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ん?と、劉備は耳を澄ませた。
「……先生、何やら、外が騒がしい。うちの二人がご迷惑をお掛けしているのでは……」
「ですから、あなた様が、外に待機させたのでしょう?何かあってはならぬと」
孔明の、動じない姿に、劉備は舌を巻いた。
これは、使える人間だ。この集中力と度胸。戦場《いくさば》に、一人でも居れば、兵の統率が取りやすい。
軍師──。
そんな言葉が、劉備の頭に浮かんだ。
二人は、あれから、あーでもないこーでもないと、月英の残して行った、棗を、まるで、駒の如く皿の上で、移動させながら、領土というものを手にする方法を語り合っていた。
そこへ、本物の落雷よりも、激しい、張飛の叫びが──。
劉備は、一瞬にして、何事と、表へ飛び出す勢いになったが、孔明に、引き留められた。
「大丈夫です、劉備様。黄夫人がいますから、私達の出番などないはずです」
気もそぞろの、劉備に、孔明は言った。
なかなか、痛い所を突く。こうゆう所も、使える男だと、劉備は思う。
軍議が困窮した場合、一言で、切り崩し、収める役がいると、必要のない身内通しのぶつかり合いも起こらない。
やはり、この男──諸葛亮を、逃してならぬ。
劉備は、改めて、痛感した。あれこれあったが、三度訪れてよかった。そして、遅蒔きながら、自分のいたらなさと、いざというときの支持者である、名士の扱い方も、あの、侍女に気づかされた。
と、いうより……。あの、女人は……。
「先生、奥方の、黄夫人とは……」
余計なこと、と、一喝される覚悟で、劉備は孔明に尋ねた。
「あっ、黄夫人ですか?それは、それは、機知にとんだ方で、時々、叱られますがね、あの才は、そうとうなものです。私など足元にもおよびません」
と、嬉しげに、孔明は、妻の事を語っている。
──惚気か?!
劉備は、唖然とした。
「うわー!!張飛ーー!」
今度は、更に、切迫した声が、聞こえてきた。
劉備と孔明は、思わず顔を見合わす。
「うーん、これは、覗いた方がよいのでしょうかねぇ。でも、黄夫人に、見つかったら、劉備様と話は終わったのか、とかとか、なんだか、咜られそうですし……」
先程の気迫は、どこへ。妻の悋気を恐れ、オロオロしている孔明に、劉備は思わず噴き出した。
「先生、私もおります。咜られるなら、二人で、咜られましょう。どうも、外の騒ぎが、大きくなっているような気がしてなりません。確かめてみるのも、策の内だと思いますが?」
「……なるほど!策!!行きましょう、ええ!これは、行かねば!!」
言って、孔明は、駆け出す。
まるで、子供のような振る舞いに、劉備は、更に噴き出した。
「い、いやーー!なんですかーー!!!」
孔明が腰を抜かすかの、声を上げている。
「いかん!また、あいつらは!」
きっと、張飛がやらかしたのだろう。関羽に、見張っておれと、あれほど言いつけておいたのに。
劉備は慌てて外へ向かった。
そして、劉備は、呆然と立ち尽くす。
「わあーー!!張飛!!やるなぁーー!」
「おう!童子の為よ!」
言って、ぶはーっと、息を吐く。
すると、火が立ち昇る。
張飛は、火吹きを行っていた。
手に持った松明に、口から酒を吹き掛けると、松明は、一気に燃え上がり、大きな火柱が出来上がる。
やんや、やんやと、一同は、張飛の技に拍手喝采。調子に乗って、張飛は、火吹きを続けた。
「おい!張飛!危ないぞ!いい加減にしろ!」
突然の劉備の声に、張飛が、うっかりよそ見した瞬間、その、髭に、火が燃え移った。
うわあーー!と、皆、慌てて、火を消せ、水だ、なんだと、慌て始める。
「こ、こ、これ、これを!」
「ばか!童子、それは、酒壺だ!」
「あー、私が水を汲んできましょう!」
「旦那様では、途中で転んで水をぶちまけるのが、関の山!」
ええーーい!と、月英が、側においてあった、漬け物壺を、張飛めがけて、ぶちまけた。
うわっ!
と、張飛は叫ぶが、松明の火は消え、髭に燃え移った火も、消えた。
頭から、白菜の塩漬けを被った、張飛は、目を白黒させながらも、頭に乗っかった白菜を、かじりつつ、うん、なかなかいける。などと、呑気に言っている。
「張飛!!!」
劉備は、怒り心頭だった。
こんな、バカなことをしでかして、きっと、先生に見放される。
ところが──。
ワハハハと、皆、大笑いし始める。
「もう、どうなることかと思いましたが、良かったこと。髭も、燃えて、ちょうど良い長さになりましたわ、ちょっといびつですけど、ねえ、旦那様?」
突然、月英にふられた、孔明は、うーん、と、唸りながら、関羽と張飛を見比べる。
「あー、やはり、髭は、長い方が良いのでしょうか?なんとなく、迫力がでますよ?黄夫人」
「そういえば、旦那様も、劉備様も、どちらかといえば、薄い方ですわねぇ。仲良くなれるんじゃ、ございませんこと?」
おおー、髭仲間か!と、白菜をかじりながら、言う張飛を関羽が、思い切り小突いた。
「兄じゃー、痛いじゃないですかー、おお、白菜、そうじゃ、兄じゃもどうですか?」
頭に乗っかっている、白菜を取り上げると、張飛は、関羽へ勧めた。
「そんなもの、食えるか!」
「あーー!関羽、そんなものとはなんだっ!!均様が、漬け込んだものだぞ!」
「……では、童子よ、お前が、食べてみろ」
関羽の一言に、童子は、返事に詰まる。
「まあまあ、なんでも、よろしいじゃ、ないですか、張飛様が火だるまにならなかったのだから」
おお、そうじゃ、そうじゃ、と、張飛は、相変わらず、白菜をかじりながら、月英の言葉に乗っかった。
「でも、おかげで、漬け物壺、一個分、おじゃん、そして、もうー、いやだわ、つけ汁で、手が、べとべと、あら、衣も濡れちゃってるし、匂いが、移ってるー!!!」
いかん!
孔明と均が、同時に呟いた。
「黄夫人、そ、そうだ、湯に浸かられたらいかがですか?衣も着替えば、よいのでは?」
「わかってますわよ!そのくらい!それより、こんなところに突っ立って、旦那様、劉備様とは、仕官のお約束をいたしましたの?!」
「仕官、ですか?」
「何言ってるんですか?!今まで何の話をしていたのですっ?!」
月英の怒りは、徐々に、大きくなって行く。
「いや、はい、ですから、色々と、話を」
「だったら、さっさと、お仕えしてらどうですの?!」
いや、まあ、まあ、そう、お怒りにならず、と、均が、なんとか、なだめようとしている。
その、光景に、劉備は、またまた、噴き出した。
孔明の師匠である、司馬徽《しばき》が、言っていた、まだ、雛であるというのは、この事か。
しかし、確かに、この者こそ、本命だといえる。
あの、侍女と、思い込んで、いや、思い込まされていた女人が、奥方であるのは、もう、確かな事。そして、あの聡明な才覚は、ただ者ではない。その者を妻とする諸葛亮という男……。
「先生、ぜひとも、お力をお借り出来ませんか?」
「……力、ああ、力仕事は、均の方が得意なんですけれど」
旦那様、と、月英が孔明を小突く。
くくくく、と、劉備は笑った。
この実直な性格が、何より気に入った。
申し分ない。この、諸葛亮という男とならば──。
劉備は、ふと、空を見上げた。雲ひとつなく、晴れ渡っていた。
この晴れ渡る空のように、世を統治することができたなら、いや、きっと、出来るはずだ。
雛ではあるが、伏竜鳳雛《ふくりゅうほうすう》を、見つけたのだから。
──西暦207年、孔明27歳の時こと。この出会いから、約20年の後《のち》、劉備は、蜀漢《しょくかん》を、建国。孔明を宰相とし、自らは、蜀の、皇帝の座に着くことになる。