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湯気の上がる瑠璃を見た黒木の右手の人差し指は、タンタンタンとマホガニーの丸いテーブルの上でタップした。
(瑠璃さんが……)
(黒木さん、緊張してる……そして部屋の中が暗い)
瑠璃が部屋を見回すと、二面のガラス窓には遮光カーテンが引かれ、シェードランプはドレッサーの小さな灯りのみになっていた。
二人は互いの顔を見て、ぎこちない笑みを浮かべた。
(き、緊張する)
(緊張するーーーー!)
「あ、あの」
「なんでしょうか」
「ベッドに……」
「はい」
「私、ベッドの中で待っていれば良いですか?」
黒木の喉仏が上下した。
「は、はい」
思わず声が上擦った。
「では、また後で」
「はい」
微妙な間合い。
瑠璃はバスローブをするすると脱ぐとベッドに潜り、潜り込めない。
ベッドメイクでマットレスに折り込まれたシーツを両手で引き摺り出すと、バサバサと広げた。
明るい時間ならばさぞ埃が舞っている事だろう。
(……あ、水)
ベッド脇のナイトテーブルの上に置かれたペットボトルに口をつけてごくごくと飲む。
ふと枕の下でカサカサした物が指先に触れた。
(……こ、これは)
急に現実味を帯びてくるコンドーム。
慌てて枕の下に戻そうとするとまたカサカサした物が指先に触れた。
瑠璃が二個並んだ羽毛の枕を持ち上げると、それは右、中央、左と並んでいた。
「さ、三個、三回!?」
瑠璃はそれを元通りの場所に収めると、羽毛布団に包まった。
シャワーの音がすりガラスのドアに叩き付けている。
何も身に付けていない胸元が心許なく、そろそろと腕を縮めて自分自身を抱きしめた。
瑠璃は柔らかくて温かな羽毛布団に包まれ、その緊張した手足が少しずつ熱を持ち、火照り始めるのを感じた。
気恥ずかしさから頭を隠して布団の中に潜り込んでいたが、その息苦しさに顔を出した。
人の気配、薄ぼんやりとしたそこには普段とは違う面立ちの黒木がベッドの端に腰掛けて瑠璃の顔を見下ろしていた。
「く、黒木さん」
「部屋に居ないのかと思って一瞬驚いたよ」
「え」
「逃げられたかと思った」
「逃げ、たりはしない、です。はい」
いつもオールバックに撫で付けていた髪は緩い癖毛で額を隠し、フレームレスの眼鏡を外したアーチ眉、少し切長のそれでいて大きな瞳の二重瞼、薄い唇。
それはとても若々しく、三十歳前半の風貌だった。
「黒木さん、若いですね」
「え」
「いつもと全然違う」
そんな会話をしながら黒木は羽毛布団を捲ると、もそもそとベッドの中に入って来た。
マットレスが二人の重さで窪み、距離が自然と近くなる。
「いつもと違いますか?」
「は、はい」
「どちらが好き?」
「ど、どっちも好き、です」
見つめ合う。
黒木はその唇を深く塞ぎ、瑠璃はその胸に手のひらを添えた。
「嫌?」
「え、この手を、どうしたら良いか分からなくて」
黒木は細い腕を握ると自身の背中へと導いた。
胸が押しつけられた。
思うよりもずっと胸板が厚く、そして心臓の鼓動を感じた。
黒木も瑠璃の跳ねる心臓の音を感じているに違いなかった。
「こうして、ぎゅっと抱きしめて」
「ぎゅ」
「もっと」
互いの腕が肩甲骨を辿り、背骨を抱きしめる。
より深く、その存在を感じる。
もう一度深く口が覆われ、黒木の舌先が瑠璃の舌先を誘うように舐め上げた。
「ん」と、くぐもる。
離れ、そして啄み、見つめ合う。
全身が重なり合う重さを感じた。
「ん」
「あ、重いね」
「ちょ、ちょっと」
黒木はマットレスに肘を突き、瑠璃を跨ぐとその唇を耳元に近付けた。
息遣いを感じ、瑠璃は尾骶骨から微かな電流が這い上がるような感覚に囚われ目を閉じて唇から吐息が漏れた。
「瑠璃さん」
「はい」
「このまま、続けても良いですか?」
「は、はい。よろしくお願い、します」
「また、それ」
ふっと笑った唇は舌先を覗かせながら首筋を舐め上げ、鎖骨の窪みに口付けた。
左手の指が太ももを伝い上る。
瑠璃は黒木の背中にしがみ付いた。「あ」瑠璃は久しぶりの愛撫に身を捩りながら、建のそれが如何に身勝手で一方的なものだったのだろうとその行為を振り返った。
それに比べてこの黒木の愛撫は柔らかで、身体の芯を解すような優しさを感じた。
「黒木、さん」
「なに」
「もっと強く抱きしめて下さい」
自然とその言葉が転がり出た。
黒木は掛け布団を片手で剥ぐと両手を瑠璃の身体のラインに沿って下へ、下へと沿わせた。
瑠璃は恥ずかしさに耐えられず両の手のひらで顔を隠した。
鼻息が掛かり、熱が近付く。「んっ」瑠璃は脚に力が入った。
「か、係長」
「ん」
「係長」
「その呼び方、なんだかプレイみたいで良いね」
「や、だ」
黒木の辱めるような言葉で頭に血が上った。
(か、係長の指)
いつもワークデスクの上でトントントンとタップしていたあの指が自分の中で前後し始めている。
「気持ちいいんだ」
瑠璃はコクコクと頷き、黒木の首に手を回した。
「ん」波が引き、押し寄せたその時、瑠璃は初めての感覚に慄いた。
それは一度ではなく二度、三度と続き、注射用のアルコール臭が漂った様な感覚に襲われた。
キュッと窄まった瞬間、自分ではない声が耳に響いた。
(い、今の、今の、何)
カサカサと枕元で音がして、黒木の手元が忙しなく動く。
(せ、セックス、しちゃうんだ、係長と)
黒木は二年間恋焦がれた女性の体内の温もりに身悶えた。
「痛い?」
「ううん、緊張してるだけ」
「瑠璃、瑠璃、さん」
「ん」
瑠璃は両手で隠して頰を赤らめた。
「初めて?」
「うん、こんな感じ、初めて」
黒木はまたとろけそうな目尻で微笑むと薄い唇で瑠璃の唇を啄んだ。
「よかった」
遮光カーテンの向こうには満月がぽっかりと浮かんでいるのも知らずに、二人は手を繋いで眠りに落ちた。
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