「おじゃまします。」「えっと、まずはそのまままっすぐ進んで。リビングだから。私はちょっと着替えてくる。」
「うん。わかった。」
「あ、おかあさんいるけどきにしなくていいからね。」
いるのか、緊張するな。
今日は、忽那さんの家に遊びに来た。遊びに来たといっても目的はテスト勉強なんだが。彼女は記憶を失っているので、数学や英語など積み重ねて覚えていく教科が苦手だ。僕もそこまで勉強ができるわけではないがすこしは役に立てるだろう。忽那さんの家は大きく裕福なかていだったことがうかがえる。白い壁の二階建ての一軒家。とてもきれいな家で掃除がしっかりしてるのだろう。
扉をあけてリビングに入る。全体的に城を基調とした家具が並んでおり、統一感が感じられる。だが、うちが変なだけかもしれないが、物があまりにも少ない気がする。なんだろうこの違和感は。
「あ、赤瀬君?いらっしゃい。」
奥のキッチンのほうから忽那さんによく似た女性が出てきた。彼女が十中八九忽那さんのお母さんだろう。
「はい。おじゃましてます。今忽那さ、あ、花火さんは着替えてくるらしくてリビングで待っておいてといわれました。」
忽那さんだとややこしいから名前で呼びなおしたけど始めていったな。なんか恥ずかしい。
「あら、そう。なら少しいいかしら。」
「えっと、はい。大丈夫です。」
「そこに座って大丈夫よ。今日赤瀬君がくるって聞いてほんとにうれしかったわ。」
「はあ。そうですか?」
「娘の初めてのお友達だもの。歓迎しなきゃでしょ?」
「そんな。ありがとうございます。」
「ここからが本題なんだけど、赤瀬くん、君に感謝を伝えたかったの。花火の病気については知っているわよね。」
「はい、ある程度は聞いています。」
「花火はこれまでに3回記憶を失っているの。初めの1回目は本当に小さいころだったの。あの頃はそこまできにならなかったけど今思い返してみると記憶を失っていたんだと思うわ。昨日まで私たちの顔をみて笑っていたのに、突然泣き出したのよ。まるで初めてあった人に出くわした時みたいにね。」
「そんな小さい頃からおきていたんですね。」
「そうね。2回目は小学生の時だった。いつものように私が花火を起こしに向かうと突然誰?なんて言われたからねぼけてるのかと思ったわ。でも本当に知らないみたいで病院に連れて行ったら記憶喪失だと診断されたわ。」
その時のお母さんの心境を考えると胸が苦しくなる。昨日まで元気に生きてた娘が突然別人になる悲しみは計り知れないものだろう。
「その時にね、私は間違えてしまったの。娘をうしなった悲しみに耐えられなくて記憶を失った花火にね、昔のことをたくさん伝えてしまったの。こんな子だったんだよ、こんなもんが好きだったのよって、クローンを作り出すように無意識に洗脳していたんだと思うわ。花火は優しかったから、要望に素直に答えて表面上は私の娘を演じてくれたわ。初めのうちは娘が返ってきたなんて喜んでいたのだけれどだんだん違和感に気づいていったの。学校で起こったことを笑顔ではなす花火が無理をしているように思えてきて心から笑えていないような気がして、私は間違いに気づいた。何もわからないのに突然誰かも知らない人間を演じ続ける辛さは想像しがたい苦しみだったと思うわ。」
言葉がでない。なんて言ったらいいか分からない。きっとお母さんの選択は仕方がなかったと思う。もしかしたら記憶を失う前の自分を知れば、何か少しでも思い出すかもしれない。あわよくば記憶を取り戻すかもしれない。そんな淡い期待も持っていたんだと思う。
「そして、中学3年生の時に3回目の記憶喪失が起こったの。これも突然のことだったわ。その日は花火が学校から帰ってくるのがやけに遅かった。学校に連絡しても下校したといわれて、警察に電話して探したの。そしたらいつもの通学路から少し離れた公園で座っていたわ。病院に搬送された花火は私のほうを見てすみません。誰ですかって。私は花火に私がお母さんだという最低限の情報しか与えなかった。あんなに知らない人の娘を演じるのが辛そうだった花火をもっと自由にしてあげたいと思ったの。だから家にある昔の思い出のものは全部花火にみせないようにして昔のことはなにもいわないようにした。でもこれも間違いだったのね。花火は私を親としてみてくれなくなった。家を空けることも多くなって友達も作らず、独りぼっちになってしまった。いえ、この場合はさせてしまったが正しいわね。だれとも接しなくなったあの子をみて、私はまた失敗したと思った。私じゃあの子を幸せにさせられない。夜中、一人でさみしそうに帰ってくるあの子になにもしてあげられない。そう思ってたの。」
「そんな過去があったんですね。たしかに学校での彼女はさみしそうでした。」
家に帰らなかった理由がそんなに重たいものだったとは。
「だからね、赤瀬君。ほんとうにありがとう。君があの子を、花火を救ってくれた。」
「いえいえ、そんな。大袈裟ですよ。」
「最近のあの子、素直に笑うようになったの。夜中まで帰ってこないこともなくなったし、学校の子も話してくれる。まだ少し距離を感じるときもあるけどそれは時間が解決してくれる思うわ。そのどれもこれもが君とであってからなの。」
「いやいや、たまたまかもしれないですし。」
「そんなことないと思うわ。そういうのも、あ、これはあの子にはないしょね。その話してくれる学校での話の9割はあなたのことなの。」
「え?そう、なんですか?」
そんなにはなしているのか。うれしいのとはずいので五分五分だ。
「そうそう、こんな話をしたとか、こういうことをしたとか、どこどこにいったとか、そんな話にあなたの名前がでてくるの。きっとあの子にとって赤瀬君はとっても大切な人なんだと思ったわ。」
「そうなんですね。お役に立てたみたいでうれしいです。ところでひとつだけきいてもいいですか?」
「ええ、なんでも聞いてちょうだい。あの子の好きな食べ物とかほしいものとかかしら。」
「いやいや、そうじゃなくて。」
一体何を勘違いしているんだ。
「記憶喪失の原因ってなにかわかったんですか。」
「それが、医者もわからないといっていてね。普通記憶喪失っていうのは普通事故や脳にダメージを受けた場合に起こるらしくて、でもあの子の脳には何の異常も見られなかったわ。もちろん事故にもあっていない。だから推測にはなるんだけど、ストレスが原因の可能性があるわ。」
「ストレス?」
「そう。記憶障害には過度なストレスが原因な場合があるの。きっとあの子はそのストレスへの耐性が低いのかもしれない。ほんの些細なことでもちりも積もればなんて言うでしょ。そうした小さなストレスの積み重ねが限界に達したとき記憶喪失になるじゃないかと思っているわ。あくまで私の推測だから本当のことは分からないわ。」
なるほど過度なストレスか。 1度目は赤ちゃんの頃だし些細なことで不満を感じる時期だ。2度目は初めての学校。嫌なことも沢山あるだろう。もしかしたら親に言ってないだけで虐められてかもしれない。小学生のいじめは当たり前のように起こるからな。3度目は利口な娘を演じ続けたことによるストレス。どれもあっておかしくない。
「ありがとうごさいます。確かにその可能性はありそうですね。」
ちょうど質問が終わった時扉の開く音がした。
「お母さん。赤瀬くんと何話してるの?」
「うーん?日頃の感謝を伝えたのよ。いつもうちの娘をと仲良くしてくれてありがとうって。」
「やめてよ。お母さん。」
「ごめんね。それじゃあ私は出かけてくるから。2人で留守番よろしくね。」
「え?どこか行くの?」
「ちょっと買い出しにね。」
「なんか買い忘れたものあったっけ。」
「一応ね。それに私は邪魔かなって。2人だけでいたいでしょ?」
「はっ!?いやいや、なにを言ってるの!?そんなんじゃないし!」
「はいはい。そうね。じゃあ行ってくるね。」
そう言い残しお母さんは家を出ていった。本当になにを勘違いしてるんだ。僕たちはまだそういうんじゃ。まて、まだってなんだ?いったいぼくは何を期待しているんだ。
「じゃ、じゃあ、部屋、案内するね。」
そう言うと忽那さんはリビングを出て廊下を歩く。なんだか気まずい。忽那さんが遠のいていく。僕も行かなきゃ。
「ここが私の部屋。何も無いから寂しいかもしれないけど。」
忽那さんの部屋は言われた通りほとんどものがなかった。ただし内装や色はとても女の子らしく綺麗に整っていて可愛らしい。ピンク色を基調としていて、少しだけぬいぐるみが置いてある。
「買い替えてないから。昔のまんまなの。最近までは何も気にしてなかったんだけど。なんか恥ずかしい。」
「いやいや、全然普通だと思うよ。初めて人の部屋に入ったから分からないけど。」
そう初めてだ。ましてや女の子の部屋なんて。正直緊張しすぎて、上手く話せない。動悸を隠すので精一杯だ。何とか悟られないようにしないと。
「ちょっとまってて。飲み物取ってくるから。」
「うん。ありがとう。」
忽那さんは部屋を出ていった。よし、一旦落ち着こう。
ただ勉強を教えるだけだ。それ以外何も無い。あーもう。忽那さんのお母さんが余計なこと言ったせいで意識してしまう。気をつけないと。
それから数分して忽那さんが戻ってきた。
「お茶でよかったよね。ここ置いておくから。」
「わかった。」
「じゃあ早速はじめよっか。っていっても私が教えて欲しいんだけどね。えっとこの問題なんだけど。」
そこから1時間程度勉強を教えた。忽那さんは飲み込みも早くて頭の回転も早い。暗算も得意みたいだから、やり方さえ教えれば全然僕なんかより早く解ける。きっと天文学の勉強に時間を割いていなければ僕よりも出来ただろうな。
「一旦疲れたし休憩にしよ。」
「そうだね。」
お茶を取り一気に飲み干す。なんだか生き返った気分だ。
「そうだ、どっか行きたいところある?」
「えっと、遊園地、とか?」
「確かに、まだ行ってないか。冬休みとか行こっか。大丈夫?絶叫乗れそう?」
「きっと大丈夫でしょ。」
「ほんとかなー。来年とかになったらまた祭りに行きたいね。僕、花火好きだし。」
今度は今の君と祭りに行きたいな。過去に取り憑かれていた君じゃなく。今生きているキミと。
「ふぇ!?」
「ん?どうかした?」
なにかまずいことを言ってしまったのだろうか。
「い、いや、な、な、なんでもない、よ?」
明らかに動揺してる。こんなに慌ててる忽那さん初めて見たな。
「そう。ならいいけど。」
あまり深く詮索するのはよしとこう。傷つけたくない。
そうしたこともありながら無事?に勉強会を終えた。
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