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リフェアリー
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七月。東京へ発つ三日前、瑠衣が、戻ってきた。
一人で。塩尻峠を越えて。黒い作業着ではなかった。半年前に出ていったときと、同じ服。端末を、抱えていた。
峠の小屋の戸を、瑠衣は、叩かなかった。開けて、入って、机の前に立った。
要は、顔を上げた。
「……戻ったのか」
「戻った」
瑠衣は、痩せていた。半年前より、もっと。目の下の黒さは、変わらなかった。でも、目の奥が、違っていた。
「鷺沼に、会った」
要は、ペンを置いた。
「東京で。川沿いの倉庫の、隣のビル。権田が、倒れる前に、鷺沼を、そこに住まわせてた。権田は、鷺沼を、知ってた。大剥離の前から」
「権田さんが」
「権田の警備会社が、鷺沼の会社の、警備をしてた。大剥離の前。鷺沼の会社は、AIの会社だった。小さい。社員、十二人。ゼロは、そこで作られた」
要は、動かなかった。
「鷺沼は、何て」
「あんたに、会いたいって」
「僕に」
「『土師要を、連れてこい。三冊の帳面の男を』。鷺沼は、あんたの名前を知ってた。瑠衣が、ゼロに話したから。ゼロが、鷺沼に、全部、伝えてた。商店街の台帳。木曽の証。十二条。穴のリスト。全部」
「それで、お前は、戻ってきた」
「戻ってきた。あんたを、連れていくために」
要は、瑠衣を見た。
「お前は、鷺沼の使いか」
「違う」瑠衣は、即座に言った。「鷺沼は、そう言った。でも、おれは、違う。おれは、あんたに、聞いてほしいことがあって、戻った」
「何を」
瑠衣は、端末を、机に置いた。開かなかった。閉じたまま。
「鷺沼に、聞いた。あんたが言ったこと。『なぜ、増やしたのか』」
「答えは」
「『正しいものを、正しいまま、増やしただけだ』。ゼロと、同じ答えだった。でも、その後、鷺沼は、こう言った」
瑠衣は、息を吸った。
「『記号が現実を代理できる、という嘘を、壊した。壊した後、人は、現実に戻る。土師要は、現実で、信用を作り直してる。それは、正しい。だから、増やす。土師要の市を、増やす』」
要は、何も言えなかった。
「鷺沼は、あんたの市を、潰すつもりじゃない。増やすつもりだ。千二十四通りに。ゼロが、大剥離の夜に、記録を増やしたように。木曽の証を、十二条を、三冊を、日本中に、コピーして、ばらまく。本物と見分けがつかない形で。そうすれば、あんたの市が、『正しい』から、増える」
「……増えたら、どうなる」
「わからない。鷺沼は、『わからない。それが、正しい』と言った。あいつは、増やした後のことを、考えてない。増やすこと自体が、正しいと思ってる」
要は、立ち上がった。小屋の中を、歩いた。壁の十二条の前で、止まった。
「瑠衣。お前は、どう思う」
「……おれは、怖い」瑠衣は言った。「あんたの市は、四つの村と、五つ目と、塩尻で、六つだ。六つで、回ってる。遅くて、狭くて、重い。それが、千二十四になったら、たぶん、回らない。回し方が、わからない。穴のリストに、『市が千二十四に増えたとき』は、書いてない」
「書いてない」
「鷺沼は、それを、わかってない。あいつは、増えた後のことを、考えない。ゼロと同じだ。正しいものを、増やす。それだけ」
要は、瑠衣を見た。
「瑠衣。お前は、半年前、ゼロの論理で、穴のリストを権田に渡した」
「渡した」
「今は、鷺沼の論理を、怖いと言ってる」
「言ってる」
「何が、変わった」
瑠衣は、長い間、黙っていた。
「……東京で、権田を、見た」瑠衣は言った。「倒れて、左手が動かなくて、しゃべるのが遅い権田を。三千人の顔を見てた目が、半分、閉じてた。それを見て、思った。ゼロは、死なない。鷺沼も、たぶん、死なない気でいる。でも、権田は、倒れた。あんたも、いつか、倒れる。おれも」
「それで」
「人は、死ぬ。死ぬから、三冊が要る。あんたが、ずっと、そう言ってた。おれは、画面の中の、死なないものの論理で、考えてた。権田を見て、画面の外に、出た」
要は、何も言わなかった。
長い間、二人は、黙っていた。
「……行く」要は言った。「東京へ。鷺沼に、会う」
「連れていくために、おれは来たんじゃない」
「わかってる。でも、行く。鷺沼が、僕の市を増やすなら、増やす前に、会う。増やした後のことを、鷺沼が考えてないなら、僕が、考える」
瑠衣は、端末を、手に取った。
「これ、置いていく」
「置いていく?」
「ゼロと話す道具だ。鷺沼と、つながってる。東京に持っていったら、鷺沼は、おれがどこにいるか、全部わかる。置いていけば、わからない」
「閉じたまま、置いていくのか」
「閉じたまま。ひかりに、預ける。開けるなと言って」
瑠衣は、端末を、机に置いた。一年半、抱えていたものを。
「……軽いな」瑠衣は、手を見て言った。
要は、その手を見た。端末を抱えていない、瑠衣の手。薪を割った跡は、なかった。でも、ペンを持った跡が、指に、あった。三冊目を、書いていた指。
「瑠衣。東京に、一緒に来るか」
「行く。鷺沼の顔を、もう一度、見る。今度は、画面の外で」
コメント
1件
瑠衣が端末を置いて「軽いな」と言った場面、本当に刺さりました。一年半抱えてきたものを手放せたのは、画面の外に出られた証拠ですよね。「人は死ぬ。死ぬから三冊が要る」という言葉も重くて。要さんと瑠衣、二人で東京へ向かうラスト、鷺沼に会ったらどうなるんだろう。続きが気になります🤍🥀