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そうする内、もう一名の主が、お店のドアを開いて顔を覗かせた。
サスペンダーをつけた葡萄色のスラックスに、品の良いシャツを合わせた老紳士だ。
「おぉ、これは。 ようこそお出でくださいました」
彼もまた、私たちに目を留めるや、人当たりの良い笑顔で歓迎の意を示してくれた。
「ご無沙汰してます織さん。 調子はどんなもんです?」
「いや、相も変わらずですな」
「右肩上がりってワケにはいきませんか?」
「えぇ……、まぁ。 そこが難しいところですな。 我々の」
ふと顔を見合わせた二柱は、そろって苦笑いを零した。
「お主、父親に似てきたの?」
「まことに。 あの方と話しているような錯覚が」
「それ、いちばん困るやつですよ、リアクション……。 てか、お父と会ってないでしょ? ここ何年か」
その“何年”とは、具体的にどれほどの年月を表すものなんだろう?
彼らと史さんは、千年以上も仲違いを続けていると聞いた。
神さま基準はさすがに、直感的に理解するには、スケールが大き過ぎる。
「んむ……。 会うには会っとるよ。 時たまな?」
「へぇ? 初耳だ」
「先日など、その辺りを何軒かハシゴしましてな? 三柱で」
「あ、そういや朝帰りしたことあった。 こないだ」
こうして眺めていると、本当にどこにでもある光景だなと思った。
父親の友達と、何のことはない世間話を交わす娘。
彼らの立場や背景がどうであれ、その模様は極々ありふれたもので、見ている側としても心安い。
「して、そちらが?」
「あ、望月千妃です」
不意に、少年のほう、吹さんからパスが来た。
特に疎外感を覚えていた訳ではないが、彼なりに気を回してくれたのだろう。
「遠いところ、お疲れになったでしょう? まずは店内でお茶でも」
こちらも、物腰の柔らかな老紳士、織さんが、温和な顔でそのように勧めてくれた。
この時点で、私の心身は幾分にもリラックスしていた。
参道で感じた粛然たる気配に、身を引き締めたのが、つい先ほどの事だ。
今となっては、それがもはや遠い過去に起こった出来事のように感じられた。
「ハーブティーはお好きですか?」
「あ、はい。 大好きです」
店内の様子は、外観と同じくらいメルヘンチックで愛らしかった。
片隅に丸っこい形をした暖炉があって、いずれもふんわりとした質感の、年代物と目される調度品が並んでいる。
奥のほうはカウンター席になっており、やはりソフトな形状の椅子が三つほど用意されていた。 ちょうど、カントリー風のパン屋さんを思わせる雰囲気だ。
こちらの席を利用する私たちに、織さんが手慣れた仕草でティーカップを差し出してくれた。
レモングラスだろうか。 とても爽やかで、心が落ち着きそうな香りがする。
カウンター奥の壁には、格子状のラックが備えつけてあり、見覚えのある品から用途の分からない品まで、様々な物品がズラリと展示されていた。
しかし、こうして店内に入って辺りを見渡しても、店名の意図するところが分からない。
“おもひで”を謳うからには、例えば昭和の香りに代表されるような、なにか懐かしいものを扱うお店かと思ったが。
どちらかと言えば西洋趣味な店内に、そういった要素は見受けられない。
唯一、それらしき物があるとすれば、棚に陳列された品々の内のひとつ、ブリキと思しきトラックの玩具くらいだろうか。
「それで、今日はどういう?」
カップにひと口つけた後、友人が切り出した。
これに倣い、喉をこくりと鳴らす。
清涼な酸味とほのかな甘みが、舌の上に優しく広がった。
「む? うん。 本日は、そう………」
端の席にテンと腰掛けた吹さんが、思案顔で言葉を切った。
言い出しづらい事柄なのか、頭の中で懸命に語句を組み立てているような印象だ。
「………こちらを」
見かねた様子の織さんが、論より証拠とばかりに、棚から選び出した物品を、カウンターにコトリと置いた。
「これは………?」
手に取ったほのっちが、ひとまず裏表を確認し、小首を傾げてみせた。
ものは円形の鏡で、裏側に桜と松の彫刻が施されている。
形式からして、平安時代に貴族の間で使用された和鏡のようだ。
「うん………?」
手元に怪訝な眼差しを注いでいた友人が、ふと何かに勘付いた様子の声を漏らした。
「ほのっち?」
見る見るうちに、その満面から表情が抜け落ち、カッと見開いた双眸だけが、一心に掌の鏡に据えられた。
「……気づいたな? それが」
痛ましいものを見るような顔つきで唱えた吹さんは、しかしすぐに口を噤んだ。
“おもひで屋”
はっと気づいた。
彼は今、こう言おうとしたんじゃないのか?
“それが、誰の持ち物か”
ひょっとして、この店は………。
「実はな………、もう一つある」
苦衷の滲む表情で、吹さんが言った。
これ以上畳み掛けるのは忍び難いが、致し方ない。
そういった心境が、その様子からありありと見て取れた。
間もなく、カウンターを迂回した織さんが、丁重に持参した品物を目の当たりにして、友人の狼狽はいよいよとなった。
「それって………」
「“羽”だ」
堪えきれず顔を背けた吹さんが、短く応じた。
先ほど、私の脳裏を過った悲愴な想像が、確信に変わった。
あの棚に並ぶものは皆、元は誰かの持ち物で、それぞれに何らかの思い出が深く深く刻まれているのではないか。
彼らの仕事は、その“思い出”を。
あるいは、物に込められた想いを、持ち主と特に縁の深かった人々に、たとえば家族や親友などに、手渡すことなんじゃないのか。