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◻︎弥生さんとお片付け
_____そういえば、来栖さんの家には鍵をかけてなかった
私は、自分の連絡先と来栖さんの隣人であることを告げ、タクシーで一旦家に帰った。
資源ゴミはまた次回出すとして、お隣さんの鍵をかけないと…。
玄関を上がり、ダイニングへ入ったけど鍵らしき物が見当たらない。
あの日倒れていた食器棚は戻されていたけど、割れた食器はゴミ袋に中途半端にまとめられたままだ。
お弁当の空やグラスもそのままあちこちに置いてある。
ご主人は家事ができない人だったんだ、と知った。
いつもキチンとしていて、堅苦しいほどの見た目も奥さんの弥生さんがいたから保たれていたってことか。
なのに、それを当たり前だと勘違いして、離婚しちゃうなんて…。
「あれ?」
雑誌の下にクシャクシャになった離婚届があった。
弥生があの日、置いていったもののようだ。
_____そりゃあね、一方的過ぎるもんね
何の話し合いもなく、一方的に離婚届を渡されても、“はい、そうですか”とはいかないだろう。
でも、まさか家の中で倒れているなんて。
もたもたしていたら、車の音がして誰かがやってきた。
タクシーから降りたのは弥生さんだった。
「あー、美和子さん、ごめんなさいね、うちの人がご迷惑をおかけして」
「まぁ、ちょうど通り掛かっただけだから」
_____離婚すると言ってても、うちの人って呼ぶあたりは、ベテランの主婦なんだよなぁ
それにしても。
「弥生さん!ここに住んでいた頃より、ずっと垢抜けて見える、若返ったみたいだね」
「うーん、なんて言うんだろ?濁った水の中から綺麗な水へ移り住んだ金魚の気分よ。私が私らしくいられる場所を見つけたってことかな」
「ふーん、でもその分ここはとても濁ってるよ、どうする?これ」
私は、家のあちこちに散らばったゴミを見ながら言った。
「どうしようかしらね」
「この際、この散らかってるものは捨てちゃう?」
がーっと、だーっと一気にゴミ袋に詰めて出してしまいたい衝動に駆られる。
「ダメ、それはできないよ」
「なんで?こんなに汚れて散らかったままなんだから、いいんじゃないの?」
「あの人が言ったのよ、俺の給料で買ったものは俺のものだって」
「は?!いや、まぁそりゃそうなんだけど、こんなに散らかってたらもうただのゴミにしか見えないんだけど」
「でもね」
「わかりました、袋には詰めるけどゴミ捨て場には持っていかない、これでいい?」
「うん、そうしよう」
_____こうやってあの、ゴミ屋敷とやらが出来上がっていくんじゃないの?
と言うのは、我慢した。
ゴソゴソとゴミ袋に散らかったものをまとめていく。
「ごめんなさいね、手伝わせてしまって」
「んー、なんか乗りかかった船だからさ、いいよ」
「まさか、こんなことになってるとは思わなかった…」
「散らかり方もハンパないけど、ご主人、相当まいってるんじゃないかなぁ?過労とか栄養不足とか…ね」
聞こえてないのか、聞こえないふりなのか、弥生さんの返事はない。
答えない代わりに、ひたすらに黙々とゴミ袋に散乱したものを集めていく。
怒ってるようにも泣いてるようにも見える背中。
_____何を考えているんだろ?
二階が終わり、下へ移った。
割れた食器と、立ててはあるけどガラス扉が割れた食器棚。
「はぁー」
弥生さんが深いため息をついた。
「大噴火した怒りの残骸か…。まずはこれを片付けなさいっちゅうのよ」
「これ、弥生さんだったね、やったのは」
「そう!家事も何もしないあの人にね、一番めんどくさいことをやらせるには、これが一番だと思ったからそのままで家を出たんだけど。これじゃあね、かえって片付けにくいわ」
ゴソゴソやってた弥生さんの動きが止まった。
手にはクシャクシャになった離婚届があった。
「なんでまだ出してないんだろ?」
「ねぇ、弥生さん…一度、ご主人とちゃんと話し合ってみたら?」
「何を?私にはもう話すことなんてないんだけど」
「ご主人が酷いことを言ってたのも聞いたし、今弥生さんには好きな人がいるのもわかる。そのうえでさ、これからどうするのか話し合ってみれば?結局は離婚でもさ、話してからの離婚と、一方的な離婚ではその後の立ち直りが違うと思うんだ」
「立ち直り?」
「そう。ご主人はきっと、離婚の事実を受け入れてないし、だからこれからの人生をどうするかも考えられないんだと思う。好きになって結婚したんだからさ、思い残すことがないように離婚した方がいいと思うよ」
弥生さんだって、わかってるんだろうなとは思う。
でも、誰もそんなことを言わないんだろう。
わかっているのに一歩踏み出せない時は、誰かが背中を押すしかない。
「もしもね…、もしも発見が遅かったらご主人、命を落としてたかもよ。そんなことになったら弥生さんだって、後悔すると思う、だから…」
「わかってるわよ、そんなこと!私だって子供じゃないんだから、ちゃんとするわよ!」
キッ!と私を睨んだ。
「だよね?なんかあったら話は聞くからさ、これ以上は夫婦のことに首を突っ込めないから。今は隣人としてこんなことしてるだけだからね」
できるだけ穏やかに話す。
「あー、ごめんね、私ったら!」
「ううん、いいって。まだ私たちの人生は結構残ってる。軌道修正できると思う。私、見てるから」
「え?見てるの?」
「うん!興味津々で、こーんな目をして」
私は親指と人差し指で両方の瞼を開いて、大きな目をした。
「もうっ!まいるなぁ、美和子さんには。そんなふうに見られてるんじゃ、バカなことはできないね」
「だね!」
あははと笑う弥生さん。
_____差し迫った状況だけど、ちょっとでも笑いが出るなら、まだ大丈夫!
そう思った。