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第百五話 言えなかったありがとう
三つ目の約束。
『同じ写真をもう一度撮る。』
それは、昨日叶えた。
朝の駅。
学校。
そして、二人が初めて出会った場所。
昔の写真と同じ場所に立って、今の二人を撮った。
残る約束は、あと二つ。
琴葉は、机の上に置いた紙を眺めていた。
「次は……」
指先が、四つ目の約束に触れる。
『ちゃんと「ありがとう」を伝える。』
「これ、誰に?」
律が隣から聞く。
琴葉は首を傾げた。
「分からない」
「昔の俺たち、肝心なところ書かなすぎ」
「ほんとにね」
二人で笑った。
けれど、琴葉はその文字を見た瞬間から、
なぜか胸が苦しかった。
「……でも」
「ん?」
「これ、たぶん大事な約束だったと思う」
律も頷いた。
「俺もそう思う」
その日の午後。
二人は、昔よく歩いた道を辿ることにした。
駅から学校まで。
学校から公園まで。
公園から、昔二人でよく立ち寄った小さな店まで。
歩くたびに、記憶が少しずつ戻ってくる。
「ここで、初めて一緒に飲み物買った」
「覚えてる」
「私、何買った?」
「……分かる」
「ほんと?」
「これ」
律が指差した。
琴葉は目を丸くした。
「なんで覚えてるの?」
「忘れてたけど、思い出した」
「すご」
「そっちは?」
琴葉は少し考える。
「律は、いつも同じの選んでた」
「……それも思い出した」
二人は笑った。
記憶が戻るたび、過去が少しずつ近くなる。
でも、その途中で琴葉の足が止まった。
目の前にあるのは、昔の通学路。
彼女が一番苦手だった場所だった。
「……ここ」
律も気づいた。
「無理しなくていいよ」
「ううん」
琴葉は首を振った。
「行く」
二人はゆっくり歩いた。
ここで、昔の彼女は何度も嫌な言葉を聞いた。
誰かの視線が怖かった。
誰かの笑い声が怖かった。
だから、できるだけ早く通り過ぎていた。
でも今日は違った。
隣に律がいる。
それだけで、少しだけ足を止められる。
「……ねえ」
「ん?」
「昔、ここで私が泣いてたの覚えてる?」
律は頷いた。
「覚えてる」
「そのとき、律が何も聞かなかったことも?」
「……うん」
「なんで?」
律は少し考えた。
「聞いたら、言いたくないことまで言わせそうだったから」
琴葉は黙った。
「だから、ただ隣にいた」
「……そうだったね」
その瞬間、琴葉の中で記憶が蘇った。
あの日。
二人で歩いていた。
彼女は泣いていた。
でも、律は何も聞かなかった。
しばらくしてから、彼女が自分から言った。
「ありがとう」
律は、
「何が?」
と聞いた。
「何も聞かないでいてくれて」
そして律は笑った。
「じゃあ、今度は俺が辛いとき、何も聞かないで隣にいてよ」
「うん」
それが、最初の「ありがとう」だった。
琴葉の目から涙が落ちる。
「……思い出した」
律が見る。
「何を?」
「ありがとうを伝える相手」
律も、すぐに分かった。
「俺?」
琴葉は頷いた。
「うん」
「でも、それならもう……」
「違う」
琴葉は涙を拭った。
「昔のありがとうじゃない」
律が黙る。
琴葉は、まっすぐ彼を見る。
「今の私から、今の律に言いたい」
少し震える声で。
「ありがとう」
律は何も言わなかった。
琴葉は続けた。
「私が何も言えなかったとき、無理に聞かなかったこと」
「……」
「私が一人になりたかったときは、一人にしてくれたこと」
「……うん」
「でも、本当に一人になったときは、ちゃんと隣に来てくれたこと」
琴葉の涙が止まらなくなる。
「全部忘れても、私のことを探してくれたこと」
律も俯いた。
「……それは」
声が少し震えた。
「俺だけじゃない」
琴葉が顔を上げる。
「え?」
「俺が忘れても、君も俺を探してくれた」
律は涙を拭った。
「俺だって、怖かった」
「うん」
「また全部失うんじゃないかって」
「うん」
「でも、君がいたから……」
そこで言葉が止まった。
律は一度、深く息を吐く。
「ありがとう」
琴葉が泣きながら笑う。
「……ずるい」
「何が?」
「先に泣かせるから」
「そっちが先に泣いたんだろ」
「そうだけど……」
二人は泣きながら笑った。
しばらくして、
琴葉が昔の約束を書いた紙を取り出した。
四つ目。
『ちゃんと「ありがとう」を伝える。』
その横に、小さく丸をつける。
残るのは――
最後の一つ。
琴葉が紙を裏返した。
そこには、あの言葉がある。
『大丈夫になったら、行く。』
律がそれを見つめた。
「……これだけだ」
「うん」
「どこに行くんだろう」
琴葉は答えなかった。
ただ、紙の裏側に
何かが透けて見えることに気づいた。
「律」
「ん?」
「これ……」
光に透かす。
すると、薄い文字が浮かび上がった。
『最初に会った場所へ。』
二人は顔を見合わせた。
最初に会った場所。
学校。
そう思った。
けれど――
律の表情が変わった。
「……違う」
「え?」
「学校じゃない」
彼は記憶を辿る。
そして、ゆっくり呟いた。
「俺たちが、本当に最初に会った場所……」
琴葉も同時に思い出した。
二人がまだ互いの名前さえ知らなかった頃。
事故よりずっと前。
誰にも知られていない、二人だけの場所。
「……あそこだ」
二人は顔を見合わせた。
最後の約束が、ようやく形を持ち始めていた。
花月夜れん
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ばたっちゅ
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耀聖(ようせい)
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コメント
1件
うわ……もう、泣いたわ。 「今の私から、今の律に言いたい」って——そこ、完全にやられた。 過去の「ありがとう」じゃなくて、今の二人で積み重ねたものとして伝えるの、尊すぎる。 最後の一文に透かし文字の仕掛けとか、構成が丁寧すぎて震えたわ。 残る約束、あの場所——すげえ気になる。次、待ってる🔥