そして約束の日がやってきた。
「えーっと、海のそばのレンガ造りの展示場…。あ、あそこかな?」
瞳子は千秋と一緒に、海をバックに赤茶色が映える、大きなレンガ造りの建物に近づいた。
「なんだか外見からしてオシャレね。外国のストリートアートっぽくもあるけど、最先端の近未来アートって気もしてくる」
「確かに。この中でどんな世界が広がるんでしょうね」
ワクワクしながら、二人は扉の中に足を踏み入れた。
内装業者による作業が行われている中、教えられていた通りメインホールを目指す。
迷路のようにいくつかの小道を通り抜けると、やがて広いホールに出た。
天井が高く広々とした空間は、今は何もなくただガランとしており、その中央にあの4人組の姿があった。
「おはようございます」
「あ、瞳子ちゃん!おはよう。社長さんも、ようこそお越しくださいました」
声をかけると透が真っ先に笑顔で答えてくれ、千秋と名刺を交換する。
「御社のご活躍ぶりはかねがね伺っておりました。お目にかかれて光栄です。それに本日は私共の為に特別に案内してくださるとか。本当にありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。よろしければ早速いくつかの体験コーナーをご紹介しましょうか?」
「はい、ぜひ!」
透はにこやかに千秋と瞳子を隣のコーナーに案内した。
「今回のミュージアムのコンセプトは、【Spring〜生命の息吹〜】といって、春の季節感や自然、生命の誕生などをテーマにしています。お子様や若い女の子をメインターゲットにしていて、まずこのコーナーではAR技術で色んな着せ替えが楽しめます」
「着せ替え…ですか?」
「ええ。まずはこの大きなパネルの前に立ってください」
言われて千秋が全身が映るパネルの前に立つ。
するとパッとパネルが起動し、千秋の周りに森の風景が現れた。
更に丸く囲まれた文字で『フェアリー』『こびと』『女神』といったアイコンがフワフワと揺れる。
「千秋さん、お好きなアイコンに手をかざしてみてください」
「え?パネルをタッチしなくてもいいの?」
「はい。その場で手を動かすだけで大丈夫です」
千秋が右手を少し上に伸ばすと『フェアリー』の文字がシャラン!と反応する。
次の瞬間、キラキラと輝きながらピンクの妖精の衣装をまとった千秋がパネルに映し出された。
「ひゃー、何これ?私?」
「わー、千秋さん、可愛い!」
「やだ!ちゃんと動くんだ」
「ほんとだ!千秋さん、妖精のポーズ取ってみて」
「何よー?妖精のポーズって」
そう言いつつ、千秋は両手をペンギンのように身体に添え、ちょこんと右足の踵を前に出してポーズを取る。
「キャー、千秋さん可愛い!待って、写真撮りたい!透さん、撮っても大丈夫ですか?」
「もちろん、どうぞ」
瞳子は興奮しながら、フェアリーやこびとに変身した千秋をカシャカシャと撮影した。
「楽しい!どういう仕組みなんですか?これ」
千秋が尋ねると、透が説明を始めた。
「これはAR、つまり『Augmented Reality』の略で、言ってみれば『拡張現実』ってところかな?現実世界にデジタルコンテンツをプラスアルファとして表示することで、現実を拡張するんだ。ECサイトでのバーチャル試着だったり、カフェでのお楽しみコンテンツなんかにも使われてるよ」
瞳子はふと先日、コーヒーショップで桜の形のコースターをもらったことを思い出す。
「店員さんにもらったコースターにQRコードが付いていて、読み取るとカメラの画面に桜の木がフォトフレームのように現れたんです。それもARですか?」
「うん、そうだね。名前や仕組みは知らなくても、既に身近なところで使われてるよ。ゲームアプリなんかにもね」
へえーと感心していると、千秋が口を開いた。
「ARはVRとはどう違うんですか?」
「VRは『Virtual Reality』の略で、つまり『仮想現実』のこと。ARが現実世界にデジタルコンテンツを加える技術であるのに対して、VRは現実とは全く異なる仮想世界に自分がいるように体験させる技術なんです。ゴーグルを着けたゲームやアトラクションで使われているって言うと分かりやすいかな?」
「あー、確かに」
「ARとVRを組み合わせたMRっていうのもあるよ。『Mixed Reality』の略で、強いて言うなら『複合現実』かな。現実世界に仮想世界を反映させて、コンテンツを実物のように見たり触ったり出来るから、医療現場でシミュレーションに使われたり、あらゆるビジネスシーンでも活用されている。色んなシチュエーションを再現した、インタラクティブな3Dの教育コンテンツで社員研修をしたり、立体的なイメージを共有しながらのコミュニケーションが求められる製造業界や建設業界の会議にも導入されているんだ」
はあ…と、瞳子も千秋も頭が追いつかず言葉が出て来ない。
「で、俺達アートプラネッツのデジタルアートの特長は、観る人の動きに合わせて映像が変化するんだ。詳しい仕組みは企業秘密だから言えないけど、人感センサーや骨格検出センサー、圧力センサーなんかを駆使して人の動きを把握している。加えて、たくさんのコンピュータとプロジェクターを使った大掛かりな映像制御システムもデジタルアートを支えている。計算され尽くしたテクノロジーで、作品の中に入り込むような『没入感』を味わってもらうことが俺達の目指すものなんだ」
ポカーンと立ち尽くす瞳子と千秋に、透は声を上げて笑い出した。
「あはは!言葉で説明したってちんぷんかんぷんだよね。体験してもらうのが一番!早速始めようか」
そう言うと透はメインホールに戻って準備を、瞳子は別室で千秋に着替えを手伝ってもらうことになった。
「うわー、綺麗…。素敵!想像以上の美しさ!普段の瞳子とは別人ね。うっとりしちゃう」
瞳子がワンピースに着替えると、千秋は目を見張って驚いた。
ノースリーブで胸元は深いVネック、そしてスカートは贅沢にたっぷりと生地を使った純白のワンピース。
飾りもなくシンプルな作りだからこそ、着る人のスタイルに左右される。
瞳子は見事にそのワンピースを着こなしていた。
(うわっ、Vラインが深い!良かった、白のチューブトップを着けておいて)
自分の胸元に目をやって、瞳子はチューブトップをグッと上に引き上げる。
胸を小さく見せる為にいつも補正下着を着け、更にその上にチューブトップを着て膨らみを押さえつけていた。
「あら、そんなに上まで上げたらダサいわよ。もうちょっとこう…」
千秋が瞳子の胸元を整える。
部屋には鏡がない為、瞳子は自分の姿を確認することが出来なかった。
「えー、これで本当に大丈夫ですか?肌を見せ過ぎなんじゃ…」
「大丈夫だって!あとはそうね、メイクももう少しアイラインとマスカラをしっかり入れて…。髪型は、うーん。このままがナチュラルでいいか!」
千秋はひとり言を呟きながら瞳子のメイクを直し、最後に全身をチェックするとにっこり笑って頷いた。
「えっ…すごい!」
着替えを終えてメインホールに戻った瞳子と千秋は、何もなくガランとしていた先程とはまったく違う景色に、驚いて息を呑んだ。
森に差す木漏れ日のように緑色の空間に光が揺れ、足元は湖の水面のようにキラキラと光を反射している。
自分の周りをぐるりと取り囲む不思議な世界に圧倒されて、瞳子は言葉もなく上を見上げた。
その時、どこからともなくマイクを通した透の声が聞こえてきた。
「瞳子ちゃん、裸足になってゆっくりそこから前に歩いてくれる?」
「え?あ、はい」
言われた通り靴を脱ぐと、瞳子はそっと1歩足を踏み出した。
すると足が床に触れた瞬間、パッと水面に輪が浮かぶように光が広がった。
「わあ、綺麗!」
思わず笑みを浮かべて、瞳子はまた足を踏み出す。
1歩、2歩…
歩く度に広がる光の輪。
まるで水際を飛び跳ねる妖精のような気分になり、瞳子はつま先立ちで軽やかに弾んでいく。
小さく踏み出すと光の輪も小さく、大きくピョンと飛ぶように足をつけると、光の輪は大きく波紋を広げた。
(ふふっ、楽しい!)
瞳子は色んなバリエーションで光を生みだし、童心に帰って夢中で楽しんだ。
しばらくすると、また透の声が聞こえてくる。
「瞳子ちゃん、右の壁に丸い光が見えるでしょ?それを下から掬って上にポーンと投げるジェスチャーをしてみて」
「はい、分かりました」
言われた通り壁に近づくと、丸いボールのような光にそっと下から手をかざす。
実際には壁に触れていないのだが、光は瞳子の手に反応するようにゆらゆらと揺れ始めた。
しばらく手のひらで転がすように揺らしてから、瞳子はボールを高く投げるように、思い切り大きく手を上に上げた。
次の瞬間………
「ひゃっ、なに?」
光の矢が天高く貫くように飛んでいき、パッと弾けて無数の輝きが瞳子の上に降り注ぐ。
「わあ…」
まるで流星群を見ているようで、瞳子はぐるりと360度天を仰いだ。
右手を宙に差し出すと、そこにも無数に輝きが降り注ぐ。
感触はないが、感覚はある。
そんな不思議な気持ちになり、ただうっとりと感嘆のため息をついた。
やがて降り注ぐ光が地面に積み重なり、瞳子の足元が黄金に染まると、中央から緑の輪が一気に広がり大草原となる。
そしてスーッと光が真上に登ったかと思うと、そこから一気に羽を広げるようにキラキラと舞い散った。
最後に現れたのは、見事に咲き誇る桜の木。
(すごい…。何もないところに湖が生まれて大地になり、草原に大きな木が育ったのね)
自然の息吹、生命の不思議、地球の神秘…
瞳子の胸は感動でいっぱいになる。
スカートをふわりと翻しながら、全身でその世界観を受け止めている瞳子は、まるでこの空間が本物であるかのように思わせる不思議な存在として溶け込んでいた。
「透さん、今日は本当にありがとうございました。とっても素敵な体験をさせていただきました」
着替えを済ませると、瞳子と千秋は出口まで見送りに来てくれた透に礼を言う。
「こちらこそ、実験に協力してくれてありがとう。おかげでいい記録が取れたよ。それから千秋さん。今後そちらにイベントの司会を頼むことがあるかもしれません。その時はよろしくお願いします」
「まあ!それは大変光栄です。こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」
会社同士、どうやら良いコネクションが築けたようで、瞳子も嬉しくなる。
「じゃあ俺はここで。ごめんね、他の奴らは手が離せなくて挨拶もせずに失礼して」
「いえ、とんでもない。お忙しいところをお邪魔しました。皆様にもよろしくお伝えください」
「うん、分かった。じゃあね、瞳子ちゃん。千秋さんも、また」
にこやかに片手を挙げて、透は建物の中へと姿を消した。
「はあ、とっても素敵な映像だったわね」
駅へと向かいながら、千秋が思い出したようにうっとりする。
「本当に。芸術を鑑賞したっていうよりは体感したっていうのか…。もう身体中で感動しました」
「あはは!瞳子ったら。でも分かる。あんな経験、私も初めてよ」
「ですよね!私、正式にオープンしたら絶対にまた行きます」
「そうね、楽しみ。司会の仕事も、本当に依頼してもらえるといいなー。瞳子、今回は色々ありがとね!」
「そんな、私は別に…。千秋さんこそ衣装貸してくださってありがとうございました」
「ううん、お安い御用よ。だってあんなに綺麗な瞳子が見られたんだもの。もう超絶美人だった!眼福にあずかったわ」
「ええ?そんな大げさな」
苦笑いする瞳子に、千秋は真剣に熱弁を振るう。
「本当よ。もうなんか、オーラがすごかった。いつもデスクで、ちまっとパソコンいじってる瞳子とはまるで別人!おブスからめちゃモテに大変身よ!」
「ち、千秋さん。褒められてるのか、けなされてるのか…?」
「もちろん褒めてるのよ!ね、また時々あのイケてる瞳子に変身してみせてね」
「あはは…、はい」
瞳子は困ったように眉を寄せながら頷いた。
「お疲れー。瞳子ちゃん達帰ったよ。どう?そっちは」
ホールに戻ってきた透に、洋平は親指でクイッと大河を差してみせた。
「早速始まった。もう何を言っても聞こえてないよ」
「おっ、早くもゾーンに入っちゃいましたか」
そう言いながらどこか嬉しそうな透に、吾郎はフッと鼻で笑う。
「透が仕向けたんだろ?こうなることが分かっててさ」
「まあね。でも瞳子ちゃんは予想以上だったよ」
その言葉に洋平と吾郎も頷く。
「ああ。やっぱり大河の見立て通りだったな。『パーフェクトパッケージ』まさにその通りだ。彼女があんなにも映像にマッチして、空間に溶け込むとは思わなかったよ」
「確かに。俺らの作り出すデジタルアートは、所詮偽物の景色だって思われても仕方ないのに、あの子が入ってくれただけで一気にリアリティが増したな。説得力のある映像になった」
「不思議な魅力を持った子だよ。彼女に感謝しなきゃな」
「それと、我らが大河殿の先見の明にもな」
「ありがとう、大河!…って、聞いてないけどな」
「ははは!」
3人は笑いながら、パソコンの前に座って動画の編集に没頭している大河の背中を拝んだ。
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