テラーノベル
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第66話 九尾の残響
今は――それがない。
完全に、ない。
(ここは……灯台に見えていない場所だ)
その結論が、静かに落ちた。
縫季は立ち止まった。
灯台に見えていない。つまりここは――記録されていない。
記録されていない場所が、ある。
縫季は香の海で過ごした時間を思い返した。灯台は観測し、照合できる記録を判断の根拠にしていた。いつしか縫季も、観測範囲を現実のほとんどすべてだと思い込んでいた。観測できないものは、職務上は手を出せないものだった。
だが――ここがある。
縫季の足元に、何もない空間が広がっている。灯台の記録に入っていない。灯台の波も届いていない。なのに、確かに――ここはある。
(……存在する。記録されていないのに)
その矛盾が、縫季の中で静かに燃えた。
縫季は歩き続けた。
どこへ向かっているか分からない。目標もない。道もない。
でも――何かがある。
胸に抱えた魂の光が、わずかに、ある一方向へ傾いた。
まるで、方位を示すように。
縫季は光の向く方へ歩いた。
歩くうちに、空気の質が変わった。
香ではない。においでもない。ただ――重さが、ある。
何かがある。
縫季の足が止まった。
目の前に、滲みがあった。
白くも黒くもない。無色なのに、何かある。記録のようでいて、記録じゃない。
(……残響だ)
縫季は息を止めた。
残響。
消えかけた何かが、ここに引っかかっている。記録されなかった何かの――残り。
縫季は手を伸ばした。
触れた瞬間、掌が熱くなった。
声が聞こえた。
声ではなく、声の形をした何か。
泣き声でも笑い声でもない。ただ、誰かがかつてここにいたという――跡。
(……誰だ)
縫季は目を閉じた。
熱が、掌から腕へ伝わる。腕から胸へ。胸の奥で、帝辛の魂が反応した。
温かさが、倍になる。
(……知っている)
縫季の口が、その言葉を作った。声には出なかった。でも確かに――知っている感触があった。
この残響の質を。この熱の形を。
(どこかで……触れたことがある)
それがどこかは分からない。分からないが――嘘ではない。
縫季は目を開けた。
残響が揺れていた。まるで、触れられたことを喜ぶように。
あるいは――ようやく誰かに気づかれたことを、確かめるように。
◆
残響は、消えなかった。
縫季が触れ続けるうちに、それは少しずつ形を持ち始めた。
形、というより――層だ。
薄い。非常に薄い。壊れかけている。それでも――ある。
(……世界線だ)
縫季は息を吐いた。
極めて薄い世界線が、この欠けの中に存在している。
灯台の記録には入っていない。香の波も届いていない。それでも――ここにある。
(灯台が観測できない。「ない」と判断されたもの。なのに――ここにある)
縫季は掌を広げた。
帝辛の魂の光が、その薄い層に向かって、ゆっくりと傾いた。
(……知ってるのか。お前は)
問いかけても答えは返らない。だが光の傾きが、それ自体で答えのように見えた。
縫季は、薄い層に触れた。
触れた瞬間――香が、した。
かすかな。ほんのかすかな。消えかけている香。
だがその形が――
(……九尾)
縫季の足が、止まった。
九本の尾の気配と一致する。
九尾は世界線を渡らない。天界の観測者として、世界線の外からそれらを見ている存在だ。
その残響が――この欠けの中にある。
縫季は考えた。
九尾がここを知っていた。九尾の残響がここに残っている。だが灯台はここを知らない。
それはつまり――
(灯台が見えない場所を、九尾は見ていた)(灯台だけが、現実を見ているわけではない)
縫季の呼吸が、少し深くなる。
灯台は観測し、記録し、保存された歴史を管理する。
それが灯台の役割だ。縫季はずっとそう信じていた。
だが――ここがある。
灯台の観測が届かない場所に――確かに存在するものがある。
#中華ファンタジー
Hp2
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コメント
1件
Hp2さん、第66話読了しました…! 縫季が灯台の観測範囲の外で「記録されていない場所」を発見する展開、本当に胸が熱くなりました。灯台だけがすべてを見ているわけではない、という静かな気づきの場面、とても印象的です。 特に九尾の残響に触れたときの「知っている」という感触――あのシーン、繊細で美しくて、何度も読み返しました。掌の熱から腕、胸へ伝わる感覚の描写が、まるで自分もその場にいるかのようでした。 この世界の秘密が少しずつ明かされていく感覚、大好きです。次も楽しみにしています🌷