そんな生活は、僕が17歳になるまで続いたが、いつも通り一ヶ月に一回、ふっかさんと河川敷で唐揚げを食べていたとき、ふっかさんは突然僕に言った。
「なぁ、明日から別のこと手伝って欲しいんだけどさ、時間ある?」
「うん、あるよ?明日は土曜日だし。一日中暇だよ」
「なら、明日の十時、屋敷に来て」
「え!?屋敷に!?や、屋敷ってあの屋敷?!」
「屋敷屋敷うるせぇな!落ち着けって!」
「だって僕、ずっとあそこでふっかさんと一緒に働きたかったんだもん!」
「そうかよ…ったく…、結局お前は、ずっと俺のとこにいたな」
「ん?」
「まぁ、まだ時間はあるか…」
やっとここまで来れた。
それが心からの感想だった。
ふっかさんみたいな人になりたい。
そう思った憧れは、歳を重ねるごとに徐々に変化していって、いつの間にかふっかさんと一緒に仕事がしたいと、そう思うようになった。
ふっかさんと出会って、商店街のみんなが僕を受け入れてくれて、そのうちに僕は僕のことを心から好きになれるようになった。
みんなが僕を大切にしてくれるから、僕も僕を大切だと思えるようになった。
簡単に言えば、自信がついたんだ。
かつて、たった一人の友達とのすれ違いで萎れてしまった自尊心が「いのちの水」に触れたことで息を吹き返したような、そんな感覚だった。
憧れや尊敬だけでは、もう物足りなかった。
いつか一緒に。
認めてもらえた時は対等に。
もっと近くで、なんなら肩を並べて。
そんな風に、僕の目標はとどまるところを知らずに、ぐんぐんと大きくなっていった。
そして、ついにその夢に辿り着くことができたのだ。
普段ふっかさんが、一日のほとんどを過ごしている場所で一緒に仕事ができる。
また誰かの役に立てる。
それだけで嬉しくて、胸がいっぱいだった。
「最近のお前は楽しそうだねぇ。何かいいことでもあったのかい?」
その日の夜、自宅でご飯を食べていると不意におばあちゃんからそう聞かれた。
僕は新しい出会いの全てを包み隠さず話した。
「そうかい。それはいいことだねぇ」
僕の話が終わると、おばあちゃんはそれだけ言った。
怒られるかもしれない、と内心思っていたこともあって今までずっと言えなかったが、おばあちゃんは表情ひとつ変えなかった。
「僕がヤクザの人と仲良くしてるの、怒らないの?」
「あの方達は昔から、あたしらのことを大切に扱ってくれる。外身なんて関係ないんだよ。お前の心があの方々の方へ向くなら、それに従えばいいのさ。それもお前の人生だよ」
「うん。僕、ふっかさんのこと大好きなんだ。あ、それでね、明日は宮舘組の屋敷に来てって言われたから、朝から出かけてくるね」
「うん。気を付けて行くんだよ」
「わかってるって!僕、もう高校生だよ?そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「あたしには、まだあんたが赤ん坊に見えるよ」
「えー!うそぉ!」
ご飯を食べ終わったあばあちゃんは、熱いお茶を啜りながら、僕にそう言った。
指定された時間に宮舘組の大きな屋敷の前に行くと、門の前にはふっかさんが立っていた。
僕の姿を見つけると、その手をひらひらと振ってから僕を中に入れてくれた。
肝心の仕事内容について尋ねると、ふっかさんは「頭の良いお前にぴったりの仕事」とだけ言った。
案内された部屋に入ると、中には頭を抱えて唸っている男の人がいた。
それが、後に僕の上司になる、現在進行形で僕の話を真剣に聞いてくれている阿部ちゃんである。
あの頃の阿部ちゃんは、毎日怒っていて、ピリピリしていて、大きな声を出さない日は無かった。
ただ、僕には優しかった。
阿部ちゃんは理由もなく怒る人ではない。
いつだって阿部ちゃんを怒らせる元凶がいたのである。
それが、今の阿部ちゃんの二人の彼氏。
彼らの行動は、好きな子を揶揄いたくて仕方ない小学生男子にしか見えなかったので、側から見ているこちらとしては、そのやりとりはかなり面白かった。
結局ふっかさんから仕事内容についての説明は無かったが、なんとなく阿部ちゃんの手伝いをすることだけは分かった。
僕は「ラウールです!よろしくお願いしまーす!」と阿部ちゃんに挨拶をしてから、空いていた席に座った。
阿部ちゃんは「じゃあ、まずは伝票整理お願いしてもいいかな?」と言いながら、僕にレシートの束を渡してきた。
「はーい!分け方は決まってるの?」
「うん。裏に名前が書いてあるから、それごとに分けてくれたら嬉しいな」
「はーい!」
僕は阿部ちゃんに言われた通りにレシートの裏を見ながら、それを六種類に分けていった。
名前毎に分けるだけでなく、日付順に並べたほうが阿部ちゃんの仕事がやりやすくなるかもしれないとも思い、今度は表を確認していった。
そして作業も終盤に差し掛かった頃、僕の目は二枚のレシートに釘付けになった。
それは近くの本屋さんで印字されたものだった。
あそこのおばあちゃんと店番の三毛猫がとっても可愛くて、僕はついついそこに立ち寄っては癒されていたのを、ぼんやりと思い出す。
あそこのおばあちゃんは、僕が帰る時、決まって黒糖の飴玉をくれるのだ。
しかし僕はこの時、おばあちゃんのことも三毛猫のことさえ霞むくらいに、レシートの内容が気になって仕方がなかった。
どうしても聞きたかった。
この組織がどんな活動をしているのかは知らなかったが、こうして阿部ちゃんが真面目に働いている以上、ちゃんとした営業をしていることは間違いないだろう。
だからこそ、知りたかった。
「何故こんなレシートが出てくるのか」と。
パソコンに向かって真剣な表情をしている阿部ちゃんの邪魔になってしまうかもしれない。
しかし、僕は湧き上がる好奇心を抑えきれないまま、遠慮の色だけは一身に滲ませて、 恋がどうたらと書かれたHow To本のレシートと、ツンデレ?がなんたらと刻まれた漫画のレシートは、経費で落ちるのかと阿部ちゃんに尋ねた。
阿部ちゃんは、カタカタと鳴らしていたキーボードの音をピタッと止め、三秒くらいの沈黙の後に、 「……ラウール、めめと佐久間呼んできてくれるかな?」と微笑みながら言った。
正直、「顔知らないんだけど…誰…?」とは思ったが、ふっかさんに聞けばいいかと思い直し、「はーい!」とだけ返事をして、部屋の外へ出た。
「あれ絶対怒ってるよなぁ…」
長い廊下を歩きながら、ぽそっと呟いてみた。
それが証拠に、阿部ちゃんの頬はピクピクと痙攣していた。
働くって大変なんだなぁ、なんて呑気に考えながらふっかさんに、
「メメさんとサクマさんって、どこにいるの?どんな人?」と尋ねた。
ふっかさんは「またか…。これ持ってけ」と言いながら、僕に耳栓を渡してきた。
何に使うものかは、その後すぐに分かった。
僕に連れられた二人は、スキップしながら部屋に入るなり、流れるように阿部ちゃんの前に正座した。
阿部ちゃんはメメさんとサクマさんと、二、三度言葉を交わした後、突然大きな声を出した。
僕はもらった耳栓をムギュッと耳に嵌め込んで、その様子をサイレントに眺めた。
なんだかパントマイムを見ているようで面白かった。
それから僕は、高校を卒業するまでは自分の家とこの屋敷とを行き来して、宮舘組で働いた。俗に言うアルバイトである。
本格的に屋敷の中で阿部ちゃんの仕事を手伝うようになってからは、ちゃんとバイト代も出た。
「お前は手伝いって言ってたけど、こっちはお前が来てくれてホントに助かってるし、お前の時間貰ってんだから、ちゃんと払わせて」
「好きでやらせてもらってるからいらないよ?」と初めてお給料をふっかさんから渡された時、ふっかさんは僕にそう言って、半ば強引に僕のポケットに茶封筒を突っ込んだ。
家に帰って中を見てみると、当時の僕からすれば持ったこともないくらいの量の茶色いお札が何枚も入っていてとても驚いた。
小銭もいくつか入っていたので、封筒を逆さまにして中身を全て出すと、メモ用紙のようなものが、一枚ひらひらと僕の膝元に舞い降りてきた。
その紙には、男性にしては綺麗な字で、
「一ヶ月ありがとう。お疲れ様でした。本当に助かってました。 阿部」
と簡素なメッセージが書かれていた。
電気屋のおじさんが急いで病院に向かったあの日と同じ感覚が、心を激しく高鳴らせているのを感じていた。
「ラウールも大変だったんだね」
「ん?僕、毎日とっても楽しかったよ?今もね」
「その中学校の頃の友達とはもう会ってないの?」
「うん、三年生の時にクラスも別れちゃったし、高校も別々だったから、そこで話すことも会うことも無くなっちゃった。でも、寂しくは無いかな」
「そうなの?」
「うん、人は出会うべき時に出会うし、別れるべき時は別れるようになってるって、僕はそう思うんだ。その子との縁はきっと、あの日までが「出会うべき時」だったんだって思うようにしてる」
「ラウールは大人だねぇ。っていうか、康二はまだ出てこないんだね」
「あ、ごめんごめん。ふっかさんとの出会いも、阿部ちゃんとの出会いも、僕にとっては大切なものだったから、話しておきたかったんだ」
「相変わらず口がうまいね 」
「でも嬉しいって思ってるでしょ?」
「まぁね。ラウールは俺の最初で最後の部下だって、そうなったらいいなって思ってるから」
「わぁ嬉しい!」
すっかり仕事モードが抜け落ちてしまった阿部ちゃんと、部屋を出て台所へ向かった。
今までも作業に行き詰まったとき、僕と阿部ちゃんはこうして仕事を抜け出していた。
「この間、どら焼き買ってきたの」
「いいね、それに合いそうな日本茶ビュッフェしようよ」
「賛成!和菓子には緑茶だよね」
「案外紅茶も合ったりするかな?」
「やってみる?」
「あり」
みんなには内緒。
僕と阿部ちゃんだけの、秘密のおサボり時間。
一生懸命も大事だけれど、たまには手を抜くことも大切でしょ?
やかんで沸かしたお湯を、大きな魔法瓶に流し入れて。
湯呑みを二つと、平たい小皿を二枚。
阿部ちゃんの部屋からは、秘蔵のお茶っ葉を。
僕の部屋からは、お気に入りのお菓子と最近気になった目新しいものを。
「翔太と坊も誘ってみる?」
「しょっぴーは案外、「仕事しないの?」って言いそうだね」
「その時はグミで釣る」
「きゃはは!阿部ちゃんナイスアイデア!」
「食べ過ぎて晩御飯食べられなくならないように注意しないとね」
「そこは任せて。康二くんのご飯ならいくらでも食べられる」
「若くて熱いコメントありがとう」
「阿部ちゃんのコメントは冷め切ってるね。ちゃんと話すから、ね?」
「なら良し。とりあえず可愛いちびちゃんたちを迎えに行こっか」
「はーい!」
僕と康二くんの話は、果たしてお茶菓子のお供になるのだろうか。
それに、阿部ちゃんにはあまり参考にならないような気もしている。
だって…ね?
よく考えれば、阿部ちゃんにだってあの二人が譲らなかった理由は分かりそうなものだろうに。
恋とは恐ろしいものである。
頭の良い阿部ちゃんでさえ、「分からない」と匙を投げてしまうものなのだから。
かくいう僕も、その引力に逆らえずに、いや逆らうつもりも毛頭無かったが、こうして日々恋をしているわけだから、そう人の恋愛についてとやかくは言えないだろう。
特訓を終えて、坊の部屋に戻った翔太と、お昼寝から起きたばかりの坊を攫って、僕たちはまた仕事部屋へ戻った。
案の定「仕事しないの?」と尋ねてきた賢いしょっぴーに、最近発売されたソーダ味のグミを渡し、僕たちの秘密の時間に目を瞑ってもらった。
ミルクせんべいを口いっぱいに頬張る坊を恍惚の表情で眺めながら、阿部ちゃんは「それで、続きは?」と、当然だと言うように、僕にその先を促した。
続
コメント
4件
続きが楽しみすぎる!!!!🫣🫣🫣

良いお話をいつもありがとうございます