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side 大森
その日の収録は予定より少し長引いた。
照明の熱とスタジオの空気で
僕はほんの少しだけ疲れていたけれど、
それでも最後まで笑顔を崩さなかった。
カメラが回っている間はいつも通り完璧で
スタッフにも丁寧に頭を下げて
楽屋に戻ってからも軽く冗談を言っていた。
「あとで合流するね」
そう言って、先に帰ると伝えたのは僕のほうだった。
涼ちゃんと若井は別件の打ち合わせがあり
時間がずれていた。
たったそれだけの、いつもなら何でもない選択。
それが、ほんの少しだけ運が悪かった。
夜風は冷たい。
コンビニの前には人影がまばらだった。
僕は温かい飲み物を買おうと足を止めたところで
後ろから声をかけられる。
「すみません、大丈夫ですか?体調悪そうで、」
振り向いた先に立っていたのは、
どこにでもいそうな男だった。
年齢はよく分からない。
にこやかで、妙に距離が近い。
「大丈夫です」
僕は軽く会釈して、すぐに離れようとする。
だが男は、なぜかすぐ横に立ったまま、
缶を差し出した。
「温かいから飲みな。顔色悪いよ」
その瞬間、妙な違和感が走る。
断ろうとした。ちゃんと。
でも、鼻をかすめた匂いと同時に
急に視界が滲む。
地面が揺れたような感覚。
(……なに、これ)
意識がふっと遠のいていく中で
僕は本能的にスマホを握り直した。
画面がぼやける。
指がうまく動かない。
それでも。
いつも3人で共有している位置情報アプリを開き
オンになっていることを確認する。
そうして画面をタップした 直後、力が抜けた。
暗転。
一方その頃。
side 藤澤
僕と若井の打ち合わせは終盤だった。
何気なく僕がスマホを確認すると
グループチャットの既読がついていないことに気づく
普段ならすぐ返信が来る。
既読だけでも。
「寝ちゃったのかな」
僕はそう言いながらも
胸の奥に小さな引っかかりを感じていた。
若井も同じタイミングでスマホを見ていた。
共有位置情報の点。
それが。
自宅でも、駅でもなく。
見慣れないエリアで止まっている。
しかも、もう10分以上動いていない。
「……涼ちゃん」
低い声。
僕が画面を覗き込む。
倉庫街。
夜は人通りがほとんどない場所。
嫌な想像が、一気に膨らむ。
若井は何も言わずに立ち上がった。
「行くよ」
その声は、怒りを押し殺しているのが
はっきり分かるほど硬かった。
車の中は異様に静かだった。
エンジン音だけが響く。
僕は何度も位置を確認する。
点はまだ動かない。
「この先、右」
声が震えそうになるのを必死で抑える。
若井のハンドルを握る手は
白くなるほど力が入っていた。
「触ってたら許さない」
ぽつりと落ちたその言葉は、冷え切っていた。
僕も小さく頷く。
「絶対許さない」
倉庫の前には薄暗い明かりがひとつだけついていた。
人の気配。
若井はためらわずドアに手をかける。
重い音を立てて開く。
中は簡易的な空間だった。
古い椅子。
段ボール。
その中央に。
ぐったりと座らされている元貴の姿。
縛られてはいない。
けれど、明らかに意識が落ちている。
その近くに立つ男が、こちらを見て青ざめる。
「な、なんで」
若井の足音がゆっくり近づく。
目は、完全に怒っている。
「何した」
低く、静かな声。
男は慌てて言い訳を並べる。
「ちょっと話したかっただけで」
「ファンで」
僕は男を一切見ず、元貴の元へ駆け寄る。
「元貴、起きて」
頬に触れる。
冷たくはない。
呼吸も安定している。
眠らされているだけ。
それが分かった瞬間、僕の目に涙が滲む。
若井が振り返る。
「警察呼ぶからな。」
短く、断定。
男は逃げようと後ずさる。
だが出口には僕が立つ。
普段は柔らかな表情の僕が
今は完全に無表情だった。
「どこ行くの」
静かで、冷たい。
逃げ場はない。
通報。
数分後、男は連れていかれた。
車の中。
元貴のまぶたがゆっくりと震える。
「……涼ちゃん?」
弱い声。
僕はすぐ手を握る。
「うん、僕だよ」
若井もバックミラー越しに確認する。
「もう大丈夫だからな」
元貴は状況を思い出したのか、小さく震えた。
「……ッ、、怖かった」
その言葉に、僕の胸が締め付けられる。
「もっと早く気づけばよかった」
悔しさが滲む。
若井は首を振る。
「違う」
そして、後部座席に手を伸ばし
そっと元貴の額に触れる。
「位置情報、オンにしてくれてありがとう」
元貴はかすかに笑う。
「役に立った?」
僕は即答する。
「うん、命綱だったよ」
若井の声にはまだ怒りの残滓がある。
でも、元貴に向ける視線は優しい。
「二度と一人で帰らせない」
元貴は小さく目を閉じる。
安心したように。
3人の手が重なった。
夜の街灯が車内を照らす。
怒りも、恐怖も、まだ完全には消えない。
でも。
守れた。
それだけで。
確かに、息ができた。