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《都内・大手企業本社ビル》
平日の朝だというのに、
エントランスホールはどこか薄暗く感じられた。
社員証をかざして入ってくる人の列はいつもより少ない。
スーツの代わりに私服、
リュック一つで来ている社員も目立つ。
総務部の張り紙が、
自動ドアの横に増えていた。
『在宅勤務推奨について
・出社が必須でない部署は原則リモート可
・出社希望者は各部長へ事前連絡のこと
・出張原則禁止』
エレベーターの中で、
若手社員たちが小声で話している。
「“原則リモート可”ってさ、
“来ても来なくてもどっちでもいい”ってことだよな。」
「いや、“仕事あるうちは来てくれ”って意味じゃない?」
「そもそもこの仕事、
あと三週間で意味あんのかな。」
「給料出てるうちは意味あるでしょ。
出なくなったらマジで終わりだけど。」
別の階では、
役員会議が開かれていた。
「決算発表、どうします?」
「やるに決まっている。
“あと三週間の会社”として数字を出すわけにはいかん。」
「人件費削減は?」
「このタイミングで“リストラ”なんて言葉を出したら、
本気で会社を見捨てて逃げる人間が続出します。」
「とはいえ、
海外の取引先の中には
“東アジアリスク”を理由に契約凍結してきたところもある。」
「…正直に言おう。」
年配の役員が、
ゆっくりと口を開いた。
「“この会社を三十年後まで残そう”という前提は、
一度頭から外した方がいい。」
「“残ったあと数週間を
どう過ごす会社にするか”。」
「その覚悟を、
経営側が先に決めるべきだ。」
空調の音だけが、
しばらく会議室に響いた。
《地方の小さな工場》
ラインの音は止まっていない。
だが、稼働している機械は半分だけだった。
社長が、
社員たちを前に立っている。
「正直に言う。」
「このまま“いつもどおり”
全部のラインを動かしても、」
「今から作った部品が
国外のメーカーに出荷される前に、
物流が止まる可能性がある。」
社員たちは黙って聞いていた。
「だから、
注文の少ないラインは一時停止する。」
「その分、
できるだけ“工場の中の仕事”を
みんなに振り分ける。」
「給料は――
すぐにゼロにはしない。」
ざわめきが広がる。
「ただし、
ボーナスは約束できない。」
「それでも、
うちは“最後の一日まで”
給料の支払いを止めないつもりだ。」
一人のベテラン作業員が、
ぽつりと言った。
「社長。」
「もし、本当にここらへんに
落ちることになったら……」
「俺たち、
どうしますかね。」
社長は、
少し笑った。
「その時は、
“工場を避難所にする”ってのはどうだ。」
「機械どかして、
布団でも敷いてさ。」
「うち、
天井だけは高くて丈夫だからな。」
笑い声が、
少しだけ戻ってきた。
(“何もしないで終わる”のだけは、
いやだな。)
(せめて最後まで、
ここが誰かの役に立ってほしい。)
《警視庁・会議室》
モニターには、
ここ数日の犯罪発生件数のグラフ。
「コンビニ・スーパーへの強盗、
再び増加傾向です。」
「特に“閉店間際”“深夜二時~四時”の時間帯、
件数が目立ちます。」
「動機のほとんどが
“生活費に困った”“将来が見えない”など、
隕石を理由にした自暴自棄です。」
上司が、
額に手を当てる。
「“どうせ世界が終わるから”と言って
罪の重さが軽くなるわけではない。」
「ただ、
今までギリギリ踏みとどまっていた連中が
一歩踏み出しやすくなっている。」
「その空気が一番厄介だ。」
別の資料が映される。
「SNS上で“日本脱出”を煽る詐欺も
増えています。」
「“安全な国への移住ルートを斡旋”
“確実に助かるVIPプラン”など。」
「実態は、
金を巻き上げるだけの
典型的な詐欺です。」
沈黙が落ちる。
(落ちてくるのは隕石だけじゃない。
人間の心の底に沈んでたものも、
どんどん落ちてきている。)
《総理官邸・状況室》
スクリーンには、
JAXAと警察庁、厚生労働省、文科省、外務省からの
短い報告が並んでいた。
藤原危機管理監がまとめる。
「隕石コリドーに関する
“科学的な変化”は、
本日も大きくはありません。」
「一方で、
社会の変化は確実に
数字に出始めています。」
「治安悪化、
学校の欠席率増加、
精神疾患の急増、」
「そして“日本脱出”を巡る
詐欺やトラブル。」
サクラは、
資料に目を落としながら言った。
「隕石そのものじゃなくて、
“隕石が来るかもしれない社会”に
人が壊されていく。」
「前から分かっていたはずなのに、
いざ数字で見せられると
やっぱりきついわね。」
白鳥レイナが、
オンライン参加の画面から口を挟む。
「首相。」
「プラネタリーディフェンスの専門家として
敢えて言います。」
「“宇宙の石”は、
人間の心の動きなんて
気にしてくれません。」
「でも、
“心が壊れた社会”は、
落下の瞬間に
被害を何倍にも増やします。」
「避難指示が出ても従わない人、
デマを信じて逆方向に走る人、
略奪で避難所が機能しなくなるケース。」
「そういうものが
いちばん怖い。」
サクラは
画面を見つめた。
「……だからこそ、
毎晩マイクの前に立ち続ける意味が
あるのね。」
「“今どこまで分かっているか”を
正直に伝えて、」
「“今やらなくていいパニック”と
“今から始めた方がいい準備”を、
できるだけ切り分ける。」
田島外務大臣が、
別の資料を示す。
「海外からも、
“日本は何をするつもりだ”という
問い合わせが増えています。」
「“日本が落下コリドーの中心に近いなら、
覚悟を示すべきだ”という声もあれば、」
「“もし本当に落ちるなら、
事前に一部の人間だけでも
国外に避難させた方がいいのでは”という
同情的な声も。」
佐伯防衛大臣が、
短く言う。
「どちらにせよ、
世界が“日本の選択”を
見ているのは間違いありません。」
サクラは頷いた。
「だったら私は、
“逃げないこと”よりも、
“誰も置き去りにしないこと”を
優先して選びたい。」
「そのために、
毎晩の会見で
何度でも同じことを説明する。」
「うるさいくらいに。」
《とあるネットカフェ・個室》
薄暗いブースの中。
モニターには
ニュースサイトとSNSが
いくつも開かれている。
城ヶ崎悠真は、
ヘッドホン越しに
サクラの会見アーカイブを聞きながら、
くしゃくしゃになった茶封筒を
指先で転がしていた。
数週間前まで、
その中には黒いUSBメモリが入っていた。
中身は、
JAXA内部でもごく一部しか知らない
初期の軌道確率データと、
上層部が握りつぶそうとした
議事録の断片。
(あれはもう、桐生の手の中だ。)
(“世界に出してしまった真実”であり、
“俺が引き金を引いた時間”でもある。)
封筒はもう空っぽだ。
それでも城ヶ崎の指先には、
あのUSBの重さだけが
いつまでもこびりついているように感じられた。
(もし、あのデータを出さなかったら――)
(たぶん、政府は
もっと長く黙っていただろう。)
(でも、
“オメガなんて知りませんでした”って言って
死んでいく人たちも
きっと大勢いた。)
(じゃあ、
早く出せばよかったのか?)
(Day100の時点で、
あの“高すぎる確率”を見た瞬間に。)
(そうしたら、
もっと準備する時間が増えて、
今よりマシな世界に
なってたのか?)
モニターのニュースが、
オメガ・コリドーにある各国の混乱と
略奪、暴動、
黎明教団の拡大を
淡々と読み上げていく。
(違う。)
(どのタイミングで出しても、
誰かは「遅すぎる」と言うし、
誰かは「早すぎる」と言う。)
(結局、
全部“俺がやったこと”として
上から貼り付けられてるだけだ。)
ヘッドホンから、
サクラの声が聞こえる。
『――“知らなかった”という人を
一人でも減らすこと。』
『それが、
今の私にできる
いちばんの責任の取り方だと
思っています。』
城ヶ崎は、
椅子の背にもたれた。
(あの人は
毎晩顔を出して、
責任を取ろうとしてる。)
(俺は、
名前も顔も隠したまま、
石を投げて逃げた。)
(それでも、
あのUSBを出したこと自体は
間違いじゃなかったと
思いたい。)
(……問題は、
“今の俺”だ。)
空っぽの封筒を握りしめる。
(オメガの初期ログ、
あの揺れ方を知ってる人間は、
世界中でもそう多くない。)
(コリドーのクセ、
観測網の穴、
上の連中が見たくなかった数字。)
(本当は、
その経験を“次の一手”に
使うべきなんじゃないか?)
(JAXAに戻ることは、もうできない。
戻ったところで、
“裏切り者”として扱われるだけだ。)
(じゃあ、
桐生に全部ぶちまけて、
記事にしてもらうべきか?)
(それとも、
匿名でJAXAかIAWNに
技術メモを投げるか?)
(それとも――
何もしない方が
むしろ世界のためなのか?)
指先に力が入る。
紙が、くしゃりと音を立てた。
(“真実を暴くこと”が
俺の存在意義だって
ずっと思ってきた。)
(でも今、
この先の一手を間違えたら、)
(本当に誰かを
殺すことになるかもしれない。)
まだ、
キーボードには手を伸ばさない。
封筒だけが
汗で少し湿っていく。
(…今の俺にできることは、
本当に“何もしないこと”なのか。)
(それとも、
“もう一度だけ”
何かを世に出すことなのか。)
答えはまだ、
どこにも転がっていなかった。
Day22。
オメガ予測落下日まで、あと22日。
宇宙の石の軌道は
数学で説明できても、
その下で
仕事に行く人、やめる人、
国を出る人、残る人、
壊そうとする人、守ろうとする人の
動きは、
どんなシミュレーションにも
ぴったりとは収まらない。
プラネタリーディフェンスは、
いつの間にか
ロケットの打ち上げや軌道計算だけではなく、
「壊れかけた日常を
どこまで持たせられるか」という、
地上の小さな選択の積み重ねに
姿を変えつつあった。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.