コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
猛者に勝るとも劣らぬ笑顔を浮かべたノワールが、奥に設置されたテーブルへ向かう。
先に値段交渉をするのかもしれない。
『ふむふむ。グリーンとピンクを使った物は五点ほどあるのぅ。好みの物があれば文句なしなのじゃが……』
「絶対その色じゃないと嫌! っていう拘りじゃないから大丈夫。なかったら違う色も検討するし。あ! レースの方は百合柄が欲しいけどあるかなぁ?」
『百合柄とな! 薔薇柄なら多くあるが、他の花はあまり置いておらんじゃろうが……おぉ! 一点あったぞ!』
「じゃあ、先にそっちを見たいな」
入り口は家族経営のこぢんまりとしたお店に似た大きくないものだったが、中は実に広かった。
空間魔法的な何かが使われている気がする。
「あ! これで決定! うわー。綺麗な百合の透かし! 開いたのも蕾みのもあるのが乙だなぁ」
『ほぅ。裾も百合の形とは洒落ておるのぅ』
見本を手にしてよくよく眺める。
コスプレにも使えそうな豪奢なレースだ。
ペチコートにして裾からチラ見せしたら可愛いだろう。
騎士然としているフェリシアに着せてみたい。
恥ずかしそうに、まごまごしてくれそうだ。
さすがにカーテン生地では無理だが、普通の生地で同じ柄が売っているだろうか?
『うむ。これは昼も夜も外から見えにくいミラーカーテンじゃな』
「ミラーカーテン?」
『外から見えにくいカーテンをそう呼ぶらしいぞ。遮像カーテンとも呼ばれるらしいがの。 紫外線カット機能もついて完璧じゃ!』
じっくりと生地を観察したランディーニが熱く語ってくれる。
従業員さんが突っ込みを入れる隙もなさそうだ。
私は大きく頷いて、注文する名称を確認した。
百合の戯れ、だそうだ。
いろいろと言いたいことはあるが、ここは一つ黙っておこう。
『ではレース仕様はこちらで決定するとして、生地が厚い方を選ぼうかの。ほれ、こっちじゃ』
「はーい」
先導してくれるランディーニの後ろに続く。
何人か他の客がいたが、飛ぶランディーニを咎める人はいなかった。
フラグが立たなかったのなら何よりだ。
『ここに三点と、あっちに二点じゃの』
「あーこの柄が気になるかも。好きなんだ、ダマスク柄」
しかも、グリーンとピンクどちらも使われていた。
グリーン部分がダマスク柄でピンク部分は小花柄。
上から下に帯状で交互に並んでいる。
ダマスク柄の方が少しだけ幅広だった。
『なるほどのぅ。落ち着いていて、なかなか品の良い色味じゃの。一応離れた場所にある二点も見てみると比較できるじゃろうて』
「そうだねー。ん?」
移動しようとしたとき、一瞬だけ不愉快な視線を感じた。
『客の一人が奥方を鑑定しようとしたのじゃ。で。それが攻撃と見なされて無効化されたのじゃよ。ほっほ。実に間抜け面じゃのぅ』
ランディーニの羽根が指す先に男が一人立っていた。
貴族の従者か何かだろうか。
高位の貴族に仕えるお仕着せらしい見事な衣装が台無しだ。
ぽかーんと口を開けている。
鑑定能力によほどの自信があったようだ。
『主様! 大丈夫でございますか?』
何かを察知したのだろう、ノワールが飛んでくる。
接客をしてくれていた猛者も一緒に飛んできた。
「お客様?」
猛者の威圧が籠もった言葉に、男が飛び上がる。
「か、鑑定ぐらい、いいじゃねぇか! 結局何も見えなかったんだし!」
うわずった声での言い訳が大変見苦しかった。
そういう問題ではない。
「お客様は、メイブリック伯爵家に勤める執事見習いの方でございますね? 当店では他のお客様への詮索は一切御遠慮いただいております。メイブリック伯爵家が従えないというのであれば、今後の御来店をお断りいたしますが、よろしいでしょうか?」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ? 俺はメイブリック伯爵家次期執事だぞ!」
執事は立派な仕事だ。
だからこそ、王都の一流店で次期執事と胸を張る人間が無事就任できるとは到底思えなかった。
しかし、ここでフラグが回収されてしまったのは残念だ。
お店の人じゃなくお客が対象というのが、せめてもの救いには違いないけれど。
分かっていたことだが、私は嫌になるほどトラブルに好かれる体質のようだ。
夫が隣にいないから余計だろう。
いたらいたで別種の問題が起きる可能性が高いが、今は置いておく。
「メイブリック伯爵家には現在執事候補が三人おられると認識しております。貴方は執事候補になれてはいない見習いではありませんか。次期執事とは、随分と大口を叩かれますなぁ?」
「きゃ、客に対して無礼だぞ!」
「他のお客様に迷惑をかける方を、当店ではお客様と呼びません。どうぞ、お引き取りくださいませ!」
「うるさいっ! 俺はっ! 大体貴様が悪いんだ! どうせ平民なんだろう? 妖精なんざ引き連れて成金なんじゃないのか!」
妄想が甚だしいが、私がこの手の輩に対峙するのは初めてでもない。
向こうでは外出をすれば、男女問わず数多の勘違い人間たちに絡まれた。
今回は、お店側が私たちの擁護に回ってくれて有り難い限りだ。
「最愛の称号持ちって、平民扱いなのかな?」
私は店員に向かってわざとらしく首を傾げる。
あざといです!
それは駄目ですよ、麻莉彩!
夫の悲鳴はスルーしておく。
「っ! いいえ。最愛の称号をお持ちの方は、身分にとらわれない存在です。強いていえば王族以上と定義されるかと」
「はあああ? 貴様が最愛? そんな馬鹿な! 最愛ってーのは、もっとこう!」
「……最愛の称号は偽れませんよね?」
「無論でございます。さぁ! お引き取りくださいませ。最愛の称号をお持ちの方に、これ以上の無礼を働くと、伯爵家まで責任を問われますよ!」
「嘘だ! 最愛の称号って! おい、貴様っ。今なら間に合うぞ! 賠償と謝罪を要求するっ!」
腕を掴まれそうになるも、ノワールが素早く間に割って入った。
そして。
「ぎゃっ!」
見事な一本背負いで、男性を床に容赦なく叩きつけた。
こちらにも柔道はあるのだろうか。
これもまたメイドの嗜みな気がする。
「ありがとう、ノワール。見事な一本背負いだね」
「御無事でようございました。ちなみに柔道は趣味でございます」
顔に出ていたらしい。
眦を緩ませたままで答えてくれた。
「お客様には大変失礼をいたしました。店主として深くお詫び申し上げます」
猛者が直角のお辞儀をしてくる。
きちんと誠意ある音が言葉にも乗っていた。
実に正しい謝罪だ。
「いえいえ。事故ですから、仕方ないです。お店の責任は問いませんので安心してください。謝罪は有り難く受け取ります。ノワールの話はすんだの?」
「はい、概ね。主様はお決まりですか?」
「うん。百合の戯れと、甘美なる憂鬱」
横槍のせいで残りの二点は見られなかったが、ダマスク柄で問題ないだろう。
ランディーニの熱い解説によると、遮光と断熱が標準装備で、結露によるカビ防止・型崩れ防止の魔法も施されているようだ。
名称を述べれば、店主だったらしい猛者が恥ずかしそうに目線を彷徨わせた。
奥様辺りの命名だろうか。
「サイズは、ノワール殿より伺っております。裁断縫製にお時間いただきますので、他店を回ったあとに、もう一度お寄りいただけますでしょうか?」
「え! 今日中にできるの? そこまで急ぎじゃないから、ゆっくりで大丈夫ですよ?」
あちらでは普通に一週間レベルで時間がかかった。
もしかして詫びのつもりで急いでくれるのだろうか。
「主様。こちらでは魔法がありますので、あちらほどには時間を必要といたしません」
「ああ、なるほど。無理してるんじゃなければいいの」
「代金は商品と引き換えとなっておりますので、再度御足労いただくことになりまして恐縮ではございますが、よろしくお願いいたします」
「とんだ邪魔が入ったが、満足のいく買い物ができて何よりじゃて……む! そういえばノワールよ。猫足バスタブを囲うシャワーカーテンは如何する?」
「……失念しておりました。ありがとうございます、ランディーニ」
「そうかー。バスルームってわけじゃなかったもんね、あのお屋敷」
自宅は所謂日本の風呂なのでシャワーカーテンは使っていない。
部屋の片隅に置いてあるバスタブを使うなら、確かに必要不可欠だ。
別に肌を見られて困る相手もいないけど……。
私以外に見せてはいけません!
うん。
最後まで考えさせてほしかった。
……そこは良識として譲れないと続けたかったのに。
喬人さんのバカバカ!
「やわらかいピンク色で、透かしダマスク柄の物がございますが、そちらで如何でしょう?」
店主の目配せで、何処に控えていたのか店員が足早に持ってきてくれた。
ふと目線を投げれば、床に転がっていた執事見習いは、何時の間にか何処かへと片付けられている。
姿が見えなくなったのは大変嬉しい。
「ありがとうございます……うん。他のとお揃いみたいだね」
「そうじゃな。カーテンの方はグリーンにダマスク柄じゃったからの」
「これも一緒にお願いします」
「承りました」
まだ何かあるかとノワールを見やれば、ノワールは真剣にメモ紙を覗き込んでいる。
シャワーカーテンの記載忘れが、そこまで衝撃的だったのだろうか。
全く真面目なノワールらしい。
私が静かに微笑めば、視界の隅に映り込んでいたランディーニがぱちりと可愛らしいウインクを飛ばして寄越した。
フクロウのウインクとか最高です!
「シャワーカーテンをお買い上げいただきましたが、バスタブはもう設置済みでございましょうか?」
「一応設置されているのですが、問題があるので新調を考えております」
「でしたら、当店より出まして右手、向かいの通りの三軒目に、バス用品専門店がございます。良質な品が揃っておりますので、そちらへ伺われては如何でしょうか?」
「……そちらの店の客層は?」
「当店と同様貴族専用店となっております」
「事故が起きては困るのでな。何ぞ、思うところはあるかの?」
少しの沈黙のあとで、店主は語った。
「ただ一点。時々勝手に店へ出る、養子の男性は手癖が非常に悪いと有名でございます」
ああ、またしてもフラグが立ってしまった。
絶対その男に遭遇してしまうだろう。
思わずがっくりと肩を落としてしまう。
「男性は店にいる確率は大変低く、またその他の店員は超一流、商品も間違いない物が揃っておりますので……どうか、御利用いただければとお願い申し上げます」
「店主と知り合いとか? そういう関係ですか」
「はい。お互い持ちつ持たれつで気持ち良い関係でございます。件《くだん》の養子も、とあるやんごとなき筋から押しつけられまして、どうにも抗えなかったものですから、どうにかできぬものかと……」
「はっ! 語るに落ちるとは、巫山戯た話でありましょう! 手前で解決できない問題を我が主人に押しつけようとは無礼千万!」
店中に冷気が溢れた。
中には失神する店員も出ている。
店長は辛うじて立っていたが、額に冷や汗が滲んでいた。
他の客は驚いていたので、ノワールかランディーニが被害が及ばぬように何らかの手筈を取ったのかもしれない。
「まぁまぁ。そう怒るな、ノワール。奥方様は優しいお方だ。無礼や不敬は許すであろう。怒っているのは、きちんと説明なく、また正式にお願いをされなかった点じゃ。のう? 奥方よ」
ランディーニの言う通りだった。
やんごとなき系特有の、性質の悪さは身に染みて知っている。
たとえそこに善意があろうと、被害を受けた者には腹立たしいだけだ。
だからといって。
初対面にもかかわらず、いきなり空気を読んで引き受けろ! と無言のプレッシャーを与えられても困るのだが。
「……店には、行きましょう」
「有り難く!」
「また、品物が気に入れば買い物もしましょう。男性が愚かな真似をするのならば、断罪も厭いません」
「主様!」
「ですが! 私自身がこちらのお店とそちらのお店へ、自ら足を運ぶことは二度とないでしょう。当然、私が買った品物として宣伝するのも許しません」
店主他その場にいた店員全員の顔が揃ったように、青白いを通り越して純白に染まった。
絶望を示す色だが、少なくとも店主は覚悟の上だろう。
でなければ、鑑定しようとした執事見習いや女誑しの男性やらと何ら変わりがない。
「……主様は、お優しすぎます」
「ふむふむ。上手くまとまったようじゃな。荷物は後ほどノワールが受取に……」
「私も! 二度と足を踏み入れるつもりはございません!」
「なんと! ううむ。では仕方なし。我が引き取りに来るとしよう」
ノワールの倉庫には劣るが、ランディーニも規格外の収納スペースを持っていると教えられている。
カーテン各種や猫足なバスタブくらい、お茶の子さいさいに違いない。
「それでは、失礼いたしますね? あぁ。貴方方の思うような結果にならなかったからといって、逆恨みするのは止めてください」
『沙華を呼びますか? そろそろ落ち着いた頃合いでしょう』
「いいえ。彼女を呼ぶほどでもないわ。この店もあちらの店も、これ以上の醜聞は望まないでしょうから」
どんな謝罪も言い訳も無駄だと理解したらしい店長他店員たちは、顔色をなくしたまま、それでも見事なまでに揃った直角のお辞儀で、私たち三人を見送った。