「ふんす!」
ピアーニャの実家に無事生還したアリエッタは、部屋の隅っこで気合十分。
「って、なんであんな隅で?」
「何をしようとしているのよ?」
広い部屋のベッドの影を陣取り、筆を見せて威嚇し、とりあえず用事が無ければ誰もむやみに近づかないという状況を作り出す。
威嚇する事自体は、絵を描く時に時々やっている儀式なので、ミューゼもパフィもどうしたら良いのか理解し、アリエッタも通じていると確信しているのである。一緒にいるネフテリアは、その説明を受けて納得。
(ふっふっふ、みゅーぜとぱひーの分も買ってもらったし、あんなに着せ替えしてくれた仕返しに驚かせてやる!)
アリエッタはこれまでニーニルから始まり、各リージョンの街を廻り人々を見てきた。そして着せ替えられている内に一種の物足りなさを感じていたのだ。
(今日で確信した、地味というか個性が無いというか、基本的に無地なんだ)
自分の絵を見せると驚かれる。最初だけであれば子供の描いた絵が凄いというだけで終わるのだが、描く度に驚かれる。さらに、どこへ行っても誰かが書いた絵などの美術品もなければ、カラーインクといった道具も見た事が無い。
まだ拾われて半年すら経っていないが、周囲をキョロキョロと必死に見回していたアリエッタは、既に美術面が未発達という事実に気付いていた。そして昼に見た文字だけの看板が沢山ある光景で、確信したのである。
(……そりゃみんな驚くよね。だれも絵を描いたりしないのかな)
基礎となる絵が無ければ、刺繍や模様といったものも未発展。かろうじて色という存在はあるものの、一般的に売られているのはほぼ黒だけ。
(でも喜んでるみたいだし、今まで通りで良いよね。駄目なら『めっ』て言われるし)
ようやく周りの反応の意味を理解したが、だからといってアリエッタに絵を止めるという意思は無い。折角趣味で喜ばれているのに加え、能力でインク出し放題という超好条件がそろっているのだ。むしろ絵の立場を向上させたいという想いが、ちょっぴり目覚めていたりする。
(ふふふ、今日は今までとは違うぞ。可愛くてまだちょっと恥ずかしいけど、喜んでくれるといいなぁ)
そして筆を持ったアリエッタは、下を見てベッドの向こうで四つん這いになり、ミューゼ達からは背中とお尻しか見えなくなった。
「一体何してるのかな」
「きっと面白い物が出来上がるのよ」
「その前にお尻が可愛いわね」
そんな姿を、大人3人はお茶しながらのんびりと見守るのだった。
一方ピアーニャも、母親ルミルテと一緒にティータイム…という名の打ち合わせ。
昼過ぎに帰ってきてからというもの、ドルネフィラーに関する事やアリエッタに関する事を話しながら、今後の調査について意見を出し合っていた。
先代組合長の妻なだけあり、探求心は当然人一倍ある。シーカーとしては一線を退いたとはいえ、その実力は見た目通りまだまだ若く、『雲塊』の扱いはピアーニャ以上だったりする。
2人は出かけている間にネフテリアから聞いた事をレポートに追記しつつ、夕食の時間まではのんびりと夜にまとめた話を見直すつもりでいた。現在最もドルネフィラーをよく知るネフテリアを加えなかったのは、次々出てきた新事実に頭が耐えきれなかっただけである。
そんな夕食前ののどかなひと時は、いきなり破られる事となった。
「キャーーーー!!」
屋敷中に響き渡る程の女性の悲鳴。
「なんだ!?」
2人は立ち上がり、部屋を出ようとした時、再び悲鳴が聞こえた。それも先程とは違う声で。
聞こえた悲鳴の雰囲気からして明らかにただ事ではないと感じた2人は、急いで部屋から飛び出た。
「どっちだ!?」
「あっちね!」
廊下を見渡し、点在するメイドの向いている方向からルミルテは察し、駆け出す。ピアーニャもすぐに戦闘態勢のまま後に続く。
さらに響き渡る別のメイドの悲鳴。今度は1人ではなく、複数の声である。
ここは広いとはいえ自分の家の中。ルミルテもピアーニャも、すぐに向かっている方向に何があるかを思い出していた。
「かーさま!」
「ええ、アリエッタちゃん達に何かあったのかもしれない!」
悲鳴が聞こえているのはミューゼ達が宿泊している部屋の方向。廊下を曲がりミューゼ達に貸している部屋の入口を目視できる場所までたどり着いた時、部屋の前にメイド達が倒れているのを見た。そして立っている最後の1人が、崩れ落ちる瞬間を目撃してしまった。
「みんな!」
「いったいナニがおこってるんだ?」
今倒れた…それはつまり、このような事態を起こした犯人がまだその場にいるという事。
先に部屋前にたどり着いたルミルテが警戒しつつも急いでメイド達に駆け寄ると、所々に赤い液体が飛び散っているのを見た。まだ犯人がいるなら起こしている余裕は無いと、ルミルテは一気に部屋の中へと入っていく。だが……
「ひああぁぁぁぁ~~!?」
歩幅が狭く、まだ部屋にたどり着いていないピアーニャが聞いたのは、なんとルミルテの悲鳴だった。
「かーさま!?」
ピアーニャは信じられなかった。退いて平和に暮らしているとはいえ、自分の母親が強い事はピアーニャがよく知っている。そんなルミルテが一瞬で悲鳴を上げる何かがそこにいるのだ。
『雲塊』を構え、一度部屋の前で止まり、中を覗く。見えたのは、顔を抑えながら床に手をついてへたり込む、ルミルテの姿だった。しかも床に赤い血を滴らせている。
(ばかな! かーさまが!?)
それを見た瞬間、思わず飛び出していた。何が来ても防御出来るよう『雲塊』を前に出し、ルミルテに駆け寄る。駆け寄りながら部屋の中を確認するピアーニャは、その光景を見て困惑した。
まず目に入ったのは、近くにいたネフテリア。うずくまって肩を震わせている。次に茫然と佇むミューゼ。そしてルミルテと同じように血を滴らせながら俯いているパフィ。最後に……
「ア……アリエッタ?」
部屋の中心にはアリエッタが佇んでいた。その顔は、ピアーニャがやってきて喜んでいる顔である。
「ぴあーにゃ!」(やっと来た!)
「ど、どういうコトだ? かーさま? テキは?」
他に周囲には何もいない。敵意も危険も感じないピアーニャが不思議に思い、横にいるルミルテに問いかけた。そしてルミルテは答えた……鼻血を垂らしながら。
「ムリ……可愛すぎて死ぬ……」
「は?」
全く意味が分からないピアーニャは、買い物でもこういう事があったような…と思い出し、改めてアリエッタを見て……愕然とした。そして納得した。
アリエッタは少し恥ずかしそうに、買ってもらったワンピースを着ていた。しかも髪型がツインテールにセットされている。そこまでは割とよくある光景だった。しかし、
「エをきている……だと?」
そのワンピースの裾周りには、雲の絵が描かれていた。それだけではなく、右半分には虹が雲の上にかかっており、左半分には庭に咲いている花が数個描かれていた。
パフィに買ってもらったうちの1つが空色のワンピースということで、アリエッタは今いるリージョンを思い浮かべ、雲と虹の絵をワンピースに施したのだ。しかも、ややコミカルなタッチで描いてあるのが、アリエッタの幼さを強調している。
(この雲の世界をイメージして描いてみたけど、似合ってるかな?)
こうして、どこの店にでも売っている普通の形をしたワンピースは、アリエッタの手によって空色のワンピースから『空のワンピース』へと進化した。
アリエッタは買ってもらった服に絵を描くという、絵や画材が全く発展していない文化の中では、発想すること自体が難しい事をやってのけた。筆で布に絵を描くというかなり直接的な手段を取ったが、アリエッタの髪から出る色は普通の物質的なインクとは違う為、滲んだり水で落ちたりという事も無い。金属だろうと布だろうと、綺麗に着色出来るのである。
(えっと……やっぱり恥ずかしいかも! みゅーぜ達に決めポーズまでしちゃったし!)
ミューゼ達も驚いたまま固まっているが、それはアリエッタがワンピースを着る前に、ミューゼに髪のセットを頼んだ事が驚きを増幅したのである。とりあえず可愛い髪形にしてもらおうと、可愛いをイメージしやすいツインテールをジェスチャーで伝え、セッティング。その後ちょっと隠れて着替えてから姿を見せ、ポーズをとってみたら、3人ともその変貌ぶりと可愛さに驚いて声を上げたのだ。
その声を聞いたメイドが何事かと部屋に入り、驚いたアリエッタが振り返ってスカートがふわり…という瞬間を目撃し、大絶叫という訳である。その後は悲鳴が被害者を呼び、部屋の前に血だまりと屍が増えていったのだった。
思惑とはかなり違う結果になったが、アリエッタはミューゼ達を驚かせる事に成功した。
「ぴあーにゃ~」(もうピアーニャに恥ずかしいのを忘れさせてもらおう!)
「う……かわいいな、まさかフクにエをかくとは……」
毎度の事ながらアリエッタの絵に驚かされるピアーニャは、素直に感想を言った。服に描かれている絵が気になって、目を離すことが出来ない。
そのままアリエッタに抱き着かれ、撫でられた。
周囲にいる可愛い物好きな者達は、眩しすぎるモノを見るかのように目を細め、鼻血や涙を流しながらその光景を目に焼き付けていた。しかしただ1人、至近距離かつローアングルからそれを見て、致命傷を負った者がいた。
「……あぁ、ここが神の世界……なのね……ガクッ」
「かーさまぁぁぁぁ!?」
その顔はとても安らかで、すぐ傍には赤い文字で『かわいい♡』と書かれていた。
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