テラーノベル
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ジェイド様を伴い、私は再び自分の屋敷へと戻った。
夫の不倫現場をこの目で見てから、まだ一時間も経っていない。
信じていた世界が音を立てて崩れ去った衝撃で、私の内側はぐちゃぐちゃのはずだった。
けれど、隣を歩くジェイド様の、静謐でありながら絶対的な零度を保った冷徹な気配が
私の波立つ心を不思議と落ち着かせていた。
屋敷に着くなり、激しい修羅場になるだろう───
そう覚悟して、震える手で重厚な扉を開けた。
しかし、期待に反して玄関ホールは不気味なほど静まり返っている。カシウスとマリアの姿はない。
(……まさか、もう帰ってる?いや、そんなはずは…)
落胆と安堵が混ざり合った、その矢先だった。
寝室から、建物の構造を伝って震えるような音が空気を揺らした。
それは、一時間前よりもさらに大きく、なりふり構わぬ男女の聞くに堪えない嬌声だった。
「…………っ」
私はあまりのことに眩暈がし、壁に手を突いた。
カシウスとマリアは、妻である私が一度帰宅したことにも
廊下に散乱していた自分たちの衣服がすべて消えたという異変にすら気づかず
この間ずっと悦びに耽っていたのだ。
自分たちの欲望を優先するあまり、周囲への警戒すら忘れるその浅ましさ。
「失礼します」
ジェイド様は、そんな悍ましい音が響き渡る状況でも、乱れることなく玄関で靴を綺麗に揃えて屋敷に上がった。
その所作があまりに気品に満ちていて、汚れ一つない彼の背中と、これから突きつけられる惨状との対比に、私の胸は皮肉にもすくような思いだった。
私は彼を先導し、一歩一歩、呪われた寝室の前まで歩を進めた。
扉の向こうからは、鼓膜を汚すような、耳を塞ぎたくなるような音が漏れ続けている。
ジェイド様は迷いなく、けれど優雅な動作でドアノブに手をかけると
勢いよくスパンッ!と、まるで不要な塵を払い落とすように、引き戸を蹴るように開け放った。
「き、きゃああああ!!! 誰よ!? 人んちに勝手に入ってき──────……あっ」
全裸のままカシウスにしがみついていたマリアが、逆上の絶叫の途中で言葉を失った。
引きつった顔で凍りつく。
そこには、自分をゴミ溜めでも見るような、底冷えする軽蔑の眼差しで見下ろす夫、ジェイド様の姿があったのだから。
「こ、これは、違うんだ! ロゼッタ、落ち着いて聞いてくれ!」
カシウスが慌ててベッドから起き上がり、床で醜く身体を丸めながら情けない声をあげる。
けれど私は、一歩も引かずに、刃のような冷たい目を彼らに向けた。
「何が違うのかしら。私のベッドで、私の親友と、私の夫が、昼日中から何をしているのか……この状況で説明できるものなら、ぜひ伺いたいものですわ」
「マリア…君がそんな女性だとは思わなかった」
ジェイド様の声は、地を這うように低く響いた。
その圧倒的な威圧感に、マリアはさっきまでの色香など微塵も感じさせないほど怯え、涙目で口をパクパクと金魚のようにさせている。
カシウスに至っては、言い訳すら枯れ果てたのか
今更のように床に膝をつき、情けない姿で私に向かって土下座を始めた。
「すまない、ロゼッタ! 魔が差したんだ、頼む、頼むから許してくれ!」
全裸で額を床に擦り付ける夫。
その横で、震えながらシーツにくるまる「親友」だった女。
あまりに滑稽で、あまりに醜い。
私が愛し、信頼した人間たちの正体が、これほどまでに見窄らしいものだったとは。
「一度服を着なさい。話はそれからです」
私は吐き捨てるように言って、紙袋から取り出したカシウスとマリアの服を渡し、部屋を後にした。
三十分後───…
屋敷のドローイングルーム。
空気は張り詰め、重苦しい沈黙が支配していた。
向かい側のソファにカシウスとマリアが並んで座り、私とジェイド様が対面に腰掛ける。
「マリア、どういうことなのか説明してくれないか」
ジェイド様の再度の促し。静かなトーンだが、逃げ場を許さない響き。
しかし、マリアはさっきの怯えが嘘だったかのように、急に態度を豹変させた。
観念したのか、あるいは開き直ったのか
彼女はムスッとした顔で天井を見上げると、深く、私を馬鹿にするような溜息をついた。
同じく黙っているカシウスに、今度は私が言葉を投げる。
「カシウス。あなたも黙ってないで何か言ったらどう? ……これ以上、そっちに誠意が見られないなら、私はあなたと離縁してもいいのよ」
私が冷たく離縁を突きつけると、カシウスは突然、テーブルをドンッ!と、威圧するように拳で叩いた。
「ああ、ロゼッタがその気なら、喜んで離縁しようじゃないか。もうバレたなら仕方がない。土下座しただけ無駄だったしな」
開いた口が塞がらなかった。ついさっきまで床を這って許しを請うていた男の、罪悪感のかけらもないその豹変。
隣に座るジェイド様の目も点になり、絶句しているのが横顔でわかった。
「こんなことしておいて、何その態度は!マリアだって……あんなに仲良くして、親友だと思っていたのに、こんな裏切り…あんまりよ!」
私が震える声で言うと、マリアが待ってましたと言わんばかりに嘲笑しながら口を開いた。
「あら、おかしなこと言うのね?あんたみたいな平凡臭くて退屈な女、ただの暇つぶしに決まってるじゃない。大体、あんたが悪いんじゃない? 他の女に目移りさせるくらい、魅力がなかったんだから」
「……っ」
それはまさに
女の敵は女、と痛感する状況だった。
「それに私たち、身体の相性抜群だし。ジェイドみたいな堅物でつまんない男とはさっさと別れて、カシウスと再婚しようと思ってたところなの。ちょうど良かったわ」
マリアの毒々しい言葉に、カシウスが我が意を得たりと力強く頷く。
「いいか。僕は『真実の愛』を見つけたんだよ。マリアのためなら、爵位も何もかも捨てて、一般人同士、幸せに暮らしていくつもりだ。君と違って、彼女は可愛げがあるからね。僕を縛り付けるだけの君とは大違いだ」
「そういうこと!」
……ぷつん、と。
私の中で、最後の理性が、音を立てて千切れた。
「わかりました。……それでいいですわ。どうぞ、お幸せに」
「物分かりが早くて助かるわ!そうそう、この屋敷、カシウスのものでしょ?だったらロゼッタの荷物は優しい私が捨てておいてあげるから、2人ともとっとと出て行ってよね!」
マリアが勝ち誇ったように言い放つ。
カシウスもまた、鼻で笑って追い打ちをかけた。
「そうだそうだ。そちらのジェイドさんの屋敷にでもお世話になったらどうだ? 傷を舐め合う負け犬同士、お似合いだろ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ジェイド様が静かに立ち上がった。
その佇まいは、嵐の前の静けさのような、凄まじい圧を孕んでいた。
「……ロゼッタさん。行きましょう。ここに居ても、空気が汚れるだけだ」
彼は迷いのない足取りで、玄関ホールに向かう。
私もその後に続く。
私たちは、後ろで騒がしく「勝利の宴」を始めようとしている「真実の愛に酔いしれる二人」を背に、迷わず屋敷を後にした。
「とりあえず…僕の屋敷に空き部屋がありますので、衣食住は安心してください」
「…すみません、ご迷惑をおかけして」
「いえ…いいんです。今は裏切られたもの同士、傷を癒す時間を作りましょう」
これから始まるのは、私たち二人の新しい生活。
そして、あの愚かな二人がまだ気づいていない、奈落へと叩き落とすための徹底的な「復讐劇」だ。
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