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「ほら、この袴とか良いではないか」
呉服屋で、北斗が樹に商品を見せている。自身のものはとっくに決めたようだ。
「いや…俺はさ、装束がある…」
声を潜めて云う。
「まあそうだけども。というか、諜報の仕事とか来ていないのか?」
「おまえ、こんなとこで云うなよ」と咎める。
「あれだけ着るわけでもないし、たまには新調したほうが良いぞ。それ、何年着ているんだ」
さあ、と首をひねる。「忘れた」
「はぁ…。まあよい、今日は俺の羽織だけにしよう」
と会計に向かいかけたとき、後ろから声が聞こえてきた。
「相済みませぬ」
その少し高い声に振り返ると、男性が立っていた。
「馬乗り袴を探しているのですが、これで合っていますか?」
ああ、と北斗が答える。
「これは行燈袴です。それならばこちらだと存じますが」
棚を指さす。男性はそれを手に取り、
「か、かたじけない」
少したどたどしい口調で云ってお辞儀し、去っていった。
「……何だろう」
「京に慣れていないのじゃ?」
そうかな、と樹は首を捻る。
「武士のようではなかったような…」
つぶやいてから、
「では俺は外で待っているぞ」
そう云って北斗を残して店を出た。
樹が外の通りに出ると、後ろからあの声がした。
「先程は有難うございました」
振り返ると、さっきの男性が腕に麻袋を掛けて立っていた。
「いえ。礼には及びませぬ。…勘定は済ませたのですか」
男性はうなずいた。
「実は、町が初めてで…。こういう場所は来たことがないもので」
そうなんですか、と返す。
「どちらの出ですか?」
そう問うと、彼は云い淀んだ。「……それが…」
樹の耳元に顔を寄せ、
「口外は控えていただきたいのですが、実をいいますと私、公家でして」
えっ、と驚く。樹はさっと辺りを見回して、
「…如何して此処に?」
「武士になりたいんです」
そう言って口角を上げた彼の笑みは、どこか不思議で危うかった。
その男性は名を大我といった。大我によると、中級ほどの位だったらしい。
「あの、因みにこの近くで剣術を習える場所はご存知ですか。折角だから腕を磨きたくて」
それなら、と樹の声の調子が上がる。
「私が行っている道場をご紹介しましょうか。先ほどの連れも同じところでやっているんです」
「そうなんですか! 是非ともよろしくお願いします」
すると、店から北斗が出てきた。
「…あ」
樹は、北斗に大我を道場に連れていく旨を伝えた。
「そうなんですね。構いませんよ」
道中、三人は自己紹介を交わす。
「私は田中樹といいます。この松村北斗って奴といつも一緒にいて」
「そうなんですか」
「ほかの道場の仲間は、森本慎太郎。新選組の隊士です」
すごい、と大我の目に明るい光が映る。「新選組って、京で浮浪武士やらを斬っている人たちですよね。俺は弓しかできないからな」
「弓、ですか」
聞き返したのは北斗だ。
「ええ、流鏑馬です。宮中にいたころは、小さい時から鍛錬させられていましたから。でも刀のほうはいまいちで」
「宮中?」
樹は、北斗に耳打ちした。「内裏だろう。お公家だったらしい」
「誠か」
大我は、微苦笑するのみである。
「まあ…とりあえず、道場でゆるりとするが良い。話はそれからであろう」
続