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 俊一と別れてから数日がたった。

 誰か他人といる時であれば、いつも通りに振舞えるくらいまでには、立ち直りつつある。しかし特に夜、自分の部屋に一人となった時には、俊一にフラれた時のことが脳裏にまざまざとよみがえる。傷つけられた痛みで胸が苦しくなり、涙が止まらなくなる。そのせいで、ここ最近は目元が腫れ気味だ。さらには、失恋の影響で食欲が落ちたせいか、顔の輪郭が今までよりもシャープに見える。

 そして今日は久しぶりの家庭教師の日だ。期末テストの期間中は、あえて家庭教師の仕事は休みにしていたため、土屋家に行くのはほぼ十日ぶりだ。

 失恋した直後から比べれば、だいぶ気持ちは落ち着いてきているとは言え、私の表情はまだまだ冴えない。理玖たちからこの顔を隠すために、私はいつも以上に念入りに身支度を整えた。顔の輪郭を隠すために、普段は後ろにまとめている髪を下ろす。目元を隠すために、コンタクトレンズではなく、太いフレームの眼鏡をかける。これならばまず気づかれることはないだろうと、鏡の前で自分の顔をしつこいくらいに確認してから家を出た。

 土屋家に着いてインターホンを押した。「今行く」という声が聞こえて間もなく、ドアが開く。理玖が嬉しそうな笑顔で出迎えてくれた。


「いらっしゃい」

「お邪魔します」


 髪型も眼鏡も、装備は完全だとは思うが、念のためややうつむき加減で挨拶をした。そそくさと靴を脱いでいるところに、友恵がやって来た。


「先生、いらっしゃい。今日もよろしくお願いしますね」

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

「先生、行こうか」

「えぇ」


 友恵に会釈をし、理玖の後に続こうとした。それを彼女が引き留める。 


「ねぇ、まど香先生、今日はいつもと雰囲気が違うのね」


 ドキッとしたが、平常心を保とうとしながら私は曖昧に笑う。


「たまには気分を変えてみようかなと思って……」

「いつものキリっとした髪型もいいですけど、今日みたいなスタイルもいいわね。先生の髪って綺麗だから。眼鏡はやっぱり、ない方が可愛らしいと思うけど」

「そ、そうですか。ありがとうございます……」

 

 友恵は話題を変える。


「ところで先生、今日はすぐに帰らないといけないかしら?久しぶりに一緒に夕飯いかがですか?」

「えぇと……」


 食欲は相変わらず落ちたままだし、食事に限らず、今はまだ誰かと何かを楽しめるような心境と状態でもない。


「お誘い頂いてありがとうございます。ただ、今日は帰ったらやらなきゃならないことがありまして……。ですから、今度また時間がある時に、ぜひ味見させてください」


 本当はそんなものはないが、そういうことにして丁重に断った。

 当然私の事情など友恵は知らない。彼女は残念そうに眉根を寄せた。


「今日はミートローフに挑戦してみたから、ぜひ先生にも味見してほしかったのよねぇ」


 理玖が驚いた顔で友恵を見た。


「ちょっと待って。今『挑戦』って言ったよね。初めて作ったってこと?そんなお試しみたいな料理で、よく先生を誘えたね」

「あら、レシピ通りに作ったんだから、絶対に美味しいわよ」

「それはそうかもしれないけどさぁ……」


 友恵は呆れ顔の息子につんとした顔をし、私には微笑みかける。


「それじゃあ、先生、今日は残念ですけど、またお声がけしますね」


「はい。ありがとうございます」

「そうだわ。その時は、先生のお好きな物をお出ししたいわね。まど香先生は、何が好きなのかしら」


 友恵の話がまだ続きそうな気配を察して、理玖が割って入ってきた。


「母さん、もういい?そろそろ勉強始めたいんだけど」

「あら、いやだ。つい長くなってしまって。先生、理玖の勉強、よろしくお願いします」

「はい」

「先生、行くよ」


 理玖は私に声をかけ、大股歩きで階段下まで行く。

 私はぱたぱたと彼の後を追った。

 部屋に入り、椅子に落ち着いた理玖は、苦々しい顔でぼやく。


「まったく、うちの母さん、初めて作ったものを家族以外に食べさせようとするなんて」

「それだけ上手にできたっていうことなんでしょうね」

「どうかな」


 理玖は苦笑しながら教科書を開いた。


「まぁいいや。とにかく勉強始めよう。期末は終わったけど、予習復習はちゃんとやっとかないとね」

「テスト結果が戻って来るのはもう少し先?」

「そうだね。来週には出揃ってるかも。俺、今回は今まで以上に頑張ったつもりだよ。なにせ先生からのご褒美がかかってるからね」

「そうだったわね。結果が出てくるのが楽しみね」

「じゃあ早速なんだけど」


 理玖は私の前にずいっと数学のワークを置いた。


「この解き方、なんかどうしてもうまくいかないんだ。なんでかな」

「どれどれ?」


 私は理玖が指さしたところを覗き込む。彼が書いた一連の解答をじっと眺めて、その原因を突き止めた。それを伝えると、理玖は感心したように目を見開いた。


「なるほどね。ありがとう、まど香先生」

「いえいえ」


 その後も理玖の勉強を傍で見守っていたが、終わりの時間まで残り一時間を切った辺りで彼はシャープペンを置いた。


「休憩しようかな」

「どうぞ」


 私が頷くのを見て、理玖は席を立った。


「俺、ちょっと下に行ってくる。先生は適当にゆっくりしていて」

「うん、行ってらっしゃい」


 理玖が部屋を出て行き一人となった。手持無沙汰となりスマホを取り出した時、メッセージが入った。どきりとして慌てて画面を見たが、それは登録しているショップの単なる通知だった。


「あんなフラれ方をしたっていうのに、私ったら、まだ俊一君から連絡が来ると思っているのかしら……」


 私は自嘲気味に一人笑う。

 なんとなく残したままになっていた俊一の電話番号はもとより、メールアドレスも、フォローしていたSNSのアカウントもすべて、すぐに削除しよう。彼に関わること全部を早く忘れたい。家に帰ったらすぐにやろうと強く思いながら、スマホをバッグの底の方に仕舞い込んだ。


「お待たせ」


 理玖が戻ってきた。手にトレイを持っていて、そこから紅茶の香りが漂ってくる。


「マカロン食べよう」

「マカロン?」

「こないだ美和ちゃんが買ってきてくれたんだけど、食べたらうまかったんだ。俺が今まで食べたことがある中で、一番かな。だから先生にも食べてほしいって思って、買ってきたんだ」


 私に説明しながら、理玖はティーカップとマカロンが綺麗に並んだ透明なケースをローテーブルの上に並べる。


「まど香先生、こっちに座って」


 私はテーブルの傍まで行き、ティーカップが置かれた席についた。

 彼は私の真正面に座り、わずかに小首を傾げる。


「あぁ、だけどまど香先生は、マカロンってどう?好きだった?」

「好きよ。美味しいし、色や形も可愛いわよね」

「だよね。俺も好きなんだ」


 理玖は私を見てにこりと笑う。その笑顔がいつも以上に綺麗に見えて、傷んでいた心が癒されるような思いがした。


「ぜひ食べて。これ、ほんとに美味しいんだ」

「ありがとう。でも、理玖君のお気に入りなんだよね?全部食べてもいいよ?」

「全部なんて無理だよ。それにこれは、先生に食べてほしくて買ってきたものだから。どれも美味しいけど、俺が好きな味は……」


 理玖は色とりどりのマカロンに手を伸ばして、ピンク色のものをひょいとつまみ上げた。


「これ。ラズベリー」

「へぇ、美味しそう」


 そのまま自分の口に持って行くのだろうと思っていた。ところが、理玖はそのマカロンを私の口元にずいっと近づけてきた。


「まど香先生、あ~んして」

「え……」


 驚きと戸惑いで固まってしまった。しかし、理玖はさらに身を乗り出してくる。


「ほら、口開けて」

「理玖君、やめてよっ」


 彼に悪気がないことは分かっていたが、自分でも驚くほどの強い口調で拒否してしまった。きっと気を悪くしたはずだと思い、慌てて謝る。


「ご、ごめん。強く言いすぎちゃって……」

「俺こそごめん。調子に乗りすぎちゃった。でもね」


 理玖は指先に持ったままだったマカロンを自分の口に持って行き、カリッとかじった。半分くらいまで食べてから、マカロンを見つめながら言う。


「甘い物を食べるとさ、幸せな気分になれたりしない?」

「え?」

「こういうのを食べたら、少しはまど香先生が元気になるんじゃないかな、って思ってさ。本当は帰りに渡すつもりでいたんだけど、持ってきちゃった」


 理玖は言葉を切り、心配そうな顔で私を見つめる。


「今日の先生、いつもと違って元気がないように見える。いつもと違う格好しているのは、そんな自分を隠すためなのかなって思ってた」


 確かに今日の姿は傷ついた自分を周りに気づかれないようにするためのものだった。友恵には効果があったようだが、理玖に対しては逆効果だったか。しかし、私の様子に気づき、気にかけてくれたことを嬉しいと思ってしまう。


「話すことで少しでも気持ちが楽になるんなら、話、聞くよ?」


 優しい言葉に心が揺れる。しかし、私たちは家庭教師とその生徒だ。親しくなったとは言え、話せることと話せないことがある。そして私の失恋話は高校生に聞かせられるような内容ではない。私は口元に笑みを貼り付けた。


「心配してくれてありがとう。でも私はいつもと変わらず、普通に元気よ」

「そうは思えないけど」


 理玖は苦笑を浮かべてため息をついた。


「まど香先生って、教えるのは上手だけど嘘は下手なんだね」

「嘘じゃないわ」

「ホントかなぁ」


 理玖はすくい上げるような目で私を見た。

 その視線から逃げるように私は目を逸らす。


「じゃあさ、今日はどうして髪を下ろしているの?いつもは後ろでまとめてるよね?教える時、髪が落ちて来て邪魔になるからって言ってさ。眼鏡だってそうだよ。鼻の辺りが鬱陶しいから、余程のことがない限りはコンタクトレンズをしているんだ、って言ってなかった?それなのに今日の先生は、顔を隠そうとしているみたいだ。どうしてなのかな」


 彼にしてみれば、単純な疑問をぶつけているだけなのだろうが、私はそれに答えられない。

 理玖は私の答えを待ってじっとこちらを見ている。

 彼が知りたい答えではないことを承知で、私は口を開く。


「髪はこうしたい気分だったし、今日は目の調子が悪いから眼鏡にしただけのことよ。たいした意味はないの。ね、そろそろ勉強始めましょう」


 私はすっかり温くなってしまった紅茶を飲み干した。立ち上がろうとテーブルに手をかける。


「待って」


 理玖の手が私の手の上に乗った。

 驚いた弾みで、浮かしかけていた腰がクッションの上に戻る。


「ちょっと、理玖君、危ないでしょ!」

「ご、ごめん!」


 理玖は慌てて手を離し、うつむいた。

 彼の様子にふっとため息をつき、改めて立とうとした。

 そこに彼の固い声が聞こえる。


「俺じゃ、頼りにならないかな?」

「頼りって何のこと?」

「俺はまど香先生よりも全然年下だし、高校生だし、人生の経験値なんてものも全然ない。だけど、先生を心配する気持ちは人一倍あるつもりだよ。今日の先生は笑顔が少なすぎる。笑っていてもどこか辛そうだ。一体何があったの?俺が先生のためにできること、何かない?」


 一度は収まったはずなのに再び心が揺らぎ出し、理玖の優しさに甘えたくなった。けれど私は彼より年上であり、彼の家庭教師だ。そんなことはできないし、言うべきではない。私は努めて軽い口調で言った。


「やだなぁ、高校生に心配されちゃうなんてね。でも、ありがとう。ほんとに何でもないのよ」


 理玖は疑うような目をしてしばらくじっと私を見つめていたが、結局諦めようにため息をつく。


「……分かった。そういうことにしておくよ」


 寂しそうに笑う理玖の表情は、私を落ち着かない気分にさせた。

優しい君に恋をする~この関係、気にしないではいられない、だけど、それでも

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