日がすっかり落ちた部屋の中、テレビの青白い光が壁に揺れている。時計の針はすでに夜の九時を回っていた。
リビングの隅、ソファに寄りかかるように並ぶふたりの影。
直弥と哲太は肩を寄せ、ゲーム画面に夢中になっていた。
「なあ、それどうやったの?」
「ここでスライディング。ほら、敵の背後からこう――」
直弥の説明に、哲太が身を乗り出す。
手元を確認しようとする動きはごく自然なもので、手と手が触れそうなほどの距離だった。
肩が軽く当たっても、どちらも気にする様子はない。
モニターに映るキャラの動きに、直弥がふっと笑う。
その笑みが、やけに無防備で――。
「……なおや。」
玄関のドアが開いた音は、ふたりの耳には届いていなかった。
けれど、呼ばれたその声だけは、低く、確実に空気を変えた。
直弥が驚いたように振り返る。
リビングの入り口に立つ男――拓弥の目は、感情を押し殺しているように見えて、実はとても分かりやすい。
「たく、おかえり。えっと、哲太とゲームしてただけ――」
「近すぎるっつってんだよ。」
その言葉が放たれた瞬間、部屋の空気がぐっと冷えたように感じた。
拓弥の足音が、フローリングに静かに響く。
歩み寄る速度はゆっくりなのに、なぜか圧がある。
哲太はわずかに肩をすくめ、けれど拓弥は一切目もくれず、すっと間に割って入る。
「え、ちょ、ちょっと何――!? たく、何すんだよ!」
直弥がたじろいでも、拓弥の腕は逃がさない。
そのまま哲太を無言でどかし、直弥の手首を掴んで引き寄せた。
「何って、なおやが他の男にベタベタしてた罰。」
「だから、違うってば。哲太に操作教えてただけ――!」
「教えるのは俺の前だけにしろ。……俺以外に、そんな顔すんな。」
その声は冷たく低いけれど、どこか不器用な熱がにじんでいた。
「……うっさい。たくこそいちいち嫉妬すんな。」
「嫉妬して何が悪い。」
口調は変わらないのに、そのまなざしがすっと近づく。
拓弥は直弥の耳元に顔を寄せ、ひときわ低く囁く。
「今夜、覚悟しとけ。」
直弥の肩がびくりと震えた。
すぐに赤くなった耳を隠すように顔を背ける。
「……っ、バカ……!」
拓弥が手を離すことはなく、そのまま腕を引いて連れていこうとする。
静かになったリビングに残された哲太は、コントローラーをそっとテーブルに置き、目を伏せた。
(あー……これはもう、完全に巻き込まれちゃいけないやつだったな……)
彼の心の中で、密かに「兄弟間のテリトリー」はレッドゾーンに認定された。
ドアが閉まる音が、静かな部屋に乾いた響きを残す。
壁にかかった時計の針が微かに時を刻む音だけが、二人の間に流れる沈黙を埋めていた。カーテンは引かれたままで、天井のライトが淡く部屋を照らす。どこか薄暗いその光の中、直弥はベッドの脇に立ったまま、落ち着きなく視線を泳がせていた。
「……マジで意味わかんねぇ。嫉妬とか、ガキかよ」
そう言い放ちながら、手を振りほどくようにして距離をとる直弥。けれどその声には、わずかに震えが混じっていた。
「なおが無自覚に男に甘えんのが悪いんだろ」
拓弥の声は、低く静かに響く。怒鳴るでもなく、けれど確実に怒りの熱を帯びていた。その目が直弥をまっすぐ捉える。逸らすことは許されない、そんな眼差しだった。
「甘えてねーし。ただ教えてただけ――って、何度言わせんだよ」
反射的に言い返した直弥の声も、どこか語尾が揺れている。拓弥の静かな怒りが、部屋の空気そのものを重くしていた。
直弥が睨みつけるように目を細めると、拓弥は一歩、また一歩とゆっくり近づいてくる。その動作はあまりにも落ち着いていて、逆に逃げ場のない焦燥を煽った。
「……なに。怒ってんの?」
「怒ってねぇ。呆れてるだけだ」
たったそれだけの言葉に、直弥はカッと顔を赤らめた。
「うっわ、そういうの一番タチ悪ぃんだけど」
そう吐き捨てるように言いながら顔を背けた瞬間、拓弥の指がそっと顎を掴んだ。強引ではない。けれど、その優しげな力加減が余計に逃げづらくしている。
拓弥が身体を寄せてくる。息が肌にかかる距離まで顔が近づき、直弥の背筋がぞくりと震えた。
「お仕置き、される覚悟はできてんだろ?」
「っ……な、なにが“お仕置き”だよ。そんなの、ガキじゃねぇんだから――」
「じゃあ大人らしく、黙って受けろ」
直弥の反論を遮るように、拓弥の唇が重なった。
熱くて、深いキスだった。
一気に抱き寄せられた直弥は、息を呑む暇もなくその唇に溺れていく。もがこうとした肩は、すでにしっかりと腕の中に収められていた。
淡い光が差す室内で、二人の影が絡み合う。
キスが離れると、直弥の唇はうっすらと濡れて、呼吸は乱れていた。
「な……なんなんだよ、たく、いきなり……」
「“俺以外にそんな顔すんな”って言ったよな」
「……そんなの、いちいち……」
「言わねぇとわかんねぇだろ。なおや、ほんっと無防備なんだから」
拓弥の手が、そっと首筋に触れる。指先が頬をなぞるたびに、直弥の体温がじわりと上がるのがわかる。淡いピンクに染まったその顔を、拓弥はじっと見つめた。
「……なおのこういう顔は、俺だけが知ってればいい」
「……ば、か」
震える声でそう呟いた直弥は、それでもその視線から逃れなかった。
「……っつーか、お仕置きって……まだすんのかよ」
「当たり前だろ。始まったばっかだ」
拓弥の唇が、意地悪く笑う。その顔に、どこか照れくささすら滲んでいた。
「ちゃんと、俺だけのもんだって、身体に教えてやる」
「……た、たくほんと調子乗んなって……!」
声は強がっているつもりでも、その手は無意識に拓弥のシャツの裾を掴んでいた。胸の鼓動が早くなって、呼吸が追いつかない。
そうしている間に、拓弥は軽く直弥の肩を押して、ベッドの端に座らせる。
背中が柔らかい布地に触れる音が、微かに響く。
そのときの直弥の顔は――耳まで真っ赤だった。
瞳は潤み、唇は少し震えていて、それでも逃げようとはしなかった。
窓の外では、月が静かに光を落としている。
夜は深く、長く、その熱の続きをまだ知らないふたりの体温だけが、部屋の空気を確実に変えていた。
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