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窓の隙間から無慈悲に差し込む朝の光が、重い瞼を刺すように揺らした。
意識が浮上すると同時に全身を襲ったのは
鉛のように重い倦怠感と、肌の至る所に刻み込まれた、ひりつくような熱。
指先一つ動かすのさえ億劫で、私は深い溜息をつくことしかできない。
それと同時に、昨夜繰り広げられた
あの淫らな出来事が、決して夢などではなく逃れようのない現実であったことを突きつけられた。
「……おはよう、ソフィア様。よく眠れましたか?」
耳元で、鼓膜を濡らすように響いたのは、昨夜、私を快楽の奈落へと突き落としたあの低く甘い声。
驚いて身を固くすると、腰に回されていた逞しい腕が
逃がさないという明確な意思を示すように、より一層強く私を抱き寄せた。
振り返れば、そこには激しい夜を過ごしたとは思えないほど汗ひとつ乱さず
端正な顔立ちを崩さないギルバートが、満足げな微笑を浮かべて私を見下ろしていた。
「なっ……離して。ご飯食べたいし……」
「まだ朝食の時間には早すぎますよ」
彼はくすりと笑いながら、私の冷たい頬に唇を寄せてきた。
昨夜の記憶が、その熱い吐息と共に生々しく蘇り、身体の芯が勝手に跳ねる。
思わず小さな悲鳴が漏れた。
ギルバートは私の拒絶など聞こえていないかのように、楽しげに私の髪を弄び、首筋に顔を埋める。
まるで仕留めた獲物の匂いを確かめるかのように、深く、深く息を吸い込んだ。
「やめて……! 触らないで……!」
必死に抵抗を試みるけれど、私の細い手足では、鋼のような筋肉を纏った彼の身体から逃れる術はない。
むしろ、暴れれば暴れるほど、彼の嗜虐心と興奮を煽るだけだ。
その残酷な事実は、この短い期間でもう十分に、嫌というほど理解させられてしまっていた。
彼は愉悦に喉を鳴らしながら、私の耳元に悪魔のような甘い言葉を吹き込んでくる。
「そんなに怯えた顔をして……本当に可愛いですね、ソフィア様は。昨夜はあんなにも素直だったのに……」
「……っ!」
彼の言葉が、断片的ながらも記憶に鮮明に刻まれた昨夜の光景を呼び起こす。
涙を流し、快楽に溺れ、己の意志とは無関係に熱を帯びてしまった無様な身体。
それを思い出し、羞恥で全身が芯から燃え上がるようだった。
「きのう、あんな抱き方して…!もっと優しくしてよ…っ」
憎しみを込めて睨みつける私に対し
ギルバートはまるで駄々をこねる幼子の癇癪を眺めるような、どこか憐れむような瞳で見つめ返してきた。
その慈愛に満ちたような視線が、今の私には何よりも屈辱的で仕方がない。
「すみません…ソフィア様が可愛すぎて、つい歯止めが効かなくなってしまいました」
白々しい謝罪と共に、彼は私の手を取ると
貴婦人に対する最高の敬意を示すかのように恭しく、けれど独占欲を込めて指先に口づけを落とした。
「……そろそろ起きましょうか、朝食に遅れてしまいますよ」
ギルバートは諦めたのか、それとも単に執着の一時的な充足を得たのか、あっさりと私を解放した。
自由になった途端、私は弾かれたように彼から離れ、乱れた毛布を胸元まで引き寄せる。
彼はベッドから降りると、窓辺に立ち、眩い外の景色を眺めながら淡々と告げた。
「今日は天気もいいですし、朝食は庭園のテラスでいただくことになっています。昨日、準備を進めさせていましたので……ご期待に添えるかと」
「テラスで……?」
問いかけても、彼は意味ありげな笑みを薄く浮かべただけで、それ以上は答えようとしなかった。
ギルバートの真意は量れなかったけれど、今の私にとって最も優先すべきは、一刻も早くこの密室で彼と距離を置き、身支度を整えることだった。
侍女たちの助けを借りる時間は、地獄のようだった。
着替えの際、体中に刻まれた生々しい「所有の印」を隠すために、首元まで覆う薄いレースの衣装を選ぶ。
鏡の中に映る自分は、酷く疲れ切っていて、どこか頼りなげで、彼という巨大な力に飲み込まれかけているように見えた。
いつもの自信も、誇り高き覇気もない。
ただそこに立たされているだけの影のような存在。
そんな自分が酷く嫌で、私はぎゅっと拳を握り締めた。
「早くいつもの私になって、主導権を取り返さないと…ギルバートに攻められるだけなんて気に食わないわ」
改めて心の中で決意を新たにしたとき
部屋の扉が音もなく開き、そこには完璧な執事姿に戻ったギルバートが立っていた。
「準備はよろしいですか? お待ちしておりました」
彼は有無を言わせぬ圧力で私の腕を掴むと、強引に引き上げ、そのまま逃げ場のない廊下へと連れ出した。
辿り着いたのは、公爵邸が誇る美しい庭園のテラスだった。
朝露に濡れた花々が陽光を浴びて宝石のように輝き、鳥たちのさえずりが心地よい祝祭の調べのように響いている。
テーブルの上には、宝石のような色とりどりの果実
焼きたての香ばしいケーキ
そして最高級の茶葉が放つ芳醇な紅茶の香りが満ちていた。
まさに、絵に描いたような理想の、けれどあまりに歪な朝食の風景。
私には、それを楽しむ余裕など微塵もなかった。
「こちらへどうぞ、ソフィア様」
ギルバートは私をエスコートして椅子に座らせると、自らも優雅な動作で向かい側に腰掛けた。
周囲には給仕の者たちが黙々と働いている。
その監視の目があるため、私は昨夜の痴態を問い詰めることもできず
表面上は穏やかな、偽りの食卓が続いた。
しかし、食事中もギルバートの執着は止まらなかった。
彼は私の皿から勝手に苺を摘まむと、子供に言い聞かせるような顔で私に食べさせようとしたり
頬についたクリームを指で拭い、そのままペロッと舐めとってみせたりしてきて、ムカッとする。
「本当にあなたって……人前でこういうことするの、やめなさいよ」
私が小声で顔を赤くして抗議しても、彼は悪びれた様子もなく、平然と言い放つ。
「……妻の世話を焼くのは夫の役目でしょう?」
朝から眩暈がしそうだった。
そして、そんな不埒なやり取りさえも、私がかつて知っていた高貴な令嬢の日常とはあまりにかけ離れていることに気づく。
ここでの生活は、私の想像を遥かに超えて、決定的に狂っている。
「い、言っておくけど!主導権はこの私にあるんだからね!」
負けじと言い返すと、彼は一瞬の静寂を置いた。
「ふふっ、わかっていますよ」
不意に、ギルバートが銀のフォークを置いた。
表情から一切の温度が消え、真剣な、そしてひどく昏い瞳で私をじっと見据える。
「ソフィア様……」
彼はゆっくりと立ち上がり、私の膝元に跪いた。
それは、かつて愛を誓ったあの時と同じ、忠誠を誓う騎士のような姿。
けれど、放たれる気配は正反対だった。
「そんなに、私に可愛がられるのはお気に召しませんか…?」
「そ、それは…そりゃ…気に入らないわよ」
私の反論を待っていたかのように、彼の声のトーンが一段と低くなった。
「…ふふ、私が、従順なだけの犬だとでも思っていたなら、とんだ勘違いですよ」
ギルバートの声が、庭園の静寂の中で鋭く響き渡る。
跪いたまま見上げてくるその瞳は、すべてを飲み込む底なし沼のように暗く
それでいて、内側には剥き出しの狂熱が宿っていた。
もはや、冗談で流せる雰囲気ではない。
「何を……言いたいの」
「あなたは気づいているはずです。私がただ黙って飼われているわけじゃないって。ソフィア様が望む『立派な旦那様』像と違っても」
彼は立ち上がり、音もなく私の隣へと移動した。
肩が触れ合うほどの至近距離。肌に伝わる彼の熱が、昨夜の記憶を呼び覚まして身体を震わせる。
「それに……今朝のあなたの反応。あれでは逆効果ですよ。反抗的な態度こそが私を余計に興奮させるだけなのに」
「なっ……!」
羞恥と怒りで頭が沸騰しそうになった。私の必死の抵抗さえも、彼にとっては極上のスパイスでしかないというのか。
「そもそも私は、あなたに命令されるだけの人形になりたくて求婚したわけではありません。愛する貴方を自分のものにしたい──そう思って、主導権を握るときを今か今かと狙っていたのです」
逃げようとする私の顎を、彼はゆっくりと、逃がさないように持ち上げた。
「だから覚悟してくださいね、ソフィア様。今日一日……いや、これから先もずっと、私の支配からは逃れられません。せいぜい足掻いて楽しい余興を見せてください」
「ひっ……!」
眩い陽光の下、優雅なテラスで繰り広げられているのは、夫婦の睦言などではない。
それは剥き出しの捕食者による、獲物への死罪宣告だった。
彼は私の顎を捉えたまま、さらに言葉を重ねる。
「もちろん……ソフィア様がどうしても私を『従順な犬』として扱いたいと言うなら、それでも構いません。ただし、夫である以上、これから従順にならざるを得ないのはソフィア様の方ではないでしょうか?」
「……っ!」
思わず息を呑んだ。彼の目には冷徹な確信があった。
私が容易に屈しないことも、そして、私がどれほど虚勢を張ろうとも、最終的には彼の圧倒的な力の掌中で堕ちていくしかないことも。
すべてが彼の手のひらの上だったのだ。
「どうしますか?ソフィア様。逃げ出しますか?少なくとも、今のあなたに帰る場所なんて、私以外にないと思いますが」
彼が挑発的に口角を吊り上げた瞬間
周囲で控えていたメイドたちが、弾かれたように一斉に顔を背けた。
誰もがこの異様な光景に怯え、固唾を呑んでいる。
この公爵邸という巨大な檻の中で、彼に逆らえる者など一人も存在しないのだ。
(なんて恥ずかしくて屈辱的な状況なの……!)
「……に、逃げないわよ!」
喉の奥から絞り出した声は、自分でも情けないほど震えていた。
けれど、この男の前でだけは、最後の一片のプライドを捨てるわけにはいかない。
私のそんな葛藤を見透かしているのだろう、ギルバートは実に愉快そうに笑みを深くした。
「……とにかく! 食事中にこんな話をするのはマナー違反よ。席に戻りなさい!」
精一杯の虚勢を張り、震える指を隠しながら私は厳しい口調で命じた。
ギルバートは、まるで私の反応を吟味するように少しだけ考え込む仕草を見せた後───
「失礼。かしこまりました」
それまでの威圧感が嘘のようにあっさりと頷き、優雅に自分の席へと戻っていった。
そのあまりに素直すぎる、けれど底の知れない態度に戸惑いながらも
私はひとまず危機が去ったことに、小さく
けれど深く安堵のため息を漏らした。