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『もぉ……』


しょうがないな、と思いながら、私はおずおずと部長を抱き締め返し、ポンポンと彼の背中を叩いた。


『立てますか? 家まで送ります』


私は彼に肩を貸し、一緒に立つ。


『っと……』


彼は細身でスラッとした印象だけれど、体重が掛かるとかなりズシッとくる。


私はよろけかけたところを踏ん張り、部長を支えて地上に戻った。


そして4b出口前タクシー乗り場で並び、ようやく彼を後部座席に押し込んだ。


『部長、家はどこですか?』


『……みた……』


『見た?』


私が首を傾げた時、運転手さんが『三田ですね』と返事をして車を発進させた。


後部座席で部長はぐったりと私に寄りかかり、手を握って離さない。


(これ、絶対に誰かと勘違いしてるな。あかりって名前の恋人? ……っていうか……)


そこまで考え、私はいまだ部長が持っている花束をチラッと見た。


どう見ても仏花だ。


でも花は散っているし茎も折れている。


(何があったの? お墓参りに行ったけど、何かがあった? 〝あかり〟さんは亡くなった恋人?)


考えても分かる訳がなく、そのうち私は彼の事情を想像するのを諦めて、窓の外を見た。


(私もお父さんを亡くした時、周りが見えなくなるほど絶望していたな。飛び降りようとした事もあったっけ)


父を亡くした直後、私は夜に橋から飛び降りようとした。


その時、通りすがりの人に助けられ、怒られて励まされ、もう少し頑張ってみようかと思ったのだ。


ワイドショーや週刊誌、ネットでは芸能人や政治家の不祥事があると、視聴者の興味を引こうと、目を引く見出しをつけてニュースを流している。


それを見ると特別な人にだけ、特別な出来事があるように思える。


でも私たち一般人にだって、一人一人に物凄いドラマがある。


『自分の人生はとても平凡だ』と主張する人だって、親や兄弟を亡くしたら大きな悲しみに見舞われる。


両親が離婚した、再婚した、親が毒親だった、施設育ちだった、いじめに遭った、病気をした、事故に遭った、恋人や配偶者にDVされた、自分自身が離婚、再婚をした……。


それぞれ、本人にとっては大事件だ。


関わりのある人が犯罪者になったとか、有名人になったとかもあるだろう。


人生のドラマはそれぞれだけれど、地位や名誉、お金がある人ほど嫌な事に関わりやすいイメージがある。


イケメンで若くして部長職につき、皆に憧れられる彼の人生に何もないはずがない。


(人それぞれだ。私には私の人生、悲しみがあるし、他の人も同じ。部長だって泥酔して泣きたい事だってあるはず)


私は大きな悲しみを得て人生に挫折しかけた事があるからか、少しだけ大人びた考え方をするようになっていた。


だから同年代の友達と、うまくやれなかったのだけれど。


(部長を家まで送り届けて、ちゃんと介抱して寝かせてあげよう。そのあとは〝なかった事〟にする。私は駅で部長を見なかったし、昭人と恵と別れたあとまっすぐ帰った)


そう決意したあと、車は十分ほどで部長が住んでいるマンション前に着いた。


(すっご……。セレブ?)


彼に肩を貸して恐る恐るマンションに入ると、高級ホテルのようなロビーが広がっている。


ボーッとしていると『どうかなさいましたか?』と声を掛けられた。


歩み寄ってきたのはコンシェルジュで、四十代後半の彼は部長の顔を見て『あぁ……』と納得した顔をした。


『速水部長の部下で、上村と申します。酔い潰れてしまっていた彼を見かけて、送りに来ました』


ここまで説明する必要はないかもしれないけど、私は怪しまれないために名乗った。


コンシェルジュは納得し、部長の部屋を教えてくれた。


『……あの、彼が私を覚えているかどうかで変わってきますが、コンシェルジュさんからは、上村が一緒にいたとは言わないでください。……会社の上司なので、あまり深入りしたくないので……』


気まずく言うと、彼は『承知致しました』と了承してくれた。


そのあと私たちは十四階までエレベーターで上がり、右側のドアに向かう。


マンションに入る時に部長がカードキーを出したので、それで鍵を開けて玄関になだれ込んだ。


『はぁ……っ、重い!』


私はキレ気味に言い、部長の靴を脱がせる。


こんだけ面倒を見たんだから、美味しい物でもご馳走してほしいけど、あとあと変に関わりたくない。


『部長、立てますか? 寝室どこ?』

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