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「おはよう」


「こちら今日の午後のアポイントで取引先へ訪問される時の手土産です。ここに置いておきますね」


「ありがとう」


「あと、リッカビール社から打診のあった会食ですけど、20日か22日で日程調整でよろしいですか?」


「あーうん、大丈夫。もしその日が先方NGだったら25日以外でスケジュール空いてるところに入れといてくれる?」


「承知しました」



週明け、朝一で社長室にやってきた彼女はいつも通りに確認事項を述べていく。


その顔には週末に見たあの無邪気な雰囲気は一切ない。


あれは夢だったんだろうかと思いそうになる。



……いや、あれは現実のはずだ。



確認の意味も込めて、話の切れ間に俺は彼女に問いかけた。



「週末、家に帰るの少し遅くなったけど大丈夫だった?ご両親、心配してなかった?」



彼女は都内から少し離れたところにある実家住まいだ。


あの日、ディナーを食べたあとに車で送って行ったのだが、時刻は22時を過ぎていた。



「あ、はい。大丈夫です。わざわざ遠くまで送って頂きありがとうございました」



彼女がそう答えたことで、やはりあれは現実の出来事だったと確信する。


つまり今の彼女は、お試しとはいえ、俺の恋人ということだ。


会社では秘密にしようと話し合ったので、このいつも通りの態度に疑問はないのだが、それにしても普通過ぎてちょっと心配になった。



「それなら良かった。今週末も詩織ちゃんと出掛けるの楽しみにしてるね」


「えっ、あ、はい」



会社でそんなことを言われると思っていなかったのか、彼女はやや動揺するように瞳を揺らした。


うっすら頬が赤く染まっている。



……あー、やばっ。可愛い。



こういう不意打ちの可愛さがホントにズルイ。


あの日もそうだった。


本当はお試し交際なんて言い出すつもりはなかったのに、彼女があんな顔するから悪い。



……まぁ、お試しとはいえ、詩織ちゃんと付き合えることになったから、結果オーライではあるけど。



彼女が「失礼します」と言って部屋から出ていく後ろ姿を見送りながら、俺は週末のことをボンヤリと思い出す。



そう、あれは遊園地の帰り際、彼女のあの表情から始まった。


そろそろ帰ろうか?と俺が言った時。


ふと見た彼女の顔には、甘えるような、それでいて寂しそうな表情が浮かんでいた。


それは「まだ帰りたくない」という気持ちを雄弁に語っていた。


好きな女の子にこんな顔をされて、嬉しくない男がいるだろうか。



きっと遊園地が楽しかっただけで、俺ともっと一緒にいたいという意味は含まれていない。


それくらいは俺にも分かる。


だけど、そうだとしても可愛いなと思ってしまう気持ちは止められない。


ホントにこの表情はズルイなと思ってそれを口にしたら、今度は「面倒をかけてすみません」となぜか謝られた。



それで思い知った。



ああ、また彼女は俺が好きだと言ったことを忘れてるんだな、伝わってないんだな、と。



だから思わず抱きしめてしまった。


本気だということを伝えたかった。


彼女がお兄さんを好きなのは知ってるから、それ以上何か求めるつもりはなかったのは本当だ。


それなのに、あまりにも彼女が「私なんて……」とか「でも……」と言うもんだから、だんだんそれを封じたくなってきて、勢いでお試しで付き合わないかと言ってしまった。



言ってしまってから、それは意外に良いアイディアかもしれないと思った。


この調子だと、彼女はいくら俺が好きだと言っても聞き流しそうだ。


それならお試しでもなんでも、一度でも彼女の意識下に入りたい。


そう方向性を決めたらあとは彼女の首を縦に降らせるだけ。


利用したら?俺が嫌い?期限を決めるのは?と、次々に「YES」と言いやすい言葉を選んで問いかけてみた。


だんだんグラグラと気持ちが揺れている様子が見えて、最後の一押しにはパリのことまで持ち出した。


最終的にそれが決め手になったのか、「でも……」とずっと渋っていた彼女が頷いた。



……仕事でもあんな難交渉なかなか最近はなかったしな。やり遂げた感がハンパない。



ともかくどんな経緯があったにしろ、3ヶ月間は彼氏という権利を手に入れた。


本気で彼女が欲しい、だからこの期間を有効に使いたい。


週末にしっかり時間を確保するためにも、その分平日に仕事を片付けてしまわなければ。


俺は机の上に積み上げられた決裁書類を手に取り、さっそく目を通し始めた。



トントントン


しばらくして社長室のドアがノックされる音がして、俺は顔を上げる。


どうぞと声を上げようとするのと同時にドアが開いた。


一応ノックしたと言わんばかりの入室。


こんなことをするのは健一郎くらいだ。


案の定、ドアを開けて姿を現したのは思った通りの人物だった。


「よっ、今いいか?」


「ノックして返事くらい聞いてから開けたら?」


「来客中じゃないってことは知ってたし大丈夫だろ。部屋の中で女と密会してるわけでもないんだし」


「………」


「え、密会してんの?お前の女遊び、ついに社員にまで手が伸びたのか?」


「……そんなわけないって分かってて言ってる?」


「まぁな。千尋はそのへんは一応弁えてるって信頼はしてる。冗談だって、ははは」


密会と言われて、一瞬彼女のことが思い浮かび、口ごもった俺も悪い。


彼女と社長室で2人きりになるのは、密会でもなんでもない。


れっきとした仕事だ。


「で、なに?」


「ああ、新作ゲームの企画の件なんだけどさ」



健一郎は本当にちゃんと用件があったようで、そこから真面目な仕事の話になった。


我が社ではモンエクに次ぐ、新作ゲームを現在開発中でその企画についてのことだった。


社員から上がってきている意見や、進行状況、全体のスケジュール感などを報告される。


それを聞きながら、適宜判断し、意見を述べ、健一郎と議論交わした。



「オッケ、じゃあその方向で開発部のメンバーにも伝えとくわ」


「ああ、よろしく」


「そーいえばさ、全然話変わるけど、千尋って友人の結婚式でスピーチとかしたことある?」


「結婚式でスピーチ?」



仕事の話から一転、唐突な話題に俺は眉を顰める。


一体いきなり何の話だ?と健一郎を見た。



「いや、実は今度スピーチ頼まれたんだ。初めてだから、どんなこと言えばいいのかな~って思ってさ。千尋が経験あるなら聞いてみようかなと」


「社員の結婚式に招待された時に、上司としてのスピーチなら何度か経験あるけど、友人代表はないなぁ。大学ん時の友達?」


「違う違う。ほら、前に話した幼なじみのヤツ。詩織ちゃんの兄だよ」


「………ああ」


そういえば彼女のお兄さんは健一郎の幼なじみだった。


彼女の兄、彼女の想い人という印象が強すぎてすっかり抜けていた。


「……その結婚式っていつ頃?」


「3ヶ月後くらいだってさ。まだ招待状は届いてなくて、先に内々で頼まれた」


「へぇ、3ヶ月後か」



彼女は大丈夫だろうか、とふと心配になった。


つい先日、あんなに泣いていたくらいだ。


あの状態のままで結婚式に出席するのはきっと相当ツライだろう。


妹という立場上、欠席は難しいのではないかと思う。


それならば、その3ヶ月後までになんとしても彼女が前に進めるようにしてあげたい。



……何の因果かお試し交際の期間と一緒だな。



改めてこの3ヶ月が勝負だと認識し、俺はまた仕事に取り掛かった。



◇◇◇



その週末。


予定通り、俺と彼女はバッティングセンターに来ていた。


ボールがバットに当たるカーンという軽快な音が響き渡っている。


彼女は物珍しそうに辺りを見回していた。



「すごい、バッティングセンターってこんなところなんですね。意外と女性や子供も多くてビックリしました」


「野球に興味がなくても、結構楽しいからね。球速を遅くすれば初心者でも当てられると思うよ」


「瀬戸さんはよく来るんですか?」


「たまーにかな。ストレス発散にね。当たるとスカッとするから、詩織ちゃんにも体験してみてほしいな」


「当てられるように頑張ります」



バットや手袋をレンタルし、ブースに向かう。


打ち始める前にまずは素振り練習からスタートだ。


彼女はバット自体初めて持つようで、どうすればいいのか戸惑っていた。




「こんな感じですか?」


「おしい!もうちょっとこんな感じ。分かる?」


「こうですか?」


「あ~ちょっと腕のあたりが違うかも。たぶんそれだと打ちにくいかな。ちょっといい?」



やって見せて真似してもらってたけど、なかなか初見だと難しいらしい。


俺は彼女の背後に回り込み、後ろから抱きしめるようにフォームを教える。


まったく下心なくそうしたのに、ふわりと鼻をかすめる石鹸のような香りや柔らかいな身体つきを感じてしまい、一瞬でスイッチが入りそうになった。


が、それを全面に出すわけにはいかない。


俺はひっそり深呼吸をして、努めて冷静を装い、自然な感じで彼女から体を離した。



「構え方はその感じね。で、そのままこんな風に振ってみて?」


「分かりました。やってみます」



彼女は真剣にやっているが、普段運動をしないせいだろう。


見るからに運動音痴のソレだった。


不慣れな感じ全開のバットの振り方がなんとも可愛い。


笑うつもりはなかったが、思わず声が漏れてしまった。


「もしかして、笑ってます……?」


「あ~ごめんごめん!可愛くて思わず!」



彼女はちょっと不満そうに、拗ねたみたいな顔をした。


そんな拗ねた顔までツボだった。



「ホント、詩織ちゃんって可愛いね」



俺は心底思ったことをそのまま口にする。


今まで女の子を口説く時は意図的に「可愛いね」と褒めていた。


もちろん口説いていた女の子は容姿が優れた子が多かったから事実として可愛かった。


ただ、その時とは全然違う。


彼女の外見が可愛いのはそうだけど、それだけじゃない。


なんていうか存在そのものが可愛く感じる。


自然と言葉が口をついて出てくるし、むしろ言い足りないくらいだった。



彼女はこのタイミングで言われても褒め言葉とは感じられなかったらしく、拗ねた顔のまま、また一人で素振りを再開し出した。



そんな彼女の様子を眺めつつ、2人でしばらく素振りをしたあと、いよいよピッチングマシーンのボールを打ち出すことに。


まずは俺がやって見せて、次に彼女だ。



「じゃあ一番遅い球に設定するね。頑張って!」


「はい。1回くらい当てたいです」



最初は球速80キロ。


それでも早く感じるのか、なかなか当てるのは難しいようだ。


彼女の振るバットは空を切る。



「思った以上に難しいですね。空振りばっかりです」


「もうちょっと気持ち上を狙ってみたら?」


「分かりました」



意識的にさっきより上でスイングしたバットは、ボールに少しだけかする。


一歩前進だ。



「あ!ちょっとだけ当たりました!」


「いいね!次はそのままバットの真ん中に当てる感じで」


「はい」



ブースの外で見守りながら声をかける俺のアドバイスに彼女は頷いた。


真剣な眼差しでピッチングマシーンを見据える。


そして……



次の瞬間、カキーンと軽快な音が響いた。



彼女が振ったバットの芯にボールが当たり、クリーンヒットとなったのだ。



「うそ、当たった!瀬戸さん、当たりました!」


「すごいよ!完璧な当たりだったね!」



やや興奮気味な声を上げながらこちらを振り返った彼女は満面の笑みだ。


本当に嬉しそうで、見ていてこちらまで嬉しくなる。



……あーやっぱ可愛い。こんな風に笑う詩織ちゃんをずっと見ていたい。



最初は彼女の泣き顔から目が離せなかったし、彼女の涙はどんなジュエリーより綺麗だと今でも思うけど、やっぱり笑顔の方がいい。



叶わぬ想いを拗らせて苦しんでいる彼女を助けたい。


バッターボックスに立ってバットを握る彼女の姿を眺めながら、俺はそんなふうに感じていた。

涙溢れて、恋開く。

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