テラーノベル
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夜の街は俺にとっての戦場であり、墓場だ。
ネオンの毒々しい光が雨上がりの水たまりに反射して目眩がする。
俺は今日も適当な男の腕にぶら下がって、湿った空気の中を歩いていた。
隣にいるのは、金払いの良さそうな、でも顔は思い出せないくらい平凡な中年男だ。
「仁人くん、今日はどこ行きたい?美味しいもんでも食べる?」
「んー…お腹空いてないかなぁ。それより、早くどっか落ち着けるところ行こうよ」
俺は、男の顔を見ずに甘ったるい声を出す。
落ち着けるところなんて嘘だ。
早く「作業」を済ませて、金をもらって、一人になりたい。
ただそれだけ。
その時だった。
人混みの中で、一箇所だけ空気が凍りついたような感覚がした。
視線の先。
自販機の陰に、制服姿の男が立っていた。
…勇斗、?
学校ではあんなに輝いて見える、平凡で真っ当な佐野勇斗。
俺と目が合った瞬間、あいつの顔が驚愕に歪み、それからすぐに燃えるような怒りの色に染まったのが分かった。
俺は一瞬、心臓が跳ね上がった。
でも、すぐにいつもの空虚な自分を取り戻す。
最悪。
…また見られた。
俺はわざとらしく、隣の男に体を預けた。
勇斗を無視して、そのまま通り過ぎようとした。
俺の住む世界と、あいつの住む世界は違うんだ。
関わっちゃいけないし、関わる理由もない。
だが、すれ違いざま俺の腕が強い力で引かれた。
『おい、待てよ』
低くて、抑えた声。
隣の男が「なんだ、お前?」と不機嫌そうに勇斗を睨む。
勇斗は男を無視して、俺の目を真っ直ぐに見据えた。
その瞳が怖いくらいに真剣で、俺は思わず息を呑んだ。
「…離して」
「知り合いか?」
男が俺に聞く。
俺はいつものように、完璧な嘘を吐こうとした。
「…ううん。知らない人です。行こう」
そう言って歩き出そうとした瞬間、勇斗の力がさらに強まった。
痛い、と思う間もなく、俺はあいつに引きずられるようにして走り出した。
「おい!待て!こら!」
男の怒鳴り声が遠ざかる。
勇斗は一度も振り返らず、俺の手首を掴んだまま、路地裏を駆け抜けた。
あいつの手は、驚くほど熱かった。
夜の冷たい空気に晒されているはずなのに、その熱が、俺の冷え切った肌にじりじりと染み込んでくる。
たどり着いたのは、路地裏の奥にある古びたラブホテルだった。
受付に人がいない、自動精算機だけの、身分証の確認もいらないような場所。
勇斗は荒い息を吐きながら、迷わずパネルを叩き、鍵を掴んで俺を部屋へ押し込んだ。
バタン、とドアが閉まる。
急に静まり返った室内。
窓もない、安っぽい芳香剤の匂いが充満する部屋。
俺は壁に背中を預け、乱れた息を整えながら、目の前に立つ勇斗を見上げた。
勇斗は肩を上下させながら、俺を睨みつけている。
その目は、何かを強く求めているようでもあり、何かをひどく軽蔑しているようでもあった。
俺は、そんなあいつの表情が滑稽で、わざと茶化すような笑みを浮かべてみせた。
「…へぇ。勇斗、こういう趣味あったんだ?学校ではあんなに真面目ぶってるのに」
俺は、あいつの熱を振り払うように、一歩近づいた。
それから、自分のシャツのボタンに指をかける。
「いいよ、ヤる?勇斗なら、安くしてあげてもいいけど」
冗談のつもりで。
ただの嫌がらせ。
あいつの綺麗な正義感を、泥で汚してやりたかった。
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けれど、勇斗は俺の指を乱暴に払いのけた。
『…ヤらねーよ。ふざけんな』
冷え切った、突き放すような声。
俺は拍子抜けして、呆れたように肩をすくめた。
なんだよ。
せっかく面白くしてやろうと思ったのに。
「…そう。じゃあ、何しに来たの?邪魔されたせいで、今日の稼ぎ、パーになっちゃったんだけど」
勇斗は何も答えない。
ただ、苦しそうに顔を歪めて、ベッドの端に腰を下ろした。
俺はあいつに構うのが馬鹿らしくなって、バッグを持ってバスルームへ向かった。
とりあえず、男に触られた感触を消したかった。
シャワーを浴びて、備え付けの安っぽいバスローブを羽織る。
洗面所の鏡に映る自分は、やっぱりどこまでも空っぽだった。
… ほんと生きてんのか死んでんのか分かんねぇな、(笑)
バスルームを出て、俺は迷わずカバンからタバコを取り出した。
カチッ、と火を灯す。
煙が狭い部屋に広がっていく。
勇斗は、さっきと同じ場所で、俺を呆れたような目で見つめていた。
『…未成年のくせに、タバコなんて吸ってんじゃねーよ。いいのかよ』
勇斗の声には、怒りよりも、もっと深い「失望」のようなものが混ざっていた。
学校での俺しか知らないあいつにとって、今の俺は、よっぽど理解しがたい化け物に見えるんだろうな。
「ダメじゃねー?でも、俺の勝手でしょ」
俺はわざとらしく煙を吐き出し、ベッドに寝そべった。
やっぱ苦ぇ…
どうやったらこれが美味しく感じんだよ。
でも、この苦さがないと自分が汚れていることを実感できなかった。
『じゃあなんで吸ってんだよ。…そんなに、好きなのかよ』
勇斗の問いに、俺は天井を見つめたまま、即答した。
「…いや。嫌いだよ。死ぬほどね」
嘘じゃない。
タバコも、男も、この街も、そして自分自身も。
俺は、自分の人生に関わる全てのものが大嫌いだ。
『 嫌いならやめらいいだろ』
「やめれたらとっくにやめてるわ。…やめられないんだよ。これがないと、俺の中身がこぼれ落ちちゃうから」
俺が何を言っているのか、勇斗には伝わらないだろう。
勇斗はそれ以上何も言ってこなかった。
あいつはいつの間にかベッドに潜り込み、俺に背を向けて横になった。
俺もタバコを消して、反対側の端っこに横たわった。
隣から聞こえてくる、規則正しい寝息。
…ほんとよく寝れんね、こんな場所で。
勇斗は、こんな場所でもぐっすり眠れるくらい、健全な人間なんだ。
俺とは、根本的な作りが違う。
深夜、勇斗が深い眠りに落ちたのを確認して、俺は音を立てずに起き上がった。
着替えて、カバンを肩にかける。
それから、机の上に、ホテルの代金分以上の札を何枚か置いた。
こんぐらいありゃ足りんだろ。
「ヤらなかった」代金。
あるいは、俺の汚い世界に踏み込ませたお詫び。
眠っている勇斗の顔を、一瞬だけ見つめる。
まつ毛が長くて、少し幼い。
もう、頼むから関わらないでくれよ、勇斗。
お前みたいな光の中にいる奴に、俺の闇を分けてやりたくないんだ。
俺は一人、ホテルを出た。
夜風が冷たくて、湿った身体に突き刺さる。
明日になれば、また「優しい吉田くん」が始まる。
to be continued…
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続きが、、気になります、、!ウッ😭