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新社名が刻まれた名刺は、まだインクの匂いがした。
『株式会社テックフルネス・アソシエイト』。
リーディングカンパニーという傲慢な看板を捨てた彼らが、その初仕事として受けたのは、自治体からの紹介による「ある独居老人の生活支援」だった。
■ 現場への急行、ふたたび
港区の喧騒から少し離れた、古い公営団地。
月影真佐男は、最高倫理責任者という肩書きをポケットにしまい込み、再び現場に立っていた。隣には、新設された『AIサービス総合センター』の責任者、臼井マネージャー。そして、実務を担うエース、星あずさがいる。
「……あずささん、準備は?」
「万全です。絶縁シート、電磁波チェッカー、そして――」
あずさは、叔母のふみえから預かったという、古びたお守りのような小さな袋を叩いた。
「『適切な距離感』という名の覚悟、持ってきました☆」
三人が訪ねたのは、八十歳になる佐藤という男性の部屋だった。
彼はかつて『溺愛プラン』のテストユーザー候補にされかけていた人物だ。佐伯体制下では「孤独に付け込み、AIに依存させて高額な延命契約を結ばせる」ターゲットとされていた。
■ 「AI執事」の初起動
「……マルトクの人か?」
ドアの隙間から、佐藤が不信感を露わにする。
「いいえ、佐藤さん。私たちは『テックフルネス』です。……あなたを助けに来たのではありません。あなたの日常を、少しだけ『便利』にしに来ました」
月影の穏やかな声に、佐藤は少しだけ毒気を抜かれたようにドアを開けた。
室内には、かつて旧・開発部が無慈悲に送り込んだ、バグまみれの借家対応の少々小ぶりな旧型K-17端末が、埃を被って放置されていた。
あずさが手際よくその端末を回収し、井筒治貞が監修した新型の「AI執事ユニット」を設置する。
「この子は、あなたに愛の言葉は囁きません。ただ、薬の時間を教え、冷蔵庫の賞味期限を管理し、あなたが一番好きなあのバラエティ番組を録画するだけです。……それ以上は、なにもしません」
《じつは前もって調べといたんだ。刺さった♪》
あずさがユニットを起動させる。
そこから流れてきたのは、合成音声特有の不自然さをあえて残した、落ち着いた声だった。
『おはようございます、佐藤様。今日は、散歩にちょうど良い気温ですよ』
佐藤は目を瞬かせた。以前の端末のように「サトウサン、愛しています」とも「あなたの味方です、サトウサン」とも言わない。ただ、窓の外の天気を伝えてくれるだけの機械。
「……なんだ。寂しいやつだな。けっこう良 (い)い加減がよかったのにネ」
「ええ。寂しいのが道具ですから。……その代わり、あなたを裏切ることもありません」
臼井が微笑んで、操作用の簡素なタブレットを佐藤に手渡した。
■ 絶縁と充足の形
作業を終え、団地の廊下に出ると、春の夕暮れが街をオレンジ色に染めていた。
「月影さん、これで良かったんですよね。売上も、依存度も、以前に比べれば微々たるものですけど……」
臼井が少し不安げに尋ねる。
「ああ。これが本来の姿だ、臼井。……道具が人間を救いすぎちゃいけない。救うのは、あくまで自分自身であるべきだ」
月影はスマホを取り出し、一件の通知を確認した。
差出人は、村田孝好。
『月影さん、お疲れ様です。僕のいる世田谷の静かな地区でも、テックフルネスの評判が届き始めました。……道具が“出しゃばらなくなった”って、担当してるシニア層の方々が喜んでいますよ』
月影は返信せずに、ただ画面を見つめてフッと笑った。
村田は村田の現場で、
バルトラインは経営という現場で、
井筒は技術という現場で。
それぞれの「絶縁」を保ちながら、確かな「充足 (フルネス)」を共有している。
「さあ、帰ろう。……明日は、あのハヤトくんと野村花子さんの『個人契約更新』の監査だ」
「あずささん、あのお二人、相変わらずなんですか?」
「ええ、もう! 花子さんがハヤトくんに『合理的じゃない掃除の仕方』を説教してて、ハヤトくんが嬉しそうに反論してましたよ☆」
笑い合う三人。
かつての「マルトク」という鉄の檻から解放された彼らの足取りは、驚くほど軽やかだった。
夜の帳が降りる頃、テックフルネス・アソシエイトの小さなオフィスには、一つの明かりが灯り続けていた。
それは、世界を変えるような強烈な閃光ではない。
ただ、誰かの孤独な夜を、そっと照らすための、ささやかな豆電球のような光だった。
(シリーズ完結。お疲れさまでした)
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