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あの夏。
わたくしは、毎日が幸せでした。
はやく夜が明ければよいと。
はやく朝が訪れればよいと。
あすに馳せる希望というものを、そういったものがまことに在るのだと、初めて知りました。
あの夏。
おふたりと過ごした日々は、あの日々こそが、わたくしの………。
史さま、穂葉さま。
だから、もうよいのです。
わたくしは、もうよいのですよ?
史さま、穂葉さま。
いいえ。
吾が背子、そして夜の子。
わたくしは、妾は……………。
あの心霊ツアーから、数日経ったある日のこと。
私とほのっちは、地元から遠く離れた山地に赴いた。
この夏は、どうやら山にとことん縁があるらしい。
もちろん、山、海、川と言えば、夏の行楽地として定番だし、私だって取り分け山は好きだ。
電車を乗り継いでの長旅だったけど、夏休みの序盤を埋めるには、打ってつけの好イベントだった。
「今さらなんだけどさ、どんなヒトたちなの? その、お友達」
「ん、どんな……? んー………、会えば分かりますよ」
とは言え、今回も単なるお出かけではなく、きちんとした旅の目的がある。
小さな駅舎を出ると、すぐに登山道の入口を示す案内板が目に留まった。
これに従い、田舎風の市場が並ぶ町筋を、右に左に折れながら進んでゆく。
「けど、ホントに待ち時間なかったね?」
「あ、電車? “呼ばれる”ってヤツです?」
「そうそう」
駅のホームに上がった途端、まるで見計らったように、乗るべき列車が滑り込んできたり。
乗り換えの際も、ホームに降りると、次の列車が乗降口を開けて待っていたりと。
今朝からここに到るまでの道々を振り返ってみても、不思議なほどタイミングが噛み合っていたように思う。
「まぁ、今回は出頭命令だから」
「うーん………」
「気楽に! あの二柱、かなり常識的なヒトたちですよ? お父の友達の中では」
気になるのはそこだ。 なぜ、私まで呼び出されたのか。
こちとら、彼女たちの近くにいること以外は、何の変哲もない女子高生である。
天に弓を引いた覚えはないし、何かしらの粗相をした覚えも、ない事はないか。
何日か前、史さんが大切にしているガジュマルの鉢植えを、うっかり割ってしまった。
それにしたって
『史さんは? 史さんは、なんで呼ばれてないの?』
『あぁ……、ケンカ中なんですよ。 あのふたりとは、長いこと』
『長いこと?』
『ん……、平安時代からだから』
『いやちょっと待って?』
『1200年くらい?』
何かしらの霊木ならまだしも、あれは本当に普通のガジュマルの木だ。史さんには悪いけど。
ケンカ中なら尚更、そんな事でわざわざ呼び出しを食らうとは思えない。
他に思い当たる節は、これといって。 先方の意図は、まったく計りかねる。
しかし、すんなりと運んだ道々を思えば、少なくとも歓迎はされているのか。
それとも単に、“早よ来い”の合図なのか。
「酒屋さん多いね?」
「うん。 水が綺麗なんですよね、この辺」
世俗的で、活気に満ちた町筋を抜けると、整然とした参道に出た。
アスファルトの代わりに、石畳を緻密に敷きつめた道が、向こうに見える大鳥居へと、一直線に続いている。
あれがどうやら、登山道の入口に直結しているらしい。
鳥居の向こうには、こんもりとした小山が鎮座していた。
あの山中に社殿があるのか、もしくは神社設備を持たない神体山か。
いや、史さんの旧友二柱が坐すということは、何らかの施設が整えられていると見るべきか。
それにしても、この辺りの様子。
同じ鳥居前町でも、春見大社の参道とは、まったく趣きが異なる。
あちらにはまだ、日常の風景が随所に垣間見えた。
みやげもの屋の隣に民家が並んでいたり、だんご屋の向かいにコンビニがあったり。
自転車に乗って、近くのスーパーへ行き来する主婦が通りかかることもあれば、運送会社のトラックが、忙しく行き交うこともある。
もちろん立地も大いに関係するのだろうが、こちらの参道には、それら俗気に通じるものが一切ない。
たっぷりと幅のある道の両脇に、それぞれ“奉納”を謳う酒蔵が等間隔で並び、歴史の深そうな宿が一軒だけ、目立たない場所にひっそりとある。
人出は決して多いほうではなく、参拝客と思しき人足が、時おりチラホラと通りかかるくらいのものだった。
先ほど通り抜けた町筋と、徹頭徹尾住み分けが為されている印象だ。
この道は、すでに神域の一部なのだろう。
鳥居の奥からサワサワと及ぶ言い知れない神気が、私の眼にもはっきりと見えるようだった。
「あ! あそこの酒粕ソフト、おいしいですよ?」
「ん……、あとで食べよっか」
緊張が顔に出ていたのか、友人が気さくに肩をポンと打ってくれた。
何はともあれ鳥居を潜った私たちは、なだらかな山道を黙々と歩んだ。
空気は爽やかで、周囲の木々の緑が、信じられないほど青々と際立っていた。
生命力、活力に満たされた樹木とは、これほど凄まじいものかと、鮮やかに実感させられた。
程なく到着した頂上の広場に、それは在った。
まるで童話に出てきそうな、可愛らしいお店。
有り体に言えば、柔らかなフォルムの小屋に、レンガ造りの短い煙突が、ちょこんと乗っている。
看板には“おもひで屋”と、店構えにはそぐわない達筆で記されていた。
店先に据えられた長椅子には、少年の姿があった。
紅梅色の召し物を身につけて、桃の花弁のような唇を使い、篠笛を奏じている。
しかし旋律は何も聞こえず、瑞々しい息遣いが、スーッと尾長に流れるのみだった。
「む、参ったな?」と、程なくこちらに気づいた彼は、人懐っこく破顔した。
「久しいな? 穂明の夜の御子や」
「うん。 おひさです吹さん。 お変わりなく?」
「見ての通りの? そちらの子も、よう参られたな」
「あ、いえ………」
見た目に似ず、円熟した語り口と、どことなく嗄れた声。
そこで私は、まざまざと思い知った。
またしても、エラい所に来てしまったらしい。