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春だった。
暖かいはずなのに、部屋の空気は妙に冷たかった。
『ごめん』
向かい側に座る阿部亮平はそう言った。
その一言だけで嫌な予感がした。
いや。
本当は少し前から気付いていた。
最近どこか距離がある事。
LINEの返信が遅くなった事。
二人でいる時、ふとした瞬間に何かを飲み込む様な顔をする事。
気付いていた。
気付いていたけれど。
認めたくなかった。
「どうしたの」
精一杯平静を装う。
すると阿部は膝の上で指を握った。
緊張している時の癖だった。
目黒はそれを知っている。
付き合って三年。
知らない癖の方が少ない。
「別れよう」
世界が止まった気がした。
聞き間違いかと思った。
でも阿部は確かにそう言った。
「俺たち、もう終わりにしよう」
「……何で」
声が上手く出ない。
阿部は視線を落としたままだ。
「ごめん」
「理由になってない」
「ごめん」
「阿部ちゃん」
「ごめん」
同じ言葉ばかり。
まるで壁に向かって話しているみたいだった。
目黒は拳を握る。
怒っている訳じゃない。
怖かった。
今にも手の届かない場所へ行ってしまいそうで。
「嫌だ」
思わず口から零れた。
阿部が小さく顔を上げる。
「嫌だよ」
子供みたいだと思った。
でも止められなかった。
「俺、何かした?」
「してない」
「じゃあ何で」
「蓮は悪くない」
何度聞いても返ってくるのは同じ言葉。
それなら何で。
何で終わらせようとするの。
「俺、好きだよ」
「今でも好き」
「阿部ちゃんは…?」
阿部は唇を噛んだ。
その顔を見た瞬間。
目黒は悟ってしまった。
好きじゃなくなった訳ではない。
そうじゃない。
そうじゃないから苦しそうなんだ。
そうじゃないから泣きそうなんだ。
だから余計に分からなかった。
「ごめん」
阿部の声が震える。
「もう終わりにしたい」
その瞬間。
目黒の中で何かが崩れた。
好きじゃなくなったなら諦められた。
他に好きな人が出来たなら諦められた。
でも。
好きなのに。
苦しそうなのに。
理由も言わずに離れていこうとする。
そんなの。
どうすればいいんだ。
「……分かった」
気付けばそう言っていた。
驚いた様な顔で阿部が顔を上げる。
「阿部ちゃんがそうしたいなら」
言葉を吐く度、胸が痛む。
「俺は」
思ってもいない言葉で喉が詰まる。
「受け入れる」
阿部の瞳が揺れた。
今にも泣きそうだった。
だったらやめてよ。
そう叫びたかった。
でも。
言えなかった。
阿部が決めた事だから。
阿部が苦しんで選んだ事だから。
好きだから。
だから。
受け入れるしかなかった。
別れた。
本当に別れた。
その日から。
二人は元恋人になった。
仕事は変わらない。
会う頻度も変わらない。
隣に座る事もある。
一緒に笑う事もある。
でも、一緒に帰る場所だけがなくなった。
仕事終わり、スマホを見ても連絡は来ない。
『今日もお疲れ。』
『気を付けて帰ってね。』
そんな当たり前だった言葉が来ない。
家に帰っても。
電気は消えたまま。
「ただいま」
返事はない。
分かっている。
当たり前だ。
別れたのだから。
それなのに体だけが納得してくれない。
数ヶ月後。
メンバーとの食事会。
いつも通り賑やかな空気。
笑い声。
料理の匂い。
その中で目黒だけがどこか上の空だった。
向かいには阿部がいる。
笑っている。
楽しそうだ。
それを見て少し安心する自分がいる。
まだ好きだった。
別れても。
何ヶ月経っても。
変わらなかった。
「めめ」
突然名前を呼ばれる。
顔を上げると翔太がこちらを見ていた。
「お前さ」
「うん?」
「まだ引きずってる?」
心臓が跳ねた。
周囲が一瞬静かになる。
阿部の表情は見られなかった。
「何の話?」
笑って誤魔化す。
そんな目黒を見て、翔太はため息をついた。
「お前らの事」
翔太の一声で空気が重くなる。
そして、その次の一言で目黒の世界は再び大きく揺れる事になる。
「阿部ちゃんが別れた理由、知らないんだろ」
コメント
2件

何があったの 好きなのに別れる 元に戻ってよ。翔太は何を話すの… 続き気になります。
うわ、読んだよ…。すごく苦しくて、でも静かなお話だった。 「好きだから別れる」って矛盾してるのに、お互いを想えば想うほどそうなっちゃうの、リアル過ぎて胸が軋んだ。 最後の翔太の一言、ここからどう動くんだろう。続き、すごく気になる。 ちゃんと受け止めたよ、ゆず茶さんの紡ぐ言葉。大切に読ませてもらうね。