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_平和なもんだな。
いつものように騒がしい世界会議の様子をぼんやりと眺めながら、イギリスの化身であるアーサー・カークランドは独りごちる。
侵攻が始まってから上司の意向か、彼自身の意志なのかは定かではないが、一切の会議への出席を絶ったロシアや、紛争が続いていたり国際的な関わりを拒む一部の国を除いて、おおよそすべての近代国家が集う世界会議がこうして毎年開催されようとは、一世紀前は一体誰が信じることができただろうか。
未だ世界は完全に平和であるとは言い難いが、二度の大戦を経てヨーロッパを始めとする多くの国家にかつてない平和の希求が生まれたのは事実だ。
多くの国にとっての平和の象徴であるこの会議は、大戦を経験した全ての国が、あの惨禍の再来を抑えんと努力した結果にほかならない。
アーサーの平和だな、という感想も決してこの状況を揶揄するものではなく、むしろそれらに対するある種の感慨を伴ったものであった。
アーサーはふと、同じく退屈そうに議場の争いを見る中国の化身、王耀に目をやった。
不思議な男だった。積極的に発言をするわけではないが、いつも独特の威厳を放ち、たまには発せられる言葉には、誰しもが注目してしまう、そんな男だった。
四千年の歳月の重みがそうさせるのかは確かではないが、常に他とは一線を画した存在感があった。故にアーサーは彼のことがあまり得意ではなかったし、取り立てて関わろうとも思わなかった。資源を求めて東へ東へと向かった二世紀前ならともかく、今のアーサーには彼と積極的に関わる理由がなかった。
しかし、アーサーがこうして会議のたびに何かを含んだ視線を彼に向けてしまうのは、偶然ではない。
スーツの内ポケットに手をやると、かさり、と紙が擦れる音がした。
今からおよそ八十年前、そう、あの未曾有の戦争の最中に彼から渡された手紙であった。
もちろん、それはアーサーにむけたものではない。
甚大な被害に遭っていた彼が、自分にもしものことがあった時、本国に届けるようにとアーサーに渡した手紙だった。
そのような大事なものをなぜ自分に託したのかと驚いて聞けば、彼は短く消去法だ、と言った。
アメリカとは親しくないし太平洋戦線は膠着状態。ソ連は独ソ戦で摩耗している。フランスは論外。今はイギリスに亡命しているとはいえドイツの占領下にある。
ヨーロッパ大陸から物理的に距離があり、香港を通じて中国と深く関わりを持っている、だからお前に託すと。
それからしばらくして戦争は終わり、彼の危惧した日本による国家の消滅はついぞなされなかった。しかし戦後処理は混迷を極めてそれどころではなくなっていたし、1950年に国交を回復してからもなんとなく返す機会を失っていた。
彼にその手紙について尋ねられることもなかったし、もしかしたらもう手紙の存在なんて忘れてしまっているのかもしれない。しかし、臆病で律儀なアーサーは彼と会う機会があれば毎回色褪せた手紙を持って行くし、毎回それを渡すことができずに終わっていた。
二世紀前の戦争から、彼がアーサーにいい印象を持っていない、いや、むしろ嫌われているだろうこともアーサーが一歩踏み出しあぐねている原因であった。
あの時手紙を渡されたのは上記の通り合理的な選択に基づくものであったし、それ以外で特に彼と私的な会話を交わすこともなかったからだ。
アーサーの管理下にいた香港の様子は気にかかっているようだったが、それについて訪ねてくることはなかった。
律儀なアーサーは手紙の内容に幾分かの好奇心を抱いていたが、きっちりと封をされているそれを開けようとしたことはない。ただ、分厚い封筒の表面の宛名は、渡そうとするたび何度も読んだものであったのですっかり覚えてしまっていた。
ぎゃーぎゃー騒がしい壇上を眺める耀の背をなぞりながら、封筒に記された文字を反芻する。
「_全ての愛する人民へ 全ての名もなき兵士より」