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ソフィアの悲鳴で早朝から起こされてしまった俺達は、少し早いが食堂に顔を出した。
まだ営業時間ではないのだが、顔見知りということで特別に朝食を頂いているのだ。
レベッカは昨日遅くまで作業をしていたはずなのに、すでに厨房に立っていた。
その表情からは少し疲れも垣間見える。
今日は何もないからゆっくり休んでくれと願うばかりだ。
そんなレベッカから昨晩の惨状を聞き、ソフィアは一人赤面していた。
「ミア。もしソフィアさんにあだ名が付くとしたら何だと思う?」
「んっと……。酒乱かな?」
それを聞いたソフィアは、自分の腕を顔に近づけ匂いを嗅ぐと青ざめる。
小さな村だ。酒の匂いをさせたままギルドカウンターに立とうものなら、すぐにでもその噂は広まるだろう。
そして不名誉なあだ名がつけられるのだ。俺の『破壊神』のように……。
ソフィアは我先にと朝食を平らげ、慌ててギルド管理の温泉へと走って行った。
そんなソフィアに遅れて朝食を食べ終え席を立とうとしたその時、ミアに袖を掴まれる。
「どこいくの?」
「いや……。俺もたまには朝風呂ですっきりしようかなと……」
ギルドの温泉は混浴。今なら合法的にソフィアの裸が見れるのだ。男として行かないわけにはいくまい。
「ダメに決まってるでしょ?」
上目遣いで頬を膨らませるミアからは、絶対にこの手を離すものかという決意の表れを感じた。
「冗談だよ冗談……。ハハハ……」
俺を見るミアの目はとても冷たかった。
部屋へ戻ると俺だけが出かける準備を始める。
残念ながら、ミアはギルドでお仕事だ。
「じゃあミア、カガリは借りて行くぞ」
「うん。気を付けてね、お兄ちゃん」
村を出て、白狐の住まう森の遺跡へと向かう。それと言うのも、ウルフ達の話を聞いてやる約束をしていたからだ。
理由は不明だが何やら悩みを抱えているようで、その相談に乗ることになっていた。
グラハム達を追い払う手伝いをしてもらった礼である。
「なあカガリ。何の話だと思う?」
「そうですね……。かなり深刻な悩みなのではないかと思います」
「そのわけは?」
「誇り高いウルフ種が、人間の力を借りるというのがそもそも有り得ないことなので……。主は特別だと言われればそれまでですが……」
「そうか……。俺に手伝える事だったらいいが……」
一度しか来たことのない場所だけにうろ覚えであったが、カガリのおかげで迷わず目的地の遺跡へと辿り着いた。
深い森に覆われたストーンサークル。一瞥すると誰もいないように見えるが、かなりの数の気配を感じる。
俺が顔を見せると、木々の影からぞろぞろと出て来る獣達。
「……いや、多すぎだろ……」
一族総出でのお出迎えといった雰囲気。ウルフと共にキツネ達も出て来たのには驚いたが、ウルフの数が以前より多い。
確か最後に確認したのはネストが俺を尾行していた時だが、二十匹程度だったのを記憶している。
しかし、目の前にいるウルフ達の数はざっと見て五十匹はいるだろう。倍以上だ。
「久しぶりに会えて嬉しいぞ。破壊……いや、九条殿」
キツネの群れの中から出て来たのは白狐だ。
純白の毛並みは見事。ほっそりとした顔立ちで凛とした瞳からは、面妖な雰囲気を醸し出していた。
一緒に出て来たのは他の者たちよりも一回り大きいウルフ。俺と目が合うと軽く頭を下げた。
背は蒼く腹の白い毛並みは漣のよう。片耳が少し欠けている彼こそ、周辺のウルフたちをまとめ上げる族長である。
俺がよみがえらせた長老から族長を拝命した時とは違い、見違えるほどの貫禄。今となっては族長も板についている。
そしてもう一匹。体格は族長と同じくらいだが、漆黒の毛並みで黄色い瞳が特徴のウルフ。
この辺りでは見ない毛色だ……。新入りだろうか?
「こんな人間の力を借りるだと? 誇り高きウルフ種の一族に名を連ねながら、恥ずかしいとは思わんのか?」
声を上げたのはその新入り。同じ毛並みのウルフ達が集まっているところを見るに、恐らくは別の群れの長だろう。
「この森は、ここにいる白狐の一族と我等の部族が半々で統治している。貴様が口を出す謂れは無い」
それは種族間での対立のようにも見えた。どちらも引く気はないらしく、背を低くして唸り声を上げる。
「この人間に何をさせようというのだ。コイツが助けてくれるとでも? 俺にはそうは見えんがね。そもそもどうやって我等の考えを伝えるのだ、バカバカしい……」
「九条殿は我らの言葉が理解出来る。嘘だと思うなら試してみろ」
「ついに頭までおかしくなったか東の。それとも夢でも見ているのか?」
「……」
「チッ……。そこまで言うなら試してやるよ」
漆黒のウルフは鋭い眼光で俺を睨みつけた。そして、バカにでもするかのように鼻で笑ったのだ。
「俺の言葉がわかるなら猫の真似でもしてみろ、人間」
「「……ぷっ……くくくっ……わははは……」」
「なっ……何がおかしい!!」
意味のわからない他の者達が茫然と見つめる中、俺とウルフの族長はお互いの顔を見合わせ吹き出した。
思い出してしまったのだ。二人が初めて出会った時のことを。
まさか、同じ質問をされるとは思っても見なかった。
「すまんすまん。少し昔を思い出してな。猫の真似だったな……。ぷくくっ……ダメだ、ちょっと収まるまで待ってくれ」
「――ッ!?」
それを聞いた漆黒のウルフは、目に見えて驚嘆していた。
「だから言ったであろう。九条殿は我らの言葉を理解している。これ以上ない相談相手だと思わんか?」
白狐に諭され、口を噤む。悔しそうではあるが、反論はなさそうだ。
「た……確かにそうかもしれんが、見るからに弱そうではないか。相手が話を聞かず力尽くで襲ってきたらどうするのだ? その為の策はあるのか? 俺達はこんな奴を守りながら戦うのは御免だぞ!」
「……おぬし。逃げて来たくせに、口だけはデカイな……」
「うるさいうるさい! こんな人間一人いて何になる? 人間同士争わせると言うのか? 相手は大勢いるんだぞ!」
怨みを込めて俺を睨むその視線からビリビリと伝わる殺気。それにいち早く反応したのはカガリだ。
主に殺気を向ける者は何人たりとも許さないとでも言いたげに、激しく唸る。
「カガリ、大丈夫だ。気にするな」
ふわふわの毛並みが台無しだ。逆立つ体毛を優しく撫でると、カガリは唸るのを止めた。
「申し訳ないんだが、そちらで話がまとまっていないなら俺は帰るぞ? 俺だって暇じゃないんだ」
ホントはめちゃ暇なのだが、さっさと話を進めてもらう為だ。多少の嘘も致し方あるまい。
「いや、待ってくれ九条殿。一度はまとまった話なのだ。コイツが今になって反論を……」
「仕方がないだろう! いくら我らの言葉が理解出来るとは言え、こんな弱そうな人間などとは聞いていない!」
「はぁ……。じゃあ強さを証明すればいいんだな?」
溜息を一つ。面倒だなぁと思いながらも、俺は腰の魔法書に手を伸ばした。
魔法書には、いくつかの用途がある。
ひとつは、魔力の蓄積装置としての役割だ。魔法書に魔力を流し込むことで、一定量まで魔力を“貯めておける”。
ただし、それは一時的なもの。現代で例えるなら、コンデンサーのようなもの。
そしてもうひとつは、“詠唱の省略”である。
本来、魔法は長大な詠唱を順序どおりに唱えなければ、十分な効果を得ることはできない。無詠唱で放てば手順を端折っている分だけ威力は落ちる――それが常識だ。
だが、魔法書を通すなら話は別。魔力を魔法書に流し込むだけで、書に刻まれた文字が詠唱の代わりを果たし、完璧ではないものの、それに近い効果を引き出してくれるのだ。
仏教の世界には、マニ車という仏具がある。
それは転経器とも呼ばれ、一度回すだけで経文を読み上げたのと同じ功徳が得られるという物。
魔法書の仕組みは、それによく似ている――。ただ“触れる”だけで、言葉の力を借りられるのだ。
「主、ちょっと待っ……」
カガリが止めるのも聞かず、魔法書に魔力を流し込む。その量はあまりにも膨大だ。
空気が音を立てずに騒めき、理由の分からない不穏さが、辺り一面に満ちていく。
形のない予感が影を落とし、周囲の鳥たちが一斉に飛び立つ。誰ともなく息を呑ませるような、そんな一瞬だった。
手っ取り早く納得させるには、見た目にもこれが一番だろう。
「【|不死の王《ロードオブアンデス》】」
次の瞬間、地面をなぞるように巨大な魔法陣が浮かび上がり、その中心がどろりと溶けるように歪んだ。
底の見えぬ黒い穴。そこから現れたのは白く巨大な骨の手。
それが魔法陣の淵を掴むと、自分の身体を持ち上げるようにして這い出てきたのはスケルトンロード。
歪んだ金冠。くすんだ白の法衣。血を吸った天鵞絨のように濃く赤い外套。その姿は、死そのものが装いを凝らしたかのよう。
昼間であるにもかかわらず、濃密な瘴気が陽光を押し潰し、周囲一帯は雨雲の腹の中のような薄墨色に沈んだ。
魔法陣から顔を覗かせているのは上半身だけ――それでも五メートルを優に超え、空を覆うほどの巨大な骸骨が、獣たちを睨みつけていたのだ。
その眼窩の奥に、闇が蠢く。
視線を向けられた瞬間、生き物であることを否定されるような感覚が脊髄を這い上がり、誰もが生を諦め死を覚悟する。
ウルフたちも、キツネたちも、本能で理解したのだろう。悲鳴にも似た鳴き声を上げ、四方八方へと逃げ出す中、族長たちはただ必死に耐えていた。
その耳は情けなくたたまれ、立派な尾は元気をなくし垂れ下がる。
先程までの覇気はどこへいってしまったのかと思うほど。
「……すまなかった。俺はお前を認め、忠誠を誓おう……」
それは、ほんの数十秒の出来事。しかし、強さの証明には十分だった。
魔法陣が消滅すると同時にスケルトンロードも塵と消え、漂っていた瘴気も霧散する。先程までの平穏な森へと戻ったのだ。
「わかってくれてよかった。別に従わせようとは思ってない。さっさと話を進めてくれればそれでいい」