テラーノベル
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黒木が胸ポケットから紺色のカードキーを取り出すと、ドアノブに翳した。
ピッ、そしてカチャと軽い音がして鍵が開く。
「はい、どうぞ」
「お邪魔……します」
「瑠璃さんはいつも『お邪魔します』から始まるね」
「き、緊張していますから」
「はいはい。入って、入って」
ドレッサー、ベッドの両脇に一個ずつ、そして背の高いシェードランプの柔らかな明かりが窓辺の二脚の椅子と丸いマホガニーのテーブルを照らした。
今はすっかり暗くなった金沢港へと続く片側三車線の大通りには、赤いテールランプと白いヘッドライトの川が流れている。
「瑠璃さん、夕焼けも良いけど夜景も良いよ」
「は、はい」
「そんな所で突っ立っていないで、おいでよ」
「は、はい」
瑠璃はパンプスを脱いでスリッパに履き替えた。
先程は気が付かなかったのだが、ふかふかと厚みのあるソールは雲の上を歩くような心地良さだった。
「ほら、ね」
「は、はい」
「そんな緊張しないで、ガチガチだよ」
「は、はい」
「何もしないで帰る?」
「え」
「それでも良いよ」
「い、いえ! よろしくお願いします!」
黒木は堪えきれないという顔で「ぶっ」と笑い出した。
瑠璃が「何を失礼な」と眉間に皺を寄せて頰を膨らませ、口をへの字にしていると、黒木はその膨らんだ頰を親指と人差し指で押し潰した。
「ぶっ!」瑠璃の口から「ぶっ!」が転がり出て、またまた黒木は笑い出した。
「なに、黒木さん、なんなんですか!」
「や、あんまりにも緊張していて」
「んもう」
「それ、気が付いた?」
「え?」
「今、私の事、なんて呼んだか気が付いた?」
「か、係長?」
「黒木さんって」
「嘘!」
瑠璃が目を見開いて否定したが、黒木はうんうんと頷き、手を引いて瑠璃の向かいの椅子に座らせた。
丸いマホガニーのテーブルを挟む二人。
黒木はテーブルに肘を突き、人差し指で瑠璃の頰をちょんちょんと突いた。
「本当、言った」
「言いましたか?」
「言いました。もう一回、呼んでみて?」
「う」
「はい、どうぞ」
「く、くろ……き、さん」
「もう一回」
「黒木さん」
黒木はまた、いつものとろけそうな目尻で微笑むと、フレームレスの眼鏡を外した。
前に屈んで瑠璃の鼻の頭に口付ける。
「やっ、脂、脂浮いてるから!」
瑠璃はまるで虫を払うように両手をバタバタと左右に振った。
「じゃ、シャワーする?」
「す、する」
「どっちが先?」
「く、黒木、さん」
「私?」
「い、いえ。恥ずかしくない方ってどっちだと思います?」
「うーーーーーん」
黒木は腕を組んで眉間に皺を寄せ、その顔を瑠璃は窺い見た。
「瑠璃さん」
「は、はい」
「私が裸で出て来た姿を見たいか、瑠璃さんが出て来た姿を見られたいかの二択しかないと思います」
「え」
「あ、二人で入ると言う選択肢もあります」
「そ、れは」
「はい、私的にもハードルが高いです」
瑠璃は腕を組んで眉間に皺を寄せた。
「見たいか、見られたいか」
「はい」
「黒木さんの裸を見たい場合は私が先にシャワーを浴びる」
「はい」
「私が……見られたい場合は黒木さんが先にシャワーを浴びる」
瑠璃はシャワールームとクイーンサイズのベッドを交互に見てまた眉間に皺を寄せ、バッと右手を高く上げた。
「さ、先に! お先にシャワー良いでしょうか!」
「どうぞ」
黒木は左の手のひらを広げてシャワールームの方を指した。
瑠璃はコンタクトケースとコンタクト洗浄剤を旅行鞄から取り出すと「お先に失礼します!」と宣言してシャワールームのドアを閉めた。