兄と妹のようにも見えるが、その認識で正しい。血の繋がりはないが、共にエヴィ家の子供だ。
実は、ウイルの胸中はざわついている。この日を無事迎えられたことに安堵しつつも、罪悪感が混じってしまう。
パオラを戦いに巻き込んでしまった。
超越者だからこそ保護したのだから、そういった打算があったことは最初から承知していた。
それでも、己を責めてしまうのは偽善でしかないのか?
悩んだところで答えは見つからない。
納得も難しい。
だからこそ、今は前を向いて歩く。
決意を胸に。
葛藤も胸に。
ウイルは会いに行く。
千年を生きる、赤髪の魔女。この時代における、最高戦力の一人。