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魔術学園を卒業してから初めての王宮舞踏会の夜。

王族用の椅子に腰掛けたアーロンは、知り合いの令息と歓談しているルシンダを遠い目で眺めながら、ぽつりと呟いた。


「私は、本当に駄目な人間だ」


隣の席に座っていた弟の第二王子パトリックが首を傾げる。


「兄上、先ほどからどうしたのですか?」


いつも絵に描いたように完璧な兄が、夜会が始まってからというもの、明らかに様子がおかしい。最初は楽しそうに頬を紅潮させていたのに、そのうち物憂げに溜め息をつき始めるし、今は突然脈絡もない独り言を口にする始末だ。


さすがに心配になって声をかけると、兄王子のアーロンはパトリックに視線も向けずに返事をした。


しおれかかっていたつぼみが見事に咲いて嬉しいはずなのに、その美しい花が私以外の人たちに愛でられるのを素直に喜べない気持ちがあるんだ。こんなつもりじゃなかったのに、自分の心の狭さが嫌になる」


パトリックは兄の視線を辿り、花のように可憐な令嬢を見とめて得心した。

幼い頃から兄がよく名前を出していたルシンダ・ランカスター伯爵令嬢。

彼女のことを話す時だけ、兄の瞳は特別な色に輝いていた。


兄はきっと、ずっと昔からあの令嬢に心を奪われている。


パトリックも兄と同じ方向を見つめながら答える。


「それは心が狭いのではありませんよ」

「……どういうことだ?」

「きっと、兄上にとってその花が一番大事であるように、その花にも兄上を一番に想っていてほしいのだと思います。そうだと分かれば、兄上の心は晴れると思いますよ」


兄の表情は分からないが、隣から小さく息をのむ気配がした。


「……ありがとう、パトリック。私の心は狭いというより、驚くほど鈍かったみたいだ」

「自分では気づけないこともありますから」

「優秀な弟を持てて、私は幸せ者だね」


アーロンが何かを決意したように立ち上がる。

しかし──。


「あれ、兄上。ランカスター嬢が誰かに連れ出されそうですが……。あれは、エリーズ王女?」


怪訝そうに目を細めるパトリックの言うとおり、ルシンダが隣国のエリーズ王女に腕を掴まれ、バルコニーへと連れて行かれる。


エリーズは留学のためという名目で数週間前に隣国からやって来たのだが、それから毎日アーロンに接触して来ては婚姻を申し込み、何度断ってもまったく諦める様子がないので、アーロンの悩みの種になっていた。


そんなエリーズ王女がルシンダを無理やり連れ出すなど、嫌な予感しかしない。


「……行ってくる」


アーロンはマントを翻してバルコニーへと駆け出した。




◇◇◇




清らかな満月が煌々と照らすひとけのないバルコニーの一画。

そこで、肩と背中の露出が大胆な赤いドレス姿のエリーズ王女と、南の海を思わせる爽やかなブルーのドレスをまとったルシンダが互いに向き合っていた。


「貴女ね、いつもアーロン殿下についてまわっているという邪魔な小蝿は」


エリーズ王女が鼻で笑いながらルシンダを扇子越しに鋭く睨みつける。

ルシンダはやや戸惑った様子を見せながらも、王女の前で慎ましく頭を下げた。


「私はルシンダ・ランカスターと申します。エリーズ王女殿下にお会いできて大変光栄に──」

「うるさい! 挨拶なんてどうでもいいのよ!」


エリーズ王女が扇子をバシンッと乱暴に閉じ、ルシンダのほうへと一歩近づく。


「それとも、わたくしに余裕を見せつけようとでも? 自分はアーロン殿下に特別扱いされているのよって?」

「いえ、そんな……」

「フンッ、やっぱり臭くて汚い孤児上がりの娘は品性も下劣だこと!」


両目を吊り上げ、扇子をパシン、パシンと片手に打ちつけながら、エリーズ王女がまた一歩ルシンダに近づく。


「いいこと? アーロン殿下はお優しいから、ちっぽけで見すぼらしい貴女を憐れんで慈悲を施してくださっているだけ。高貴で麗しいアーロン殿下には、貴女のような蛆虫うじむしではなく、同じ王族であり、美しく気品のあるわたくしこそ相応しいの。殿下の婚約者になるのはわたくし! 貴女は早くその愚かな思い上がりを捨てて、蛆虫らしくごみ溜めに帰りなさい!」


エリーズ王女が扇子を振り上げ、ルシンダの頬めがけて思いきり振り下ろす。


バシッと何かを叩くような音がしたが、扇子はルシンダの頬まで届かず、彼女の左手によって制止させられていた。


「あ、貴女っ……!」


エリーズ王女が扇子を握る手をぷるぷると震えさせる。

額には青筋が見えるが、ルシンダは恐れるような素振りは見せず、落ち着いた態度で王女の扇子を取り上げた。


「すみません、お互いに怪我をするとよくありませんから」

「汚らわしい孤児上がりの分際で、わたくしに楯突く気……!?」


顔を真っ赤にして怒りを露わにする王女に、ルシンダが首を横に振って答える。


「いえ、そのようなつもりはございません。ただ、少し誤解があるようですので訂正させていただこうと思いまして」

「誤解ですって? このわたくしが、一体何を誤解しているというつもり!?」


怒りで血走った王女の目を、ルシンダの透き通るような翠色の瞳が真っ直ぐに捉える。


「まず、アーロン殿下がお優しく、高貴で麗しいお方であること、それから私に慈悲を施してくださったのは仰るとおりだと思います。それから、私が孤児上がりであることも」

「ほらね、わたくしは誤解なんてしてないわ!」

「ですが」


ルシンダが背筋を伸ばし、毅然とした声で言い返す。


「私はちっぽけで見すぼらしく、汚らわしい蛆虫ではございません。この国の伯爵家の娘として恥ずかしくない人間だと自負しております。そして……アーロン殿下に相応しい方は、エリーズ殿下ではなく、アーロン殿下ご自身がお決めになることです。ですから、エリーズ殿下もアーロン殿下をお慕いになっているなら、思い込みは捨ててきちんと向き合われるのがよろしいと存じます」


目上である王女相手にも震えることなく、はっきりと紡がれた言葉。

そこには、昔のルシンダからは想像もつかないほどの確固たる自尊心が感じられた。


「な、な、な……何を偉そうに……!!」


エリーズ王女が扇子を持たない手を振り上げたとき。

バルコニーに鋭い声が響いた。


「そこまでだ、エリーズ王女」

「ア、アーロン殿下……!」


麗しの王子の姿を見とめた王女が、振りかぶった手をさっと下ろす。


「で、殿下、誤解なさらないで。今のはわたくしが悪いのではなく、この失礼な娘に侮辱されたから──」

「説明は不要だ。すべて見ていた」

「……っ!」


つい先ほどまで、ドレスと同じくらい真っ赤だったエリーズ王女の顔がみるみる青褪め、がたがたと震え出す。


しかしアーロンは王女の様子を微塵みじんも気にかけることなく、冷ややかに言葉を続けた。


「王女の発言はどれも聞くに耐えないものだった。孤児を蔑む言葉も最低だし、貴女の性根がよく理解できたよ」

「そ、そんな、違……」

「そして何より、ルシンダを何度も侮辱したことは決して許せない」


いつもは春空のようなアーロンの瞳が、今は触れれば凍える鋭利な氷柱のようだ。


「今すぐルシンダに謝罪し、夜会から退場してもらいたい」


普段のアーロンの優しい雰囲気とはまったく異なる、有無を言わせない圧力が恐ろしいのか、王女が涙目になって拳を握りしめる。

しかし、きっとルシンダを睨みつけると、わずかに震える声で言い切った。


「わたくしは謝りません……! こんな娘に頭など下げません……!」


そうしてルシンダの手から扇子を奪い返すと、勢いよく背中を向け、ホールとは別の方向へと去って行った。





しばらくの沈黙が続いたあと、アーロンが申し訳なさそうに口を開く。


「……すみません、ルシンダ。王女に謝罪させることができませんでした」

「いえ、構いません。私も出過ぎたことを言ってしまいましたから……」

「そんなことありませんよ。もっと言ってもよかったくらいです」


少なくとも自分はまだまだ言い足りなかったアーロンが、不満げに息を吐く。

すると、ルシンダがどこかきまり悪そうな様子で、おずおずと尋ねてきた。


「ところで、アーロンはさっきのやり取りを本当に全部見ていたんですか……?」

「はい。まあ、正確に言えば、最初のほうは二人の声を聞いただけですが、やり取りは把握しています」


アーロンが正直に答えると、ルシンダは恥ずかしそうに両手で顔を覆った。


「まさかアーロンに聞かれていたとは思いませんでした。恥ずかしい……」


赤く染まった頬が、まるで色づき始めた薔薇のようだと思いながら、アーロンが聞き返す。


「なぜですか? 私はあのときのルシンダをとても美しいと思いましたよ」

「ええっ……で、でも、王女殿下に対して不遜だったかなと……」

「そんなことはありません。それに、二人の会話が続いてしまったのは私のせいでもあります。本当はもっと早くに止められたはずでしたから」


あのとき、本当はルシンダが扇子で打たれそうになる前に、なんとかして止めることはできた。実際、そうするつもりだった。


しかし、ふとルシンダの表情を見たとき、彼女の瞳に強い意志の力を感じたのだ。

今は自分が助けに入るべきではない──直感的にそう思い、しばらく様子を見守ることにした。


するとルシンダが、驚くほど気高く鮮やかに言い返すものだから、ついそのまま見入ってしまったのだ。


「理不尽に屈することなく、よく頑張りましたね。私のことまで庇ってくれて……嬉しかったです」

「いえ、勝手にすみません……。でも、アーロンの婚約者になる方なら、アーロンのことをちゃんと見てほしくて……」

ルシンダが、その綺麗な目を伏せるようにして顔をうつむける。

長い睫毛が月明かりに輝いて美しい。

アーロンは思わず見惚れてしまいそうになるが、今はそれよりもまずやらなくてはならないことがあった。


「あの、ルシンダ。どうも誤解があるようなので、訂正してもいいですか?」

「えっ、誤解ですか?」


ぱっと顔を上げ、大きな瞳を見開いてこちらを見上げるルシンダが、とても可愛い。

……ではなく、早く誤解を解かなければ。


「ええ、その……エリーズ王女は私の婚約者にはなりません。もうすでに何度も断っています」


事実を告げると、ルシンダの頬にわずかに赤みが差した。

勘違いしていたことを恥ずかしがっているように見えるが、どこか安心した風にも見えるのは気のせいだろうか。


「では、アーロンの婚約者はまだ決まっていないのですね……?」


ルシンダが、確認するように問いかける。

一瞬、「そうです」と答えそうになったアーロンは、しかし気が変わって違う返事をすることにした。さっき見たルシンダの強さに感化されたのかもしれない。


珍しく緊張しだした心を落ち着けるため、一度だけ軽く深呼吸する。

そうして、こちらを見上げたままのルシンダを真っ直ぐに見つめて答えた。


「婚約者は、もう決まっています」

「え……」


目の前のエメラルドの瞳が途端に輝きを失い、薔薇色の頬も青白く色褪せていく。

そのさまに胸を痛めつつも、「もしかしたら」と期待をもらい、アーロンが冷たくなったルシンダの手を掬い取る。


「私が婚約したいのは、ルシンダただひとりです。ルシンダでなければ婚約などしたくありません」


アーロンの言葉が予想外だったのか、ルシンダは絶句したまま固まっている。

しかし、顔が真っ赤に染まり、瞳にも星のような輝きが戻っているということは、きっと悪い反応ではないはずだ。


「ルシンダがうなずいてくれなければ、私は一生誰とも結婚しないつもりです。幸い、優秀な弟がいるので国王の座は彼に継いでもらえば問題ないですから」

「……でも、そんなこと、陛下たちがお許しになるか……」

「父は分かりませんが、母は私の味方です。父は母に敵いませんから、やはりこれも問題ありません」


ルシンダの瞳がみるみる涙に滲んでいく。


「アーロンが、本当に……? どうして、私なんかを……」

「”私なんか” ではありませんよ、ルシンダ」


また自分の価値を信じられなくなっているルシンダに、アーロンが諭すように語りかける。


「最初は、恩返しをするつもりでした。私たちが初めて出会った、あのお茶会の日……ルシンダは私から希望を引き出してくれた。だから私も、いつしか君の中で眠ってしまった心を引き出してあげたいと思ったんです」


自分にできることで少し手助けしてあげると、ルシンダの心は徐々に目覚めていった。

強さを身につけるだけでなく、優しさも忘れずに、どんどん素敵な女性へと成長していった。

今の彼女に魅力を感じない者など、どこにもいないだろう。


でも。


「私にとってルシンダは最初からずっと魅力的で、憧れの存在でした」


あの日、はにかみながらも楽しそうな表情で「魔術師になって旅に出たい」という夢を語るのを聞いたときから、アーロンの心はすっかりルシンダのとりこになってしまった。


アーロンが自らの頬にルシンダの手を触れさせる。

彼女の手は緊張のせいかひやりと冷たかったが、そのほうが自分の熱もよく伝わるかもしれない。


「ルシンダ──私は今夜、八年越しの片想いに決着をつけたいと思っています。どうか、返事を聞かせてもらえませんか?」


頬に触れているルシンダの手がわずかに震える。

それから、月光のように繊細な睫毛が三度瞬き、小さな唇がゆっくりと開かれた。


「……きっと、昔の私だったら、自分が誰かに好きになってもらえるなんて考えもしませんでした。自分が誰かを好きになることもなかったでしょう。でも──」


星の光を宿したルシンダの瞳が、眩しそうに細められる。


「アーロンのおかげで、私も人を好きになれると知りました。アーロンの気持ちも、憐憫ではなく愛情だと、心から信じられます。だから……私もこれからは堂々とアーロンの隣に立ちたいです」


ルシンダの返事で、アーロンの長い片想いに幸せな終止符が打たれる。

不覚にも涙ぐみそうになってしまったアーロンに、ルシンダが柔らかく微笑んだ。


「ルシンダ、貴女が好きです」

「はい、私もアーロンが好きです」


二人のほかには誰もいないバルコニーを美しい満月が静かに照らしている。


アーロンがルシンダの滑らかな頬に触れ、少しだけ恥ずかしそうに囁いた。


「そういえば、『満月の下で口づけた二人は永遠に幸せになれる』という言い伝えがあるのですが……」

「そ、そうなのですか? そんな言い伝えを知っているなんて、アーロンはロマンチックですね……」

「というより、言い伝えにさえすがりたいくらい、貴女が愛おしくてたまらないだけです」


ルシンダのなだらかな額に、こつんと頭をのせれば、触れ合った場所から互いの熱が広がっていく。


「……その言い伝え、きっと、本当だと思います……」


ルシンダが消え入りそうな声で呟いて、そっと瞳を閉じた。


アーロンがルシンダの口元に手を添えて、優しく上向かせる。


「──ルシンダ、愛しています」


重なった唇は、友人だった八年分の距離を埋めるかのように、熱くつながったまま離れなかった。



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