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第118話:社会保険料の波、再び〜等級MAXの絶望と、四十歳の虚無〜
北海道、帯広市。
築三十年のボロアパート、新たに契約した「202号室(通称:第一会議室)」。
家賃三万二千円のその部屋は、越してきたばかりで家具一つなく、ただ畳の上に書類の詰まったダンボールがポツンと置かれているだけだった。
俺、株式会社インフィニティ・ワン代表取締役・秋谷雪(四十歳)は、その何もない部屋の真ん中で、パイプ椅子に腰掛け、呆然と壁を見つめていた。
「……なぁ、結愛(ゆあ)」
俺は、ワイヤレスイヤホンのマイクに向かって、魂の抜け殻のような声で呼びかけた。
『はい、ルシフェル社長。なんでしょうか』
「俺さ、何のために働いてるんだっけ……?」
俺の問いかけに、結愛は冷徹なタイピング音を響かせながら、容赦のない事実を突きつけてきた。
『国と地方自治体へ、滞りなく税金と社会保険料を納めるためです』
「身も蓋もねえええええ!!!」
俺は、パイプ椅子からずり落ち、冷たい畳の上に突っ伏した。
事の発端は、数十分前のこと。
来期の法人税(予測三千万円)を少しでも圧縮するため、結愛とジェミニ先生が「来期の役員報酬(俺の給料)の増額シミュレーション」を持ってきたのだ。
法人の利益を減らす最も手っ取り早い方法は、社長の給料を上げることだ。
ここまでは、俺でもわかる。
「おっ、給料アップか! (ついに)俺も底辺脱出だな!」と、俺は小躍りした。
しかし。
資本主義の罠は、常に【二段構え】で待ち受けているのだ。
『ルシフェル社長。法人税を圧縮するため、来期の社長の役員報酬を大幅に引き上げます。これにより、法人の利益は減りますが……』
ジェミニ先生がモニターに表示した、一枚の恐ろしいスライド。
『それに伴い、社長個人の【社会保険料】が、恐ろしい額に跳ね上がります』
「し、社会保険料……」
かつて、俺が法人成りした直後にブチ当たった、あの「年金と健康保険」の悪魔のコンボである。
「で、でもさ! 社会保険料って、給料が高くなればなるほど、天井(上限)があるって聞いたことあるぞ!?」
俺が必死に反論すると、結愛が氷のような声で肯定した。
『はい。おっしゃる通り、社会保険料には【標準報酬月額】という等級の上限が存在します。青天井に上がり続けるわけではありません』
「だろ!? なら、いくら給料が上がっても、ある程度のところでストップするはず……」
『ええ。ストップしますよ』
結愛は、無慈悲なエンターキーをターンッ! と叩いた。
『社長の来期の役員報酬額は、その【上限(MAX)】を軽々と突破します』
「…………え?」
『健康保険の最高等級、第50級。厚生年金保険の最高等級、第32級。……いわゆる【等級MAX】です。インフィニティ・ワンは、ついに社会保険料のカンスト(上限到達)を果たしました』
「か、カンスト……」
ゲームなら最高の達成感を得られる言葉だが、現実の税金システムにおいては、ただの死刑宣告でしかない。
『ピローン♪』
ジェミニ先生が、俺の脳を破壊するための詳細な数値をポップアップさせた。
『等級MAXとなった場合、ルシフェル社長の給与から毎月天引きされる社会保険料(個人負担分)と、会社が支払う社会保険料(会社負担分)の【合計額】をご報告します』
「言わないで!! 聞きたくない!!」
『毎月、約【三十万円】強が、社会保険料として吹き飛びます』
「さ、さんじゅうまんんんんん!?」
俺は、帯広の四畳半(正確には隣の部屋)で、絶望の叫びを上げた。
「月三十万!? 年間じゃなくて、毎月!? ってことは、年間で……」
『約【三百六十万円】です。これが、健康保険と厚生年金のために、インフィニティ・ワンから毎月確実に吸い上げられる固定費となります』
「さ、さんびゃくろくじゅうまん……っ!!」
俺の目の前が、真っ暗になった。
年間三百六十万円。
俺がかつて、コールセンターで精神をすり減らして、一年間フルタイムで働いて、ようやく稼げるかどうかという金額。
それが、俺一人の『保険証』と『将来の年金』のためだけに、消えていく。
「おかしいだろォォォ!!」
俺は、畳をバンバンと叩きながら泣き叫んだ。
「俺は今でも、毎日スーパーの半額弁当か、150円のみそラーメンしか食ってねえんだぞ!?
病院なんて、四十肩の湿布もらうために近所の整形外科に月に一回行くかどうかだ!!」
『社会保険料は、医療機関の利用頻度には依存しません。稼いでいる人間から多く徴収し、社会全体を支えるためのシステムです』
結愛の正論が、俺の心に冷たい刃のように突き刺さる。
「支えすぎだろ!! 俺一人の保険料で、一体何人のじいちゃんばあちゃんを支えてるんだよ!!
こんなの、罰ゲームじゃないか! 稼いだら稼いだ分だけ、税金と保険料でボコボコにされるのかよ!!」
『それが、我が国の累進課税と社会保険システムの現実です。社長が「一億円プレイヤー」の領域に足を踏み入れた代償です』
「一億円の売上なんて、全部数字の上の幻じゃないか!! 俺の手元には、全然現金が残らねえんだよ!!」
俺は、本当に泣きそうになっていた。
法人税で三千万持っていかれ。
社会保険料で年間三百六十万持っていかれ。
さらに、役員報酬を上げれば、今度は個人の【所得税】と【住民税】が、恐ろしい税率(最高45%など)で襲いかかってくる。
頑張って配信をして。
二十五万人の前で恥を晒して。
喉を枯らして一千万、一億と稼いでも。
国と自治体が、「はい、半分以上いただきますね」と、無慈悲に刈り取っていくのだ。
「……結愛」
『なんでしょうか』
「俺、法人成りした時、社会保険の壁にぶち当たって……『もう個人事業主に戻りたい』って言ったよな」
『はい。その際は、私が「後戻りは許しません」と申し上げました』
「今、もう一回言わせてくれ。……俺、ただのニートに戻りたい」
四十歳の底辺社長は、完全に心が折れていた。
「朝7時に起きて、体調悪いままVTuber見て、いいね押して……誰にも期待されず、税金も最低限しか払わなくてよかった、あの頃に戻りたい……っ」
『……社長』
結愛のタイピング音が、ピタリと止まった。
『弱音を吐くのは自由です。しかし、社長はもう、あの日々には戻れません』
「なんでだよ……」
『あなたがあのコラボ配信で、二十五万人の前で「1行目」を書き上げたからです』
結愛の声は、いつもの冷徹さの中にも、確かな熱を帯びていた。
『あなたの泥臭い生き様にお金を払い、応援してくれた人たちがいます。そして、あなた自身が、自分の手で新しい物語を紡ぎ始めた。……逃げることは、私が許しませんし、視聴者も許しません』
「結愛……」
『それに』
結愛は、フッと鼻で笑うような声を出した。
『ニートに戻ったところで、過去の稼ぎに対する「住民税」と「国民健康保険料」の容赦ない請求が届き、一瞬で自己破産ですよ』
「結局金の話かよ!! 逃げ道ゼロじゃねえか!!」
俺は、涙を拭いながら、力なく笑った。
そうだ。
もう、サイコロは振られたのだ。
俺は、社会保険料の「等級MAX」という、資本主義のバケモノと戦い続けなければならない。
稼ぐしかない。
税金と保険料で半分以上持っていかれるなら、その倍稼ぐしかないのだ。
「……にゃーん」
ふと、開け放たれた201号室のドアから、茶トラ猫のヨモが、トコトコとこの何もない第一会議室に入ってきた。
ヨモは、冷たい畳の上に突っ伏している俺の顔の前に座り、「しっかりしろよ、おっさん」と言わんばかりに、ザラザラとした舌で俺の鼻の頭を舐めた。
「痛っ……! わかってるよ、ヨモ。お前のちゅ〜る代も、国に持ってかれる前に俺が死ぬ気で稼いでやるよ」
俺は、のろのろと体を起こし、パイプ椅子に座り直した。
社会保険料の波。
それは、何度でも、形を変えて、俺たち経営者に襲いかかってくる。
「……よし。やってやろうじゃねえか。等級MAXだろうがなんだろうが、俺が全部払ってやる!!」
帯広のボロアパート、新たに借りた何もない部屋で。
四十歳の底辺社長は、再び迫り来る絶望(固定費)に立ち向かうため、重い腰を上げたのであった。
コメント
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うわ、等級MAX到達おめでとうございます……って違う、これマジの地獄やつだ!!笑 月30万が社会保険料だけで吹き飛ぶの、マジで現実のホラーすぎる… 「ニートに戻りたい」って叫ぶ社長の気持ち、わかるよ〜〜 でも結愛の「もう戻れない」って言葉に胸ぎゅっとなった。ヨモの舐め励ましも可愛いし、また頑張ろうって思えるラスト、好きです🥀✨