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料理本の下で微かに聞こえていた侑くんの叫び声も、いつの間にかプツリと途絶えていた。
宮家のリビングに満ちているのは、さっきまで作っていた出汁の残香と、私たちの少し乱れた呼吸音だけ。
「……はぁ、やっと静かになったな。ツムのやつ、合宿所でスマホ没収されたんちゃうか」
治くんは満足げに鼻で笑うと、私の腰に回していた腕を一度解き、キッチンへ戻っていった。
そのまま慣れた手つきで、冷蔵庫からいくつかのタッパーを取り出し、小さな保冷バッグに手際よく詰めていく。
「……治くん、何してるの?」
「……お土産や。今日食いきれんかったおかず、全部詰めたる。……明日の朝飯、これ食え」
彼はバッグのファスナーを閉めると、それを私の手に握らせた。
ずっしりと重い、治くんの「手作り」の塊。
「え、でも、お母さんが朝ご飯作ってくれるし……」
「……あかん。……明日の朝、一番に朱里の胃袋に入るんは、俺の味やないと嫌やねん」
彼はそう言うと、私の首筋に鼻先を寄せ、深く、重い吐息を吐いた。
バレー部員らしい、熱くて広い胸板が背中に当たる。
「……これ、明日まで俺のこと思い出すための『薬』や。……一口食うたびに、今日の俺の体温、思い出せよ?」
スナギツネのような細い瞳が、独占欲たっぷりに私を閉じ込める。
保冷バッグという名の、逃げ場のない招待状。
「……あ。それと。……これ、一個だけ『当たり』入れといたからな」
「えっ、当たり?」
「……明日のお楽しみや。……他の奴には、絶対一口もやるなよ」
彼が不敵に口角を上げた、その時。
『あーーーっ!! 繋がった!! 治、お前、今度は物理的に隠しおったな!! 執念深いぞ!!』
今度は治くんのポケットの中のスマホが、狂ったようにバイブレーションし始めた。
画面には「ツム(死ね)」の文字。
「……っ、ツム。お前、ほんまに……死ね。……角名、ツムを今のバイブレーションで感電させとけ」
『誰が感電や!! 朱里ちゃん! 治の「お土産」には独占欲っていう保存料が大量に入っとるからな! 胸焼けするぞ!!』
「……胸焼けしてええねん。一生、俺の味しか受け付けん体にするんやから。……朱里、玄関まで送るで」
治くんはスマホをポケットの上から叩いて黙らせると、私の手をギュッと握り、玄関へと向かった。
お持ち帰りの、独占欲。
保冷バッグの中に詰められたのは、おかずよりもずっと濃い、彼なりの「呪い」という名のスパイスだった。