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《JAXA/ISAS 相模原キャンパス/プラネタリーディフェンス作戦室》
夜明け前。
作戦室の空気は、
もはや“研究”のものではなかった。
壁一面のモニター。
オメガ60メートル級コアの最新軌道解。
茨城県の詳細地図。
大気圏突入角。
想定飛翔ルート。
空中分裂確率。
地表到達予測点。
衝撃波到達予測圏。
白鳥レイナは、
冷え切った缶コーヒーを
開けもせずに手の中で転がしていた。
若手研究者が
静かな声で報告する。
「……最新更新です。」
「美星スペースガードセンター、
IAWN各局、
CNEOS再計算、
筑波側の補助解析、
すべて反映しました。」
「主候補地点、
ほぼ特定段階です。」
部屋の空気が
一段階変わる。
画面が拡大される。
茨城県。
県北から県央。
さらに拡大。
丘陵地、道路、河川、集落。
赤い楕円が、
一つの場所に収束していく。
「主候補地点は——」
若手が
喉を鳴らした。
「城里町東部から水戸市北西部境界付近。」
「内陸寄り。」
「着弾予測時刻は
”11時50分”。」
「ただし、
前後三~五分程度のズレが
残っています。」
別の研究者が
すぐに補足する。
「完全な一点確定ではありません。」
「ただし、
“この周辺帯に落ちる”という意味では
かなり高い精度です。」
「沿岸直撃シナリオは
大きく後退。」
「現在の主シナリオは、
城里町東部~水戸市北西部境界付近の
丘陵・農地・住宅混在地帯への地表衝突です。」
レイナは
地図を見つめた。
そこには、
ただの地形ではなく
人の暮らしが乗っている。
学校。
県道。
集落。
小規模工業施設。
農地。
河川。
病院へのアクセス路。
(ついに
“県”じゃなく、
“場所”になった。)
(11時50分。)
(人が普通に昼へ向かう時間だ。)
若手が
さらにシミュレーションを出す。
「想定衝突エネルギーから見て、
直撃圏は数km規模。」
「落下点周辺は
地表が大規模に掘削され、
クレーター形成。」
「衝撃波による
重度建物損壊は
おおむね半径十数km規模。」
「ガラス破損、
軽量構造物被害、
飛散物危険は
さらに外側まで広がります。」
別の研究者が言う。
「那珂川水系への
土砂・瓦礫流入、
道路寸断、
山体崩壊、
二次的な火災・停電も
想定されます。」
「石油コンビナート直撃ではないため、
沿岸大規模燃料火災の主シナリオは
後退しました。」
「ただしその分、
“生活圏そのものに落ちる”被害が
前面に出ます。」
レイナは
ゆっくりと言った。
「……分かった。」
「今日からは、
“茨城県内のどこか”ではなく、
“11時50分にこの場所へ向かってくる”
で動く。」
彼女は
ホワイトボードに
新しく書き足した。
『11:50
城里町東部~水戸市北西部境界付近
前後数分誤差』
その文字が、
あまりに人間的な時間の表記で、
逆にぞっとした。
《JAXA筑波宇宙センター/退避直前対策室》
筑波宇宙センターでも、
その更新は
すぐに共有された。
ただし、
ここで働く人間たちにとって
それは“解析結果”であると同時に、
“自分たちがどこまで残るかの判断材料”でもあった。
筑波宇宙センターは
茨城県にある。
主候補地点そのものではない。
だが、
県内全域の混乱、
交通寸断、
通信障害、
帰宅不能、
そして万一の誤差拡大を考えれば、
もう“通常運用を維持する場所”ではない。
対策室の壁には
新しい紙が貼られていた。
『第三段階退避移行条件』
『全面遠隔移管手順』
『最終退避時刻候補』
筑波の責任者が
相模原回線へ報告する。
「筑波側、
11時50分着弾予測を受けて、
全面遠隔移管を前倒しします。」
「残留班は
本日午前中をめどに
順次退避。」
「正午前には、
原則として
筑波宇宙センターの常駐人員を
ゼロ近くまで落とします。」
若い職員が
少し掠れた声で言う。
「昨日までは
“ぎりぎりまで残れるか”って
考えてました。」
「でも、
11時50分って
時間まで見えたら……」
「“残るかどうか”じゃなくて、
“何時までに出るか”の話に
変わりますね。」
別のベテラン職員が
静かにうなずいた。
「そうだ。」
「筑波を守るために
人を置くんじゃない。」
「人を守るために
筑波の機能を先に逃がす。」
レイナが
相模原から画面越しに言う。
「“最後まで残る”を
美談にしないで。」
「ここまで来たら、
生きて抜けることが
最優先です。」
筑波の責任者が
短く答えた。
「了解。」
「筑波は、
今日の午前で
“人がいる拠点”から
“遠隔で動く拠点”に切り替えます。」
その判断は、
施設の敗北ではなかった。
生きて次につなぐための、
ぎりぎりの現実判断だった。
《総理官邸・地下危機管理センター》
スクリーンには
茨城県の拡大地図。
その中央に、
赤い楕円。
『主候補地点:
城里町東部~水戸市北西部境界付近』
『想定着弾時刻:11時50分
前後数分誤差』
その数字を見て、
鷹岡サクラは
ごく短く目を閉じた。
(ついに、
時刻まで来た。)
(場所と時刻を持った終末は、
ここまで人間的なんだ。)
藤原危機管理監が
報告を始める。
「——JAXAおよび国際共同解析の更新です。」
「着弾は
11時50分前後。」
「主候補地点は
城里町東部~水戸市北西部境界付近。」
「数十km単位の誤差はなおありますが、
政府としては
この帯を実質的な着弾想定中心域として
最終避難へ入ります。」
国交省が
図を示す。
「想定被害です。」
「直撃圏は
地表破壊・火災・即時壊滅レベル。」
「重度衝撃波被害は
周辺十数km規模。」
「窓ガラス飛散、
軽構造物被害、
屋根・外壁損壊、
飛来物危険は
さらに広く出ます。」
「道路寸断、
橋梁点検停止、
土砂崩れ、
河川障害が重なり、
救援到達も著しく困難になります。」
厚労省が続ける。
「主候補帯内の病院は
今日中に
医療機能の大半を外へ逃がします。」
「残るのは、
最低限の応急対応班のみ。」
「ただし、
時間的制約から
完全移送は不可能です。」
警察庁。
「主候補帯には
まだ相当数の残留者がいます。」
「説得継続中ですが、
“もうここまで来たら動かない”と
決めた高齢者、
家族分断、
自主車中泊者が多数。」
佐伯防衛大臣が
低く言う。
「東京への影響ですが、
直撃圏ではありません。」
「ただし、
衝撃波・大気振動・通信輻輳・
交通全面混乱・物流麻痺・
帰宅困難・医療圧迫は避けられません。」
藤原が補足する。
「東京で
“街が吹き飛ぶ”主シナリオではありません。」
「ですが、
首都圏機能は
その瞬間から
通常ではなくなります。」
サクラは
地図を見つめた。
(東京は無事、
なんて言えない。)
(茨城に落ちれば、
東京も“別の意味で被災地”になる。)
そしてやはり、
頭のどこかに
あの言葉がよぎる。
核。
(もし、
もし今から何か——)
だがその思考は、
すぐに切った。
Day9で選ばなかった。
Day10で認めた。
Day8で責任を引き受けた。
ここまで来て、
“なかった可能性”に戻る時間はない。
「……国民には、
全部言います。」
サクラは
はっきり言った。
「場所も、
時刻も、
被害想定も、
東京への現実的影響も。」
「そのうえで、
今日を
本当の最終避難日にします。」
誰も反対しなかった。
《茨城県庁・災害対策本部》
会議室の前を
職員たちが走る。
プリンターが止まらない。
コピー用紙の箱が運ばれ、
ホワイトボードは
何度消してもすぐに埋まる。
『避難完了率』
『高齢者施設移送』
『医療搬送』
『残留者数』
『車中泊群発地点』
『報道規制要請』
県知事は、
赤い目でモニターを見つめていた。
そこに映るのは、
自分の県の地図だ。
観光案内でも、
都市計画図でもない。
“落下予測帯”として
切り分けられた茨城県。
担当職員が説明する。
「県北と県央の一部自治体で、
一般避難と自主避難を合わせた
流出が急増しています。」
「ただし、
高齢者世帯と農家世帯、
あと独居高齢者の残留率が高い。」
別の職員が言う。
「学校は本日で
対象帯のほとんどが休校措置です。」
「ただ、
“避難所化した学校”と
“まだ授業をオンライン継続している学校”が
混在しています。」
知事は
苛立ちを抑えながら問う。
「“残る人”は
どこまで把握できてる。」
「完全には無理です。」
保健福祉担当が
正直に答える。
「家族にも言わず
残ると決めている高齢者がいます。」
「“ここで生まれて
ここで死ぬ”と。」
「説得しても、
聞かないケースが多いです。」
知事は
目を閉じた。
(聞かない、か。)
(でもその気持ちは
分からないわけじゃない。)
(地図の上で見れば
ただの危険区域でも、
本人にとっては
“人生全部が入った場所”だ。)
「……説得は続ける。」
「ただし、
“残る人”を
視界から消すな。」
「家の位置、
持病、
連絡先、
家族情報、
全部残しておけ。」
「最後の最後に
助けに入る可能性を
ゼロにはしない。」
誰も
「無理です」とは言わなかった。
無理だとしても、
言う段階は
とっくに終わっていた。
《茨城県・県北の町》
市役所の外に
放送車が止まり、
防災無線が流れる。
『本日、国と県の合同判断により、
主候補帯に対する最終避難を実施します。
対象地域に残っている方は、
直ちに指定避難路に従って移動してください。』
空は晴れていた。
その晴れた空の下で、
人々は荷物を積む。
布団。
米。
通帳。
卒業アルバム。
薬。
位牌。
犬のケージ。
子どもの上履き。
充電器。
水。
どれも
“避難マニュアル”には
全部は載っていないものばかりだった。
ある家では、
母親が泣きながら
ランドセルを車に積んでいた。
「もう要らないでしょ。」
夫が言う。
「要るよ。」
母親は
即答した。
「向こうで学校があるかもしれないし、
なくても、
この子の“学校があった証拠”だから。」
別の家では、
老人がまだ動かない。
民生委員が
最後の説得に入っている。
「もう時間がありません。」
「分かってる。」
「だったら——」
「分かってるが、
分かったからって
足が動くとは限らん。」
その言葉に、
誰もすぐ返せない。
理解と行動は、
別のものだった。
《墓地のある丘》
風が強かった。
古い墓石に
花が揺れる。
腰の曲がった老人が、
一人で手を合わせていた。
そこへ、
娘夫婦が車でやってくる。
「お父さん!」
娘が
息を切らして言う。
「まだここにいたの!」
老人は
振り向きもしない。
「……先に行ってろ。」
「そんなわけにいかないでしょ!」
「お母さんの墓、
置いてけるか。」
娘は
言葉を失う。
婿が
静かに口を開く。
「お義父さん。」
「墓は逃げません。」
「でも、
お義父さんは逃げられるうちに
逃げた方がいい。」
老人は
墓石を見たまま
低く言った。
「ここで生まれて、
ここで働いて、
ここで女房見送って。」
「最後だけ
違う土地で死ねってか。」
娘が
泣きそうな声になる。
「死ぬ前提で言わないでよ……!」
風が吹く。
木々が鳴る。
老人は
長く黙ったあと、
ようやく振り返った。
「……墓の写真、撮れ。」
「え?」
「全部だ。」
「この並びも、
名前も、
裏も。」
「持ってけ。」
娘は
泣きながらスマホを取り出した。
それは“説得”ではなく、
“折れる音”だった。
《新聞社・社会部》
桐生誠は
町を歩きながら
ノートを取っていた。
避難する人。
残る人。
叫ぶ教団。
撮る報道陣。
閉まる学校。
動く病院。
全部が、
同じ一日の中に
詰め込まれている。
編集部から
電話が入る。
「桐生、
今どこだ。」
「茨城です。」
「当然か。」
編集長の声が、
受話器越しにかすれている。
「今日の一面、
“茨城が壊れる”じゃなくて
“茨城がまだ生きてる”で書け。」
桐生は
少しだけ立ち止まる。
「……分かりました。」
「それと。」
編集長が
言葉を切る。
「もしお前が
出たいなら、
今日中に言え。」
桐生は
しばらく黙った。
目の前には、
避難所へ向かう親子。
向こうには、
撮影クルー。
そのさらに向こうには
まだ動いている信号。
「……まだ、
書きます。」
「そうか。」
通話が切れる。
桐生は
小さく息を吐いた。
(“まだ”だ。)
(でもその“まだ”は、
あと何日持つ?)
ノートに、
一行だけ書く。
『茨城は、まだ生活の途中だ。』
《茨城県・主候補帯周辺の被害想定映像》
テレビでは、
AIと物理シミュレーションを使った
更新版の被害予測が流れ続けていた。
『11時50分、
城里町東部~水戸市北西部境界付近着弾シナリオ』
映像の中で、
地表が白く閃き、
その直後に
圧縮された空気の壁が
周囲へ走る。
住宅が倒れ、
ガラスが弾け、
樹木がなぎ倒される。
斜面が崩れ、
土煙が川へ流れ込む。
画面に
被害想定が重なる。
落下点周辺:壊滅
半径数km:致命的被害
十数km圏:重度衝撃波被害、火災、飛散物
さらに外側:広域ガラス破損、停電、道路寸断
東京圏:通信障害、交通混乱、帰宅困難、医療圧迫
スタジオのアナウンサーが
声を震わせずに読む。
「政府は、
これを受けて
今日と明日を最終避難日と位置づけています。」
その冷静さが、
かえって恐ろしかった。
《世界の声》
世界中の政府と人々も、
今度は“日本”ではなく
“茨城のこの時間”を見つめていた。
アメリカ
ルース大統領が声明を出す。
「日本時間11時50分前後が
重大な時間帯であると認識している。」
「アメリカは
最後まで
日本政府と情報を共有し、
事後対応も含めた支援を継続する。」
韓国
大統領府が
在韓日本人と在日韓国人向けに
特別相談窓口を延長。
フランス
外相が
「被害地域の歴史的・文化的損失にも
支援を惜しまない」と発表。
ブラジル
日系コミュニティが
オンラインで日本へ祈りの配信。
カナダ
避難受け入れ支援を追加表明。
SNS
〈11:50 JST. We will be watching.〉
〈Watching〉という単語が、
祈りにも、
見物にも読めてしまう。
〈Stay alive, Ibaraki.〉
〈No one should film this like a show.〉
〈Please update us after 11:50.〉
〈We are with you.〉
〈I don’t know what to say anymore.〉
世界は、
言葉を失いながらも
言葉を送り続けていた。
《報道陣》
茨城県内には
さらに多くの報道陣が入っていた。
高台。
県道沿い。
臨時中継拠点。
立入禁止線の手前。
“11時50分”という時刻が出たことで、
報道はさらに
時計を意識し始めた。
「何時に生中継入れる?」
「11時40から引っ張る。」
「住民映像は?」
「顔出しは慎重に。」
「いや“最後の証言”を——」
若い記者が
先輩に食い下がる。
「“最後の証言”って
言い方、
やめませんか。」
先輩は
しばらく黙ったあと、
小さく言う。
「……やめよう。」
でも別の場所では、
やめない者もいる。
世界は一枚ではなかった。
《総理官邸・夜の会見》
この日の会見は、
重かった。
だが逃げなかった。
サクラの後ろには
茨城県の詳細地図。
主候補帯。
着弾予測時刻。
被害想定圏。
「——本日、
政府は
落下主候補地点と
想定時刻を公表します。」
会見場の空気が止まる。
「主候補地点は
茨城県城里町東部~水戸市北西部境界付近。」
「想定着弾時刻は
11時50分前後。」
「前後数分の誤差はありますが、
政府としては
この時刻を中心に
最後の避難と全機関対応を進めます。」
フラッシュ。
沈黙。
サクラは
言葉を続ける。
「被害想定もお伝えします。」
「落下点周辺は
極めて深刻な破壊が想定されます。」
「周辺十数km規模で
重度の衝撃波被害、
火災、
飛散物危険、
道路寸断、
斜面崩壊が起こり得ます。」
「さらに広い範囲で
停電、通信障害、医療・物流機能障害が発生します。」
「東京については、
主被害域ではありません。」
「しかし、
交通・通信・物流・医療の面で
深刻な混乱が避けられません。」
そして、
少しだけ声を落とした。
「JAXA筑波宇宙センターを含む
県内重要機関は、
人命優先で
段階的退避を進めています。」
「政府機能のバックアップ移転も
ほぼ完了しています。」
「私は明日も、
東京で
情報を伝え続けます。」
最後に、
サクラは
まっすぐ前を見た。
「今日と明日が、
最後の避難の日です。」
「動ける方は、
どうか今日動いてください。」
「残る方には、
最後まで伴走します。」
「受け入れる地域の皆さん、
どうか支えてください。」
「そして世界の皆さん、
祈りと支援に感謝します。」
「11時50分まで、
日本はあきらめません。」
その言葉は、
国の声明であり、
明日に向かう人間たちへの
最後の呼びかけだった。
Day3。
オメガ予測落下日まで、あと3日。
場所は、
ほぼ見えた。
時間も、
ほぼ見えた。
終末はついに
“11時50分”という
人間の時計の中へ入ってきた。
それでも人は、
荷物を積み、
患者を運び、
墓の写真を撮り、
町を出て、
町に残り、
誰かを受け入れ、
言葉を送り続ける。
終わりに向かっているのに、
そこにはまだ
生活があった。
だからこそ、
痛かった。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.
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