テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
リフェアリー
128
出発の前日、塩尻の隊長が、手紙を持ってきた。
蝋で封じてあった。印は、知らないものだった。角ばった、太い線。
「権田さんの印だ」隊長は言った。「東京から、飛脚で。一週間かかった」
要は、蝋を割った。中には、紙が一枚。字が、歪んでいた。右手で書いた字ではなかった。左手が動かない男が、動く右手で、慣れない字を、書いていた。
『三冊の兄ちゃんへ。
倒れた。左が、動かん。しゃべるのも、遅い。三千人の顔が、半分しか見えん。
お前の言ったとおりだ。俺が倒れたら、御殿は止まった。三冊は、俺の写しだった。写しは、新しいことを、決めん。
東京は、三つに割れた。俺の枕元に来る男と、自分で決める男と、どっちでもない男。どっちも、俺じゃない。
塩尻が、お前の市に入ったと聞いた。隊長が、薪を割ったと。笑った。俺の兵が、薪を割って、味噌を買ってる。
俺は、もう、決められん。だから、一つだけ、決める。最後に。
東京の御殿を、お前の市に、入れる。三千人を。俺の倉庫を。俺の現金を。俺の三冊を。
条件は、一つだ。俺の三千人を、殺すな。飢えさせるな。俺が、一年半、食わせてきた三千人だ。
お前は、遅い。遅いが、俺より、長く持つ。それだけは、わかった。
東京で、待つ。来い。
権田虎雄』
要は、手紙を、二度読んだ。三度読んだ。
字は、歪んでいた。でも、権田の字だった。一年半前、川沿いの倉庫で、要を「兄ちゃん」と呼んだ男の。
「……本物だと思いますか」要は、隊長に聞いた。
「本物だ」隊長は言った。「権田さんの印を、おれは、十年、見てきた。それに、『兄ちゃん』と呼ぶのは、権田さんだけだ」
「合言葉は、ない」
「ない。でも、おれの顔が、合言葉だ。おれが、権田さんの部下だったことを、あんたは知ってる。おれが、この手紙を持ってきたことを、あんたは見た」
要は、うなずいた。
九条。蝋。二人の印。合言葉。隊長の顔が、合言葉の代わりだった。顔が、仕組みの中で、動いていた。
*
「東京の御殿を、市に入れる」要は、四つの村の長に、手紙を読んで聞かせた。
六人が、いた。大畑。隣村の長。ばあさま。佐久間。五つ目の村の村長。塩尻の隊長。
「三千人」大畑が言った。
「三千人です。市の、全部を足しても、二千五百人。御殿の方が、大きい」
「大きい方が、小さい方に入るのか」
「入ります。権田さんが、そう決めた。最後に」
「入れたら、市は、どうなる」
要は、答えを持っていなかった。
「わかりません。三千人が、証を使い始めたら、上限が、三倍になる。三冊が、二十一冊になる。為替の板が、四行になる。十二条の掟が、東京で通じるかどうか、わからない。東京には、顔を覚える人がいない。つむぎが教えた四人は、ここにいる」
「じゃあ、断るか」
「断りません」
「なぜ」
「権田さんが、『三千人を殺すな』と言った。断ったら、三千人は、割れた御殿の中で、飢える。それは、市が、三千人を、殺すのと同じです」
沈黙があった。
佐久間が、言った。
「あんたは、一年前、わしに言った。『閉じた共同体は、強い。でも、広がらない』と」
「言いました」
「市は、広がった。四つから、六つに。今、七つ目は、三千人だ。広がりすぎたら、閉じた共同体の強さを、失う。わしは、それが、怖い」
「僕も、怖いです」要は言った。「でも、瑠衣が、東京で、鷺沼に会った。鷺沼は、市を、千二十四に増やすと言ってる。本物と見分けのつかない形で、日本中に。それが来たら、七つ目の三千人どころじゃない」
「……どうする」
「東京に行って、鷺沼に会う。増やす前に。それと、権田さんに会う。三千人を、どう入れるか、権田さんと決める」
「お前が、決めるのか」
「僕じゃない。権田さんと、商店街の会長と、一ノ瀬さんと、三千人の中から出る三人と。それと、ここの六人。遠隔で。蝋と合言葉で」
ばあさまが、言った。
「遠隔で、三千人を、入れる。できるのか」
「わかりません。九が、足りないと、甲府で思った。足りない分を、東京で、作る。作れなければ、三千人は、入らない。それは、それで、一つの答えです」
*
夜、要は、荷物を詰めた。
一年半前、東京を出たときと、同じくらいの量だった。乾いた食料。水。着替え。一ノ瀬の印。割符。三冊のノートのうち、一冊。十二条の写し。瑠衣の穴のリストの写し。
それと、証を、五十枚。
「東京で、使えないよ」ひかりが言った。
「使えない。でも、見せられる。『これが、証だ』と。見せて、説明して、三千人の中の誰かが、『うちでも作れるか』と言えば、それが始まりだ」
「お兄ちゃん、それ、一年半前と同じ」
「同じだ。一年半前、三冊のノートを背負って、東京を出た。今度は、三冊のノートと、十二条と、証を背負って、東京に戻る」
ひかりは、兄を見た。
「戻ってくる?」
「戻る。戻るときは、東京の御殿を、七つ目の村にして」
「できなかったら」
「できなかったら、できなかったと言いに、戻る」
ひかりは、瑠衣の端末を、要に渡そうとした。要は、首を振った。
「置いていく。瑠衣が、そう決めた」
「開けないで、持ってる」
「開けるな。開けたら、ゼロが、お前の顔を見る」
ひかりは、端末を、箱に入れた。箱に、蝋を垂らした。要の印を、押した。
「これで、開けたら、わかる」
要は、笑った。
「九条だ」
「九条」
翌朝、要と、つむぎと、瑠衣は、峠を越えた。塩尻峠には、松明はなかった。封鎖の十九人は、全員、薪を割っていた。
峠の上で、要は、振り返った。木曽の谷。川。水車。峠の小屋。壁の十二条。
一年半、作ってきたもの。要がいなくても、回る、はずのもの。
要は、前を向いた。
コメント
1件
おお…まず権田さんの手紙、すごく重かった。「左が動かん」「半分しか見えん」って、あの強かった人がここまで追い詰められてるんだなって思ったら胸がぎゅっとなったよ。それでも「三千人を♡♡♡な」って最後の決断をするのが権田さんらしいというか…。 要が東京に戻る決断をするところも、一年半前と同じ荷物の量って描写がじんわり来た。戻るときは御殿を村にしてって言うのが、希望みたいで少し切なかった。広がりすぎて壊れないでほしいな…次が気になるよ🥀