桜那は相変わらず精力的に仕事をこなしつつ、オーディションに挑む毎日を送っていた。撮影や収録、オーディションと目まぐるしく過ごし、気付けば季節は秋も終わりを告げようとしていた。この頃は努力が少しずつ実り始め、AV以外の演技の仕事も舞い込んでくる様になった。それでも、どんなに忙しくても時間を見つけては、なるべく宏章と過ごすようにしていた。
桜那は自宅で、宏章とレンタルしてきたホラー映画を鑑賞していた。
桜那がホラー映画に端役で出演する事が決まったので、その監督の別作品を借りてきたのだが、桜那があまりの恐怖に鑑賞途中で挫折しかけた。宏章はホラー映画は割と平気なタイプなので、ビール片手に真剣に眺めていると、桜那が悲鳴を上げて強くしがみついてきた。
「そんなに怖い?」
怯える桜那が可愛くて、宏章は笑いながらつい意地悪っぽく言ってしまった。
「怖いに決まってるじゃん!絶対眠れないやつだよ!もう無理、見るの止める!」
桜那はため息をついて、停止ボタンを押す。
「えぇ!今いい所だったのに」
「だって怖いんだもん!」
桜那は宏章の腕に絡み付いて、涙目になりながら上目遣いで宏章を見上げた。宏章は可愛さのあまり、思わず桜那にキスをした。そっと口唇を離し、「じゃ!俺歯磨きして来る」と言って立ち上がると、桜那は「すぐ戻ってきてね!」と念を押した。
宏章が戻ると、桜那は毛布に包まりながらベッドに横たわっていた。宏章がベッドに潜り込むと、またいつものように桜那は宏章を求めた。宏章の腰の動きと共にベッドが軋み、荒い息遣いと喘ぐ声が部屋中に響き渡る。
「……あっ!……宏章!きて、宏章!」
桜那は抱かれている間、何度も宏章の名を呼んだ。
その声を聞くたびに堪らなくなり、宏章は絶頂を迎えた。
「……桜那!……イク」
射精の間、桜那は宏章の腰を両足で押さえて強くしがみ付いた。
桜那は自分の中を宏章でいっぱいに満たされる、この瞬間が一番好きだった。
翌朝、桜那はそのまま出勤する宏章を見送った。
「じゃあ、これ出勤ついでに返してくるから」
「うん、ありがとう!気をつけてね」
桜那はにっこり笑って、宏章の首に腕を回しキスをする。
「じゃあ、行ってくる。桜那、ゆっくり休んで」
桜那は宏章を見送ったあと、小さくため息をついて浮かない顔で部屋に戻った。
明日はAVの撮影の日だ。
あのオーディションの後、宏章が側にいる事で桜那の精神は一見安定したかに見えていた。だが桜那はここの所、徐々に「異変」を感じ始めていた。AVの撮影が近づいてくると、言いようのない不安を感じる様になった。初めは意識しなければ気付かない程度だったが、夏頃から少しずつ大きくなり始め、この頃はそれに押しつぶされそうになっていた。
……早くAV女優を引退したい、あと少しなのに。
宏章は相変わらず何も言って来なかったが、複雑な想いを抱えている事は桜那に充分伝わっていた。AVの撮影に関して、いつの間にかお互い無意識のうちに、その話題へ触れない様になっていたのだ。
いっその事、今すぐにでも仕事を辞めてくれと言ってくれた方がどんなに楽だろう。それを言って来ないのは、自分の夢に対する想いを理解してくれているからだ。宏章のその優しさが、桜那をより苦しめていた。
その日は明日の撮影に向けて、自宅で台本を読み込んだ。
今度はナースもので、チープな設定でベタな展開のいかにもな作品だった。本番前の前振りなんて誰も真剣に見ないだろう。だが、桜那はその前振りですら手を抜かず、いつも全力投球していた。
夜になり、明日の撮影に向けて肌のコンディションを整える為に、入念に手入れをして早めにベッドへ入った。
だが眠ろうとすればする程、逆に頭が冴えて眠れなかった。
……全然眠れない。
桜那は宏章の声が聞きたくなり、携帯に手を伸ばした。ディスプレイで時刻を確認すると、とっくに日付を跨いでいた。
……止めよう。それに、宏章に何て言うつもりなの?
明日の撮影が不安だなんてとても言えない。困らせるだけだ。宏章は何も言わないけど、明日はAVの撮影だっていう事はきっと分かっている。そう思ったら電話をかける事すら躊躇ってしまい、結局よく眠れないまま翌日の撮影を迎えた。
翌日は寝不足であったが、相変わらずの高い集中力で撮影を乗り切った。
愛想良くスタッフや監督に挨拶して帰宅すると、どっと疲労感に襲われた。体を休めようとお気に入りの入浴剤を入れて、ゆっくりと湯船に浸かる。目を閉じると、いきなり頭がぐるぐるし始めて、急に息苦しさに襲われた。
桜那はパッと目を開き、慌てて体を起こした。
……何?一体何が起こったの?
桜那は両手に視線を向けると、小刻みに震えていた。ぎゅっと両手を握りバスルームの天井を見上げる。四方を何かに見張られている様な感覚になり、恐怖を感じて急いで上がった。
バスルームから出ると、震えが止まったので桜那は安堵した。その後はいつも通りスキンケアをしてベッドに入るが、さっきの感覚が忘れられず、なかなか寝付けなかった。
やっとうとうとしかけると、閃光が走り、大きな音に驚いて目を覚ました。きゃあ!と叫んで起き上がり窓を見ると、外は大雨だった。
……雷か。
桜那がホッとしたのも束の間、また手が小刻みに震え出した。ぎゅっと強く体を抱きしめて目を閉じると、今度は先日見たホラー映画のワンシーンが浮かび上がってきた。沢山の血みどろの手が、自分を目掛けて迫ってくる。桜那は恐怖に堪え兼ねて、咄嗟に宏章へ電話をかけていた。
しばらくコールを鳴らすと、宏章は明らかに寝起きの声で電話に出た。
「……桜那?どうしたの?」
宏章の声を聞くなり、桜那は安心して涙が滲んだ。
「宏章……」
桜那が涙声で呟くと、宏章は目が覚めたのか、急に声が深刻なトーンに変わった。
「桜那?何かあったの?」
桜那は涙を拭い、笑顔を浮かべた。
そして心配かけまいと、甘えた声で訴えかけた。
「宏章ー!あのホラー映画思い出して眠れないの!しかも外は雷だし、もう怖くって……」
「なんだ、桜那は怖がりだなぁ」
宏章もまた、ホッとして笑った。
「ごめんね、寝てた?」
「ん、大丈夫。桜那が寝付くまで電話繋いどくよ」
「え?でも明日仕事じゃ……」
「心配すんなって!俺こう見えても体力だけはあるからさ!」
そう言って宏章が笑うと、桜那は胸が温かくなり、次第に心が落ち着いて来た。
「宏章、細身だもんね。私なんて油断するとすぐ太っちゃうから羨ましいよ」
「そうそう!俺昔からあんま太んない体質でさ!でも仕事で重いの持つから腕は立派だよ」
桜那はきゃっきゃと笑い声をあげると、自然と眠くなり、ぽつりと呟いた。
「宏章、ありがと……」
桜那は携帯を握りしめたまま、パタリと寝落ちした。
「……桜那?」
名前を呼ぶと、電話の向こうですうすうと小さな寝息が聞こえてきた。宏章は「おやすみ」と呟き、そっと電話を切った。
翌日、桜那はすっきりと目覚めた。
昨日宏章の声を聞いて、心が休まりぐっすりと眠る事ができた。そのおかげで疲労が取れて、気持ちも落ち着いていた。
携帯を確認すると、桜那を心配した宏章からメールが届いていた。
『昨日はよく眠れた?また怖くなったらいつでも電話して』
桜那は嬉しそうに返信すると、白湯を淹れてテーブルに腰掛けた。そうして穏やかさに包まれながら、ゆったりと朝の時間を過ごした。
『昨日はありがと♡宏章のおかげでぐっすり眠れたよ!今日も夜電話していい?声が聞きたいよ……』
宏章は桜那からのメールを確認して、とりあえず一安心すると、出勤時間が迫っていたので急いで支度した。
……桜那は何も言わなかったけど、昨日は多分AVの撮影の日だよな。
宏章は何とも言えない複雑な気持ちになり、ため息をついた。
支度を終えて、玄関で靴を履いていると携帯が鳴った。てっきり桜那からだと思い携帯を取り出すと、母からの電話だった。
……お袋?珍しいな。
この頃は用事のある時宏章から母に連絡をするぐらいだった。
丁度いいや、また桜那の好きな日本酒を送ってもらおうと、いつものように電話を取った。
「もしもし、何ー?俺もちょうどお袋に連絡しようと思ってたんだよ。前に送ってもらった桜花ってやつ、気に入ったからまた送ってよ」
「あんたは相変わらずねぇ……、まぁ元気そうでよかったわ」
母はやれやれと苦笑いで答えたあと、ため息をついて何か言いたげに無言になった。宏章は不思議に思い、「お袋?なんかあった?」と尋ねた。
「あのね、お父さんここの所体調悪くて……、こないだ検査したらあまり肝臓の数値が良くなくて。今度入院して、もっと詳しく検査する事になったのよ。それでね、来年にはお店畳もうと思ってるの。私も歳だから流石に一人ではね……」
「……え?畳むって?」
宏章は突然の事に戸惑った。
「まあ、お父さんの事がなくてもそろそろ潮時だとは思ってたの。お店だっていつまでもやれる訳じゃないからね」
「親父がいない間、お袋一人で大丈夫なのかよ?俺、一旦帰って……」
宏章が言いかけると、母は遮る様に話し出した。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。お父さんだって、今すぐどうのって話じゃないんだから。あんたにはそっちの生活があるんだし……。仕事だって、せっかく正社員になったばかりなんだから頑張んなさい」
「……でも!」
「あんたが上京したばかりの頃は、根を上げてすぐ帰ってくるだろうと思ってたのにねぇ……、これでも感心してるのよ。とにかくこっちの事は気にしなくていいから。あんたの好きにしなさい」
そう言って母は電話を切った。
宏章は子どもの頃の記憶が蘇った。
幼い頃は店が忙しく、家族で出掛ける事などほとんどなかったが、仲睦まじく店に立つ二人の背中を見て育ち、二人が頑張ってきた事は誰よりも知っている。二人がどれだけ店を大事にしてきたのかも。
同時に桜那の顔が頭を過った。
甘える様な笑顔と、不安定に泣きじゃくる姿。
宏章は困惑したまま携帯を握りしめ、しばらくその場に立ち尽くしていた。
その日は結局、母の電話が頭から離れず、仕事中に凡ミスを連発した。真面目で手際の良い宏章には珍しい事で、同僚も心配する程だった。
ガシャン!
ガラスが割れる音で、宏章は我に返った。
倉庫での作業中、うっかり手を滑らせて酒瓶を破損してしまった。
「すみません!」
宏章が慌てて片付け始めると、同僚も「マジで今日どうした?本当に大丈夫か?」と言って、一緒に片付け始めた。
……だめだ、全然集中できない。
……納品ミスるは、商品は破損するは散々だな。
結局一日中グダグダのまま仕事を終え、帰宅してシャワーを浴びる。
何もする気になれず、コンビニ弁当で夕飯を済ませ、ビール片手にテレビを点けるが、内容がまるで頭に入って来なかった。
……疲れたな、今日はもう寝よう。
ため息をついてテレビを消すと、携帯が鳴った。
悟からだった。
「おう!宏章!久しぶりだな!今何してんの?」
悟は相変わらずのテンションの高さで話し始めた。外にいるのか、電話の後ろでガヤガヤと音楽が流れている。
「いやなんも……、寝ようとしてたとこだよ」
宏章は気怠そうに答えた。
……相変わらずだな悟は。また遊んでんのか?
どうせいつもの様にフラフラ遊んでるんだろう。宏章は悟の身軽さと奔放さが羨ましく思えた。
「あのさ、今度またライブイベントに参加しようと思ってるんだけど、宏章またギター弾いてよ」
宏章はまたかと思った。
最近はそれなりに仕事が忙しく、休みの日はなるべく桜那と過ごす為に予定を空けていた。
何より今のこの気分では、とてもギターなんて練習する気にもなれなかった。
「……悟、俺もうギターは……」
宏章が断ろうとして言いかけると、悟が嬉しそうに被せて話し始めた。
「俺さ、年明けたら地元に帰るんだ。地元でラーメン屋やろうと思って!資金とかある程度目処立ったし、言った事なかったけど、自分の店持つのが夢だったんだよ!それで地元帰る前に、最後にライブやりたいなって思ってさ!」
悟は心底嬉しそうに声を弾ませた。
悟は新潟出身で、上京してからずっと飲食店で働いていた。フラフラ遊んでいるとばかり思っていたが、ちゃんと夢があり、それに向けて励んでいた事に宏章は驚いた。
「……分かった。引き受けるよ」
宏章はそう言う事ならばと、これが最後だという気持ちで引き受けた。
「マジで?サンキュー!無理言って悪かったな」
「いや、地元帰っても頑張れよ」
そう言って宏章は電話を切った。
……全然知らなかった。あいつもちゃんと、将来の事考えてたんだな。フラフラしてるのは俺の方だ。
悟にも桜那にも夢や目標があって、それに向けてひたむきに頑張っている。それに比べて自分は、ただ何となく毎日を過ごしているだけ。それこそ正社員になったのも、仕事にやり甲斐を感じた訳ではなく、生活の為に流れで引き受けただけだ。
宏章は一人取り残されたような気分だった。
それから数日が経ち、桜那はまたよく眠れない日々が続いた。
仕事中は持ち前の集中力で乗り切れたが、夜になると動悸がして、手足がソワソワした。
……どうしちゃったの?私。こんな事、今まで一度もなかったのに。
桜那は堪り兼ねて、翌日病院を受診した。
そのクリニックは、桜那が性病検査で定期的に受診していて、侑李の妹の羽田野杏奈が院長を務めていた。
杏奈は婦人科の医師として勤務する傍ら、時々コメンテーターとして情報番組に出演しており、侑李と共に桜那の数少ない良き相談相手だった。
「なんか、ここの所中々寝付けなくて……。オーディションの前とか緊張しちゃって、手足が震える様になっちゃって……」
桜那がため息をつきながら、疲れた表情で症状の説明をする。ここの所眠れない日々が続き、目の下には隈ができていた。
「そう……、桜那ちゃんは頑張り過ぎちゃう所があるから。今でも充分頑張ってるんだから、焦らないようにね。じゃあ軽い眠剤と安定剤出すから、それで様子見てみて」
「……」
桜那は俯いて、膝の上でぎゅっと両手を握りしめた。
「桜那ちゃん、何かあったらいつでも私に相談して。お姉ちゃんでもいいし……、一人で抱え込まないで」
杏奈が心配そうに桜那の顔を覗き込むと、桜那はパッと顔を上げて笑顔を見せた。
「杏奈先生、ありがとう。最近なんだか焦っちゃって……、また相談に乗ってね」
そう言って桜那はクリニックを後にした。
杏奈にも、本当の悩みはとうとう打ち明ける事が出来なかった。
2
数日後、桜那が夕方くらいに上がれると言うので、宏章は仕事帰りに桜那のマンションへ向かった。
帰りついでに買出しを頼まれていた夕飯の食材を渡すと、二人で夕飯の支度を始めた。
「え?宏章今度ライブでギター弾くの?」
宏章は先日の悟からの電話のくだりをひと通り桜那へ話すと、桜那が興味津々に尋ねてきた。
「あー……うん。ほんとはあんまり気乗りしなかったんだけどね、まあこれで最後だし……」
「最後?」
宏章が言いかけると、最後と言ったのが引っかかったのか、桜那が首を傾げた。
「……あ!ほら、あいつ地元に帰るからさ!一緒にやるのもこれが最後って事だよ」
宏章はハッとして、笑いながら誤魔化した。
「そっかぁ、私宏章のステージ見たいな。宏章のギターちゃんと聴いてみたい!いつなの?」
「え?来るの?23日だけど……」
日にちを聞くなり、桜那は一瞬固まった。
その日はAVの撮影の翌日だ。
宏章は桜那の反応でその事を察した。
宏章は桜那がいつもAVの撮影の前後はオフにして、誰とも会わない様にしている事に気付いていた。
桜那は一瞬考え込んだが、すぐに「行けたら行くよ。時間分かったら教えて」と静かに言った。
……ライブは夜だし、日中休んで気持ちを切り替えられればきっと大丈夫。
桜那は不安もあったが、それ以上にギターを弾く宏章を見てみたい気持ちの方が上回った。宏章は戸惑うが、「分かった。じゃあ来れたら……、でも無理はするなよ」と答えた。
二人の間に一瞬気まずい空気が流れるが、桜那がすぐさま話題を変えたので、またいつも通りの雰囲気に戻った。
その後は二人で夕飯を食べて、いつもの様にセックスをする。
事が終わると、桜那は宏章に強く抱きついた。
……やっぱり宏章といる時は大丈夫だ。
宏章と一緒にいる時は、震えは起こらず得体の知れない不安感に襲われる事もなかった。桜那は宏章の顔を覗き込み、寂しそうに一言「好き」と呟いた。その表情がとても不安そうに見えて、宏章は桜那をぎゅっと強く抱きしめた。
「俺も好きだよ」
宏章がそう言うと、桜那は静かに目を閉じて眠りについた。
宏章は心がざわついた。
何故だかは分からないが、何か大事な事を見落としている様な気がしていた。
宏章もまた、桜那と同じように得体の知れない不安感に駆られていた。
それからも、二人はいつもと同じ日常を過ごした。
宏章は仕事の合間にライブへ向けてギターを練習をし、桜那は相変わらず収録やらオーディションを受ける毎日だった。
一見、普段と変わらない日常を送っているかに見えたが、二人ともそれぞれが悩みを抱えていた。
だがお互いにそれを言い出す事ができず、気が付いたら12月も半ばに差し掛かっていた。
桜那は相変わらず眠れない日々が続き、この頃は薬が手放せなくなっていた。
12月に入ると、宏章の仕事が繁忙期を迎え、以前より会える回数が減っていた。その事が、より桜那の不安定さに拍車をかけていた。
ようやく宏章に会えたのは、ライブの一週間前だった。
宏章は仕事を終えて、スタジオで練習した後、桜那のマンションへ向かった。時刻は22時を過ぎていた。
玄関で宏章を出迎えるなり、桜那は「お疲れ様」と言って抱きついた。宏章はそれなりに疲れていたが、桜那の温もりで癒されていくのを感じた。
「遅くなってごめん。桜那、時間大丈夫?」
「うん、明日はいつもより遅い時間にマネージャーが迎えに来るから。宏章お腹空いてる?」
桜那は宏章を気遣った。
「いや、食ってきたから大丈夫だよ」宏章が答えると、桜那は「じゃあお風呂にしよっか。一緒に入ろ」と言ってバスルームへ向かった。
桜那を待つ間、宏章はソファに腰掛けぼんやりとしていた。
……桜那、心なしか元気なかったな。
あのオーディションの日以来、桜那は酒に走る事もなく、一見安定しているように見えた。だが宏章はどこか心に引っ掛かる感じが拭えなかった。
そんな事を考えているうちに呼び出しが鳴って、宏章はハッと我に返った。
バスルームへ入ると、桜那がバスタブから顔を出して宏章を待っていた。
一緒に入浴するのはこれで三回目だが、宏章は未だ慣れず、体は正直に反応した。
桜那はバスタブから体を出し、妖艶な笑みを浮かべて「私が洗ってあげる」と体を密着させてきた。
宏章の背後に回り、体に泡を滑らせて乳首やペニスを弄ぶ。
宏章は堪らず桜那を押し倒した。
湯気が立ち込め、靄がかった視界に宏章の印象的な目がくっきりと浮かび上がる。その深い眼差しに、桜那は思わず呟いた。
「宏章……綺麗。目も鼻も口唇も、全部が綺麗」
桜那は手を伸ばし、親指で宏章の口唇をすっとなぞる。
「そんな事、初めて言われたよ」
宏章は照れから視線を逸らし、小さく笑った。
「うん、それでいい。みんな宏章の良さに気付いてないだけ。私だけが分かっていればいい」
桜那は体を起こし、宏章の目を見つめながらゆっくりと口唇を近づけた。まるで現実逃避をするかの様に、お互いに体を貪り合い、セックスに耽る。そして二人は絶頂を迎えた。
入浴を終えてベッドに入ると、二人はいつもの様にたわいもない会話を楽しんだ。会話の流れで、宏章は思い出した様に話し出した。
「桜那、そういえばライブなんだけど、19時半からなんだ。来れたら来てよ」
宏章が遠慮がちに言うと、桜那は「うん、分かった……」と頷き、少し考え込んだ。
意を決したように顔を上げ「宏章!あのね……」と言いかけるが、宏章の顔を見るなり言葉に詰まってしまった。宏章が不思議そうな顔をすると、「ライブ、頑張ってね!」と笑顔を浮かべて、ぎゅっと抱きついた。
……余計な心配かけたくない。宏章がいれば症状は治まるし、薬があればきっと大丈夫。
桜那はそう自分に言い聞かせて、宏章の腕枕で眠りについた。
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