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イーリス・ローゼンフェルトは、ヒルデガルドの想像していたよりもずっと優秀な魔導師だった。共に過ごす日々を重ねるうちに分かってきたのは、彼女の身に宿った魔力が、とても他の魔導師とは比べ物にならないほど突出していること。それに加えて記憶力もよく、魔法薬の精製における魔力の扱いも、本人が自覚していないだけでほぼ完ぺきなところまで来ていた。
成長は目覚ましく、実際、飛空艇の不時着も、イーリスの助力がなければ無理だった。冒険者としてはゴールドランクだが、既に魔塔でも大魔導師の称号を受けておかしくない実力の持ち主になっている。
「あの子なら、私の代わりを務められるだろうな」
「今後に期待じゃのう。あれは良い腕を持っておる」
「ああ。しかし、君はあの子をどう鍛えるつもりだ?」
「普通に戦うだけじゃな。それだけで十分と思う」
イーリスには、経験が圧倒的に不足している。どんな冒険者でも小さな依頼からコツコツと積み上げ、ゴブリンから始まって様々な魔物と戦うことで腕を磨く。ときには魔物の棲む洞窟や、大昔に形成されたダンジョンと呼ばれる迷宮に足を踏み入れて、命懸けの戦いに身を投じてくるはずだ。
しかし、彼女はそうではなかった。必要なときに必要な依頼を受けるといった選り好みに近い行動を取っており、日々の生活をこなすだけで、咄嗟の判断力に欠けている。飛空艇に乗る前はアベルたちを相手に修業をしてはいても、それは実戦ではない。加減もしていれば、時間も決まっていて、効率は最低クラスだった。
「儂の目から見て、あの娘は戦うことに恐れはない。磨けば、ぬしのように、腕が千切れようが足が吹き飛ぼうが死ぬまで戦おうとする気概を持てるじゃろう。しかし経験不足では、ただの犬死になってしまうとは思わぬか?」
ヒルデガルドもうんうんと頷いて力強く同意する。
「君の言う通りだ。経験は彼女を生かす盾になる」
「うむ。じゃから、ひとまずは……ふわあ。適当に戦ってみて、あの娘の限界を引き出す。それ以外になかろう。立てなくなるまでの」
ちら、とアッシュをみる。彼女は寝返りをうって、ぐう、と喉を鳴らして気持ちよさそうにした。目を覚ますのも時間の問題だろう、とイルネスは傍に寄り添い「そろそろ寝よう。明日の朝、まずはシャロムを探す」と言って、身体を丸めた。
あっという間に寝息を立て始めると、ヒルデガルドも眠気を誘われる。窓から差し込む月明かりにうつらうつらと舟をこぎ始めたところで、外から風を切るような音が聞こえてきて目をぱちっと開く。
窓の傍に近寄ってみると、アーネストが自分の槍を持って素振りをしている姿を見つける。こんな夜中に? と思い、窓を開けて、魔力を使って風を足場にしながら外に出て、彼の近くまで降りた。
「こんな時間に何をやっている。休んだほうがいいぞ」
「ヒルデガルド。すまない、起こしたのか?」
「いいや、起きていたよ。寝ようとしていたところだった」
「……飛空艇でのことがあって、落ち着かなくてな」
ぎゅっと槍を握り締めて、また素振りを始める。
「俺は自分の腕に自信があった。これまでロード級の討伐にも何度も出ているし、負けたことはない。大きな傷を負ったことも。だが、飛空艇にいたあのコボルトロードの二匹は異常だった。体格も大きく、俺が知っている魔物とはかけ離れていて、結局、アベルたちに救われたうえに、倒したのは俺ではなく、あなただった。それが、悔しくてたまらないんだ」
アーネストの実力は、冒険者でいえばプラチナ、あるいはそれ以上になるだろう。実際、ヒルデガルドが知る限りで彼がロード級の魔物にてこずったことはなかったし、今まで何度も彼の功績を耳にしてきた。
なのに、二匹のコボルトロードを相手に不覚を取った。その事実が、彼の心を苦しめていた。もっと強さがあれば、彼らに大怪我を負わせることもなかったはずだ、と。だから少しでも前に進もう、と鍛錬は絶対に欠かさないつもりだった。
「では私が鍛えてやろうか、プリスコット卿」
「……ん? すまない、もう一度聞いても?」
「私が鍛えてやろうと言ったんだよ」
アーネストは驚いて言葉が出て来ず、ぽかんと口を開ける。ヒルデガルドはもちろん友人ではあったが、それ以上に大賢者という肩書きを持った最強の大魔導師だ。そんな人間から『鍛えてやる』と言われる機会が、この世の誰に得られるものだろうか。彼女はイーリスにしか興味ないのだろうと思っていたので、意外さに魚のように口をパクパクさせて自分を指差す。
「あはは、変な顔をするな。私の気まぐれみたいなものだ」
「いいのか。俺なんかが稽古をつけてもらっても」
「何も卑下することはない。君には十分な素質もあるし」
ぱっと杖を取り出して手に握り締める。
「場所を変えよう。ここでは皆の迷惑になるからな」
ポータルを開き、村から少し離れたところへ移る。多少の大きな音がしたとしても、誰も気に留めない程度には、村も小さく遠くに見えた。
「いい酔い覚ましになるはずだ。よろしく頼むよ、アーネスト」