報告
14:09 ギアーデ連邦作戦本部─────壊滅。
14:12 第86独立機動打撃群─────壊滅。
同日 23:47 ギアーデ連邦─────完全崩壊。
フレデリカ・ローゼンフォルト─────死亡。
「…ッ!?」
目を覚ましたレーナは、懐かしい景色に匂いに絶句した。ミリーゼ邸の自室。しかしそれは、とうに失われてしまったものだ。
なんで。どうして。混乱する頭を必死に働かせて考えてみるが、納得する答えが見つからない。
「…私はあの時に死んだはずでは…?」
あの時とは、レギオン最終戦線の事。
レーナは、指揮官として作戦に参加。第86独立機動打撃群率いていた。
決して油断などしていなかった。しかし、戦場では何があるか分からない。まさか、凍結状態のレギオンが居るなんて誰が思ったのだろうか。凍結状態だったそれらは、声を発さない。故に、発見が遅れたのだ。
不測の事態に本部は作戦の修正を行おうとしたのだが、ここでも不測の事態が起こった。
レギオンが本部に侵入してきたのである。
殆どの戦力を最終戦線に導入したのが仇となった。 次々に鳴り響く警報。シンの。仲間たちの声。 そして────────────。
気付けば涙が零れていた。大切な仲間たちを。愛しい人を置いていってしまった。その事実にどうしようもなく胸が締め付けられた。
本部の壊滅は、つまり彼女も死んでしまったのだろう。人類を救う最後の希望を背負った少女が。 物思いに耽ったレーナは人の気配に気づかない。
「…レーナ?大丈夫?」
声が部屋の入口から聞こえた。それは、もう聞けないはずだった母の声だ。その姿を捉えたレーナは、母に駆け寄り抱きついた。
あの時見捨ててしまった。縋るような手を振り払ってしまった。悲痛な呼び声から目を逸らしてしまった。
「ちょッ!!レーナ!?」
母が驚いた声を出すが、そんな事は構わない。
「お母様ッ!!ごめんなさいッ!!あの時ッ!!私はッ!!」
レーナのただならぬ様子に、母は抵抗をやめて静かにレーナの頭を優しく撫でた。
「大丈夫よレーナ。私はここにいるから。」
ひとしきり泣いて、今度は羞恥心が押し寄せてきた。だって幼子のようにはしたなく泣いてしまったから。真っ赤な顔を両手で隠す。
「うぅ…お母様…お恥ずかしい姿をお見せてしまってすみません…」
「…何かあったの?」
母が真剣な顔でレーナの顔を覗き込む。泣いていて気づかなかったけれど、母の菫の香りが鼻を掠めた。その優しくて懐かしい香りに、止まったはずの涙が溢れそうになる。
「いいえ…なんでもありません。…少し夢見が悪かったようです」
レーナは嘘をつく時、目が分かりやすく泳ぐと言っていたシンの言葉を思い出す。上手く誤魔化せたのだろうか、と恐る恐る母の表情を伺う。 そこには、やはりと言うべきか疑いの眼差しを向ける母がいた。この場を切り抜けるために言葉を選んでいると、
「…はぁ。やっぱり嘘をつくのが下手ね。でも、あなたが言いたくないのなら聞かないわ」
母は困ったような呆れたような笑みを浮かべ、レーナの髪を耳にかけ直すと、部屋へと帰っていく。 1人になった部屋でレーナは顔に深い影を落とし呟いた。
「お母様…ありがとう。それと…ごめんなさい。」
もし、あの時のように選択を迫られても、母の命を優先させる事は恐らく無いのだろう。レーナはエイティシックスの女王、鮮血の女王。彼らを生かすためなら非道にならなければならないから。いずれ訪れる別れを思い、レーナは窓から見える空を見上げた。いつか見た景色のようにそこには綺麗な星空が広がっていた。
レーナは、自身が過去へと戻っている事を改めて理解した。恐らくあの世界はレギオンに敗北してしまったのだろう。全てが機械仕掛けの亡霊により破壊され、蹂躙され、何もかもを失って。
「…失敗は赦されない。今度こそは….。」
あの日の敗北を繰り返さないために。レーナは、あの世界で散っていった彼らを背負って前へ進む決意を胸に刻む。行き着く果てまで必ず連れていくから。
そして今日は、スピアヘッド戦隊の指揮官着任を2日後に控えた日である。
“前”は電話で連絡したな、と懐かしい記憶を思い出す。受話器を取った青年は、レーナが指揮官に着任した後にはいなかった。つまり、この2日間で死んで行ったということだ。
今の自分じゃ何も変えられない。名前を忘れないでいることしか出来ない。
自身の無力さに、下唇を強く噛んだ。しかし、無力感に打ちひしがれている場合では無いのだ。だから自分の出来ることをしよう。 知ることの出来なかった彼の名を、今度こそ。そして連れていこう。
「…こんにちは。2日後に貴方たちの部隊に指揮官として着任するヴラティレーナ・ミリーゼ少佐です。本日は挨拶のために連絡をさせていただきました。…貴方のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか。嫌ならば構いません。」
噛まないように何度も練習したセリフ。練習の成果は本番に実を結んだようだった。レーナが安堵していると、受話器の向こうから豪快な笑い声が聞こえてきた。
『ははははッ!エイティシックスに名前を聞く白ブタなんて初めてだ。オーケー。俺はクジョー。クジョー・ニコってんだ。よろしくな。』
気さくに対応するクジョーに、レーナは目を細める。会ってみたい、そう思った。けれど、状況的に見てもそれは絶望的であることは明白だ。
「…クジョーさん、ありがとう。どうか気をつけてくださいね。…死なないでください。では、失礼します。」
『あぁ、またな。ハンドラー。』
受話器を耳から離し、台の上に静かに置く。
ふぅ、と呼吸をひとつ。これからレーナは、共和国軍上層部へと赴く。手数は多いに越したことはないからだ。心細くないと言えば嘘になる。けれど、味方のいない、腐った共和国軍の中にいても、レーナは強く在れる。だって、この胸の中に、大切な仲間たちの存在があるから。彼らの未来を奪わせない為に、レーナは戦う。強く拳を握り込み、顔を上げる。その顔はまさしく女王の威厳を感じるものだった。
「知覚同調、アクティベート。」
スピアヘッド戦隊、指揮官着任の挨拶をするために、うなじ部分付けられたレイドデバイスに手を当てる。僅かに、熱を帯びたそれらは、神経が活性化した際に起きる、いわば幻の熱である。この熱の温かさとは裏腹に、レーナの体は手先まで冷えている。
彼らの声を聞けるのは嬉しい。けれど、冷たく、蔑むような声を聞かなければならない。そのことに心が痛みを覚える。あの温かな声を知ってしまったから。知る前には戻れない。覚悟は出来ていたはずだったのに。
「ハンドラー・ワンより、スピアヘッド戦隊各位。────初めまして、本日から貴方がたの指揮管制を担当いたします、ヴラディレーナ・ミリーゼ少佐です。」
知覚同調の向こうで、彼らが困惑している事が伺える。着任の挨拶をする指揮官なんて、共和国には存在しなかったし、ましてや名乗るなんてこと。祖国に対して、深い憤りを覚えた。当たり前の事を人間ではない奴らにする義理はない。という考えが手に取るように分かる。彼らだって、同じ痛みを持った人間なのに。
ところで、先程から沈黙が流れてる。”前”は、シンが戦隊長として、挨拶に答えていた筈ではなかったか。と古い記憶を辿る。ほかの者たちは、答える気がない。当然といえば当然なのだが。その沈黙で分かったことがあった。…クジョーが死んだ。彼はきっと、この状況では真っ先に声を出すタイプだ。だから、この沈黙は彼がもう居ない事を表す。悲しみに目を伏せたレーナは、沈黙も相変わらず続いていたので、知覚同調を切ろうと、口を開いた。しかし、それよりも先に声が被さった。
『…レーナ?』