コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「瞳子さーん、聞いて聞いて!」
翌日。
オフィスで事務をしていると、その日の業務を終えて顔を出した亜由美が、嬉しそうに瞳子のデスクにやって来た。
「ん?なあに、亜由美ちゃん」
「今日の現場、イシダ自動車のニューモデルお披露目イベントだったんですけど、取材に来てたマスコミの中にいたんです!イケメンアナの倉木 友也」
ギクッとして瞳子は思わず無言になる。
「ちょうど私の目の前で、カメラに向かってリポートしてたんです!私、ひょっとして倉木 友也とツーショットでテレビに映ってるかもー」
両手で頬を押さえながら身悶えする亜由美は、瞳子が固まっているのにも気づいていない。
「夕方のニュース番組で流れるのかな?あー、楽しみ!録画しようっと!テレビで見るよりも数倍かっこよかったですよ、倉木 友也」
「そ、そうなんだ。へえー」
亜由美は何度もその名前を口にし、瞳子はますます動揺する。
「あ、大変!もたもたしてたら夕方になっちゃう。早く帰らなきゃ」
亜由美は急いでパソコンの前に座り、業務報告を入力し始めた。
「亜由美ー、ちゃんと業務内容を書いてよ?倉木 友也がいかにかっこよかったか、なんて書かないでよ」
呆れ気味に千秋が声をかけると、えー!もう書いちゃいました!と亜由美が顔を上げる。
「ダーメ!はい、書き直し」
「そんなー。急いでるのにー」
唇を尖らせながら亜由美はカタカタと打ち直し、それでは失礼します!と大急ぎで帰っていった。
「やれやれ、やっと静かになった。まるで台風一過ね」
笑いかけてくる千秋に、瞳子もなんとか頬を緩める。
だがパソコンに向き直ると、また頭の中に何度も聞かされた名前が蘇った。
倉木 友也…
彼こそが瞳子の初めての、そしてこれまでの人生で唯一の彼氏だった。
『私は今、イシダ自動車のニューモデル発表会に来ております。ご覧ください!このスタイリッシュなボディと美しい流線型。これぞまさにキング・オブ・スポーツカーといった貫禄であります』
オフィスのテレビから、倉木 友也の声が聞こえてくる。
夕方のニュースの時間になると、千秋が当然のようにリモコンのスイッチを押して番組をチェックし始めたのだった。
「実物はもっとかっこいいのか。画面越しでも充分イケメンだけどね。あ!亜由美が後ろに映ってる!やだ、あの子ったら。倉木 友也にロックオンしてるわ」
千秋の言葉に瞳子も笑いながら、ちらりと視線を上げた。
久しぶりに見る元カレは、以前よりも精悍な顔つきで、ますますかっこよさに磨きがかかったように思えた。
(きっとお仕事もプライベートも充実してるんだろうな)
幸せになって欲しい。
心からそう願っている反面、なんだか自分一人置いて行かれたようにも感じてしまう。
(悪いのは私なのに…)
身勝手で醜い考えの自分が嫌になり、瞳子はテレビから目を逸らして小さくため息をついた。
それから数日が経ち、そろそろ桜の開花も近づいてきた3月半ば。
瞳子はアートプラネッツから正式に司会の依頼を受けた。
横浜の体験型ミュージアムがいよいよオープン間近となり、マスコミも招くプレオープンイベントの司会をお願いしたい、とのことだった。
夜には海外のマスコミも招待したレセプションパーティーを開く予定で、そちらの司会も合わせてやって欲しいと言われ、瞳子と千秋の二人で引き受けることにした。
プレオープンイベントは主に瞳子が、夜のレセプションパーティーでは、瞳子が日本語で、千秋が英語で、交互にセリフを交えることになり、先方から送られてきた原稿案を元に二人で準備に追われた。
しばらくすると、二人は打ち合わせの為にアートプラネッツのオフィスを訪れる。
「これがミュージアムの概要とイベントのタイムスケジュールね。事前公募で募ったお子様80人を招待して、実際に体験してもらいます。その様子をマスコミに自由に撮影してもらう予定なんだ。こっちが当日取材に来てもらう各社一覧」
透がテーブルに並べた書類を、瞳子は千秋と一緒に手に取る。
そこにはテレビのキー局や有名な雑誌社の名前がずらりと並び、当然のように倉木 友也のテレビ局の名前もあった。
「それから先日瞳子ちゃんに体験してもらった時の映像、編集作業が終わったんだ。白い衣装に映像がよく映えてるよ。ちょっと見てもらってもいい?」
「あ、はい」
促されて瞳子と千秋は、部屋の中央の丸テーブルに移動する。
そこで大河や洋平、吾郎がプロジェクターの準備をしていた。
「大河が編集した自信作なんだ。じゃあ、いくよ?」
透が二人を振り返り、照明を絞った。
オフィスの壁一面をスクリーンにして、大河が動画を投影する。
映像は静かに始まった。
真っ暗で何もないところに、光の雫が1滴ゆっくりと落ちていく。
画面の一番下に到達すると、パーッと音もなく群青色の平面が広がった。
そこに白いスカートと裸足の足元がフレームインする。
そっと足が平面に触れ、そこからパッと光が輪になって輝く。
1歩、2歩…
次々と広がる光の輪と、白いワンピースの後ろ姿が徐々に画面の中を進んでいく。
やがて丸い光の前で立ち止まると、下から手で掬い上げて大きく高く投げた。
天井を突き抜けた光は一瞬で無数の輝きへと変わり、流れ星のように空間いっぱいに降り注ぐ。
目を輝かせながら天を仰ぎ見る瞳子の姿が、360度ぐるりとスローモーションで捉えられ、白いスカートと長い髪がふわりと風を含んで舞う。
「…素敵」
隣から千秋のうっとりした呟きが聞こえてきた。
腕を伸ばし、手のひらに星を集めるような瞳子の仕草。
その足元は黄金に輝き出す。
そこからエネルギーが発せられたように緑の草原が広がり、再び天高く光の矢が舞い上がる。
最後にまるで天からの祝福のように、大きな桜の木が満開となって画面いっぱいに現れた。
【Spring 〜生命の息吹〜 】
静かに文字が浮かび上がって映像は終わった。
「はあ、なんて素敵なの」
「本当に…」
瞳子と千秋は、思わずため息をつきながら拍手する。
「あの時の感動が蘇ります。一気に引き込まれちゃった」
「見応えたっぷりの紹介映像ですね」
興奮気味に話すと、ありがとう!と透が嬉しそうに笑う。
「瞳子ちゃん、この映像をホームページに載せてもいいかな?」
「え?御社のホームページにですか?」
「うん。マスコミにもこれを宣材映像として使ってもらおうと思って。どう?ダメかな?」
瞳子ちゃんに断られると、この大河の力作は未来永劫お蔵入りになるんだけどな…と小さく呟かれ、瞳子は慌てて口を開いた。
「大丈夫です!こんなに素晴らしい作品、埋もれさせる訳にはいきませんから」
「ほんと?!良かった!」
顔を上げた透は、とびきりのスマイルを浮かべていた。
そのあとはデリバリーを頼んでランチミーティングとなり、瞳子はオシャレなオフィスでの美味しい料理に気分も上がる。
「へえ、千秋さんは元アナウンサーだったんですね?フリーになってから派遣会社を立ち上げたって、お一人で?」
透が感心したように千秋に話しかける。
「ええ、そう。局アナ時代のツテがあったから、最初はそれを頼りにこぢんまりとね。ま、今もちっちゃい会社だけど」
そう言って千秋は明るく笑う。
「皆さんこそ、若いうちに起業するなんてすごいわね」
「いや、俺達は4人いるし、それぞれ自分の得意分野をやってきただけですよ。新しいシステムの開発は大河が、美術的なアートに関しては洋平、俺は営業や広報とか。あ、もちろんコンピュータもいじれますよ。で、吾郎は主に力仕事」
おい!と吾郎がすかさず突っ込む。
「あはは!まあ、基本的には俺らみんな工学部で一緒に学んだ仲だから、互いに信頼してますよ。ね?ガタイのいい吾郎くん」
「お前なあ…。ほんとに手先より口先の方が達者だよ」
「それで、瞳子ちゃんは?どうしてMCをやろうと?」
「え、私ですか?」
急に話を振られて瞳子は戸惑う。
「うん。瞳子ちゃん、モデルじゃなくて敢えてMCをやってるのはどうして?何か深い理由があるの?」
「いえ!モデルなんてそんな。それに私は皆さんのようにこれと言って得意なこともないし、志も高くないのですけど…」
「そんなことないよ。しゃべるのが好きだったとか?」
透に聞かれて、瞳子は子どもの頃を思い出す。
「そうですね。学校の国語の授業で音読するのは好きでした」
「えっ、マジで?!あれが好きな人なんているんだ?」
「吾郎、ちょっと黙ってて。それで?」
透は優しい口調で先を促す。
「珍しいですよね。音読なんて普通はみんな嫌がるのに、なぜだか私は嫌いじゃなかったんです。もっとなめらかに読みたいな、とか、ここを盛り上げて読んだら面白く聞こえるかな?とか、いつも工夫しながら読んでました。でも一番好きなのは、マイクを通してしゃべる時です。ほんの少しだけ、自分が別人になれる気がするというか…。明るくしゃべったり、しんみり語ったり、そうすることで聞いてくれる人の表情や、その場の雰囲気が変わるのが嬉しくて」
「ふうん…。確かに瞳子ちゃんの声、マイクを通すと綺麗に響くよね」
「えっ、そうですか?ありがとうございます」
するとそれまで沈黙を貫いていた大河が、ふいに尋ねた。
「MCをする時の信念はある?」
「…え?」
透と向き合っていた瞳子は、驚いて視線を転じた。
大河がじっと正面から自分を見つめていることに驚きつつ、質問の意味を考える。
「大河、急になんだよ?採用試験の面接官か?」
透が口を挟むが、大河は黙ったまま瞳子の言葉を待っていた。
「えっと、私は司会をする時に、いつも心の中で自分に言い聞かせる言葉があります」
「どんな言葉?」
「Master of Ceremonies…です」
小さく呟くと、大河が眉根を寄せる。
「それはつまり、MCの正式名称ってことか?」
「はい。MCとは、Master of Ceremoniesのこと。つまり、その場の雰囲気を支配する人なんです。明るいイベントにするのか、感動的なセレモニーにするのか、全てはMCが牛耳ることになるんです」
「牛耳る…か、面白い」
瞳子の言葉が意外だったのか、大河は口元を緩めてニヤッと笑う。
「なるほどね。それならモデルよりもMCの方がやりたくなる訳だな」
妙に納得した様子の大河に、瞳子は怪訝そうに首を傾げていた。
ランチミーティングを終え、瞳子と千秋を見送ると、大河は早速自社のホームページに映像を組み込む作業に取り掛かった。
「しっかし相変わらず鮮やかだったなー、透の手口は」
洋平が両手を頭の後ろに組んで椅子に背を預けながらそう言うと、大河の隣に立ってパソコンを覗き込んでいた透が、不服そうにジロリと洋平に目を向ける。
「なんだよ、手口って。人を泥棒みたいに」
「だってそうだろ?瞳子ちゃんを絶対にイエスって言わせる為に、芝居じみたセリフまで用意してさ」
「別に用意なんかしてない。本心でそう言っただけだ」
「うわ、それなら尚のことすごい。お前、女の子口説くのも上手そうだな」
「まあね。自慢だけど断られたことないよ」
「ひゃー!言ってみたいわ、そんなセリフ」
「何言ってんの。洋平だってモテるでしょ?」
「いや、いくら言い寄られても俺が好きな子じゃなければ迷惑なだけだ」
「ひー!おい、洋平。間違っても女の子達を前にそんなこと言うなよ」
「もう言ってる」
「うーわ。だからお前は女泣かせなんだよ」
すると吾郎が見兼ねて口を挟む。
「二人ともしゃべり過ぎ。大河の邪魔だぞ?」
「大丈夫だって。ほら、もうゾーンに入ってる。何を言っても聞いちゃいないよ」
「バーカ。聞こえてるっつーの」
画面を見つめたまま口を開いた大河を、3人は驚いて振り返った。
「あれ?大河、いつもみたいにのめり込んでないの?」
「動画を落とし込むくらい、片目つぶってても出来る」
「なるほどね。それにしてもさっきはびっくりしたぞ。大河が急にあんなこと聞くなんて」
洋平の言葉に、大河は「あんなことって?」と前を見たまま尋ねる。
「いきなり瞳子ちゃんに質問しただろ。MCとしての信念はあるのか?って。どうしたんだ?いったい」
「別に。単純に興味が湧いたから聞いた。それだけだ」
キーボードに両手を走らせながら淡々と答える大河に、ますます洋平は身を乗り出す。
「え、興味が湧いた?お前が?瞳子ちゃんに?」
「なんだよ。それがどうした?」
「どうしたもこうしたも…。お前が女の子に興味を持つなんて、聞いたことないぞ」
「女の子?違う。俺はこの子に興味が湧いただけだ」
いやいや!瞳子ちゃん、女の子だし!と、この時ばかりは透と吾郎も加勢する。
「なんだ、3人揃って。変なこと言うな」
「変なのはお前だろ?!大河」
カタカタとキーボードを打っていた手を止め、「よし!出来た」と呟いてから、大河は椅子をくるりと回して3人に向き直った。
「俺は女には興味がない。ただ単にこの子の話をしてるんだ。いいか?俺達の宣材映像に人物を入れるのは、今までみんな渋ってただろ?」
「ああ、そうだな。世界観が壊されるような気がしてたし、マイナスにしかならないと思ってたからな」
大河は頷いて続ける。
「モデルや女優なんて論外だ。自分を美しく見せる為に、俺達のアートをお飾りに使われたら堪らないからな。けど、この子は違う。まったく自分を飾らずに、ただ素直に感動してくれる。特別な透明感を持った子なんだ」
「特別な、透明感…」
洋平がぽつりと繰り返し、透と吾郎も思わず言葉を失う。
「それにイベントのMCをしていた時の声。澄み切って空気が浄化されるようだった。単に決められた言葉をしゃべってるだけじゃない。きっとこの子なりの信念があるはずだって思ったんだ。だから聞いてみた。単純にそれを知りたくてな」
こんなにも大河が熱く語るのを、3人は初めて聞いた。
しかもデジタル技術に関することではなく、女の子に対して。
知らなかった大河の一面が垣間見え、同時に自分達の作品にも新たな風が生まれたような気がして、3人は無言のまま互いに顔を見合わせた。