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第一章:夢の続き、現実の終わり
目が覚めても、まぶたの裏にはまだ白いノートのページが残っていた。
夢の中で、僕は――いや、物語の中の僕と君は、桜並木の下で並んで歩いていたはずだった。けれど、朝の冷たい光がカーテンの隙間から差し込むと、夢の輪郭はあっけなく溶けて消えてしまう。
枕元の時計の針は、いつもと変わらない朝を告げている。現実の僕は、もうすぐ小学生が終わるというだけの、どこにでもいるただの男子だった。通学路の冷たい風に身を縮こまらせながら、僕は昨夜の夢の続きを探すように、ランドセルの底で重みを持つノートの存在を確かめる。
ふたりの始まりは、一つ前の学年、五年の新学期だった。
クラス替えの張り出しの前で、偶然隣り合わせになったのが君だった。席が前後になってからの数日間は、どちらからともなく挨拶を交わすだけの、ごくありふれたクラスメイトにすぎなかった。
けれど、ある日のことだった。
授業中、退屈を持て余していた僕がふと前を見ると、君は教科書の余白や新しくおろしたキャンパスノートの端っこに、細いペン先で小さな絵や文字を走らせていた。ぼんやりとその背中を覗き見していると、君は不意に振り返り、悪戯っぽく笑ってそのノートを僕の机の端に滑り込ませたのだ。
「ねえ、この話の続き、書いてよ」
それが、僕たちだけの秘密の始まりだった。
最初のうちは、他愛のないおふざけの延長だった。君が書いた短いプロットに、僕が変な登場人物を登場させて困らせてみせる。すると翌日、君は少しムッとしたような、でも楽しそうな顔でさらにその先を書き返してくる。
そんなふうにしてページをめくっているうちに、いつしか僕たちの遊びは、ひとつの「物語」の形をとるようになっていた。
それから一年が過ぎ、季節は巡って、僕たちは六年生になった。
放課後の誰もいない教室。黒板のチョークの匂いと、西日のオレンジ色が斜めに差し込む窓際。ふたり並んだ机の上で、何冊目かになる使い古したノートを交互にパスし合うのは、いつの間にか僕たちの日常になっていた。
君が書く主人公の女の子は、いつも強がりで、でも本当は誰よりも寂しがり屋だった。
僕が書く男の子は、そんな君のことが気になっているのに、子どもっぽくからかうことしかできない不器用なやつだった。
ノートの中の登場人物たちは、現実の僕たちよりもずっと素直だった。
お互いに言いたいことをぶつけ合い、泣き、笑い、ページをめくるたびにお互いの距離を縮めていく。なのに、現実に生きる僕たちは、ただの「仲のいいクラスメイト」の仮面をかぶったまま、その一線を越えることができなかった。これが恋という名前なのだと気づいていながら、それを口にしてしまえば、この心地よい関係が壊れてしまう気がしていたからだ。
だが、六年の終わりが近づくにつれて、ふたりを取り巻く空気は目に見えて変わりはじめていた。
放課後の教室に残る時間が、少しずつ、けれど確実に減っていった。
塾の時間が早いからと、君が先に教室を出ていく日が増えた。違う友達と連れ立って帰る君の背中を、僕は教室の窓からただ見送ることしかできなかった。
同じクラスで、同じ机を並べているはずなのに、進路の話や中学での部活の話をするたび、ふたりの心理的な距離はみるみるうちに引き離されていく。物理的な「隣の席」という距離の近さと、心や未来のすれ違いが比例するように広がっていくのが、僕にはどうしようもなく怖かった。
「ねえ、このお話の最後、どうなると思う?」
ある日の放課後、いつものようにノートを閉じながら、君が唐突に言った。
窓の外では、まだ春には早いはずの冷たい風が、校庭の桜の枝を激しく揺らしている。
「うーん……ずっとこのままでいいんじゃないかな」
ごまかすように笑った僕に、君は少しだけ寂しそうな、大人びた目を向けた。
「ずっと、なんてないんだよ。もうすぐ卒業なんだから」
君のその一言で、甘い夢から完全に引き戻された。
五年のときから続いてきたこの時間も、もうすぐ終わりを迎える。僕たちは同じ中学には進まない。それぞれ別の制服を着て、別の街へ行く。
「好き」という言葉の意味さえうまく言えなかった僕たちは、花びらが散るまでのタイムリミットを前にして、離れていく未来の足音におびえていた。
コメント
1件
ああ、めちゃくちゃいい話だった…! 小学生の男女がノートを介して物語を交換するって設定がもう刺さるわ。ランドセルの中のノートとか、放課後の教室の西日とか、そういう描写だけで胸がぎゅっとなる。 「ノートの中の登場人物たちは現実よりもずっと素直だった」って一文、完全にやられた。言えない「好き」を物語に託すしかなかった、でも卒業が近づいてすれ違っていく切なさがリアルで泣ける。続き、めっちゃ気になる🔥