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その日、東京はひどい雨だった。
二十七歳の誕生日を迎えたばかりの結衣(ゆい)は、勤め先のデザイン事務所をいつもより少し早く出た。傘を叩く雨音が、街の喧騒を遠ざけてくれるような気がした。
「……あ」
路地裏の古びた時計店の前で、彼女は足を止めた。ショーウィンドウに飾られた、深い藍色の文字盤を持つアンティークの腕時計。それは、かつて彼女が最も愛し、そして失った男――蓮(れん)がずっと探していたモデルに酷似していた。
結衣が店に吸い込まれるように入ると、カランと乾いたベルの音が響いた。
「いらっしゃい。……おや、珍しい客だ」
店の奥から現れたのは、白髪の店主ではなく、結衣が忘れたことなど一度もない、あの懐かしい声の持ち主だった。
「蓮……?」
「結衣……。どうしてここに」
七年。二人が別れてから、それだけの月日が流れていた。
大学時代の恋。若さゆえの衝突と、夢を追うために選んだ決別。建築家を目指してドイツへ渡ったはずの彼は、なぜ今、古びた時計店で時計を弄っているのか。