俺は体を起こし、積み上げた段ボールの上に置いていたスマホを手に取った。
メッセージアプリには未読のマークがついている。まだ読んでいない原田からのメッセージだ
読む気なんてならないが、画面を見つめてしばらくした後、重い気持ちでタップした。
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お疲れ。多田さんに告白したよ。まだ返事はもらってないけど、また食事に行こうって誘った。
清水にはいろいろ相談乗ってもらってるし、報告しようと思って
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予想していたといえば予想していた内容だったのに、バカな俺は律儀に傷ついた。
これからは若菜に一番近いやつは、俺じゃなくて原田になるだろう。
若菜のとなりに原田がいるところが、容易に想像できた。
返事なんてしたくない。
でもいずれはひと言だけでも返事をしないと不自然だった。
「そう」と、それだけ送信して、スマホをベッドの端へ放った後、もう一度倒れ込む。
それとほぼ同時に、今度は着信が入った。
びくりとした。咄嗟に頭に原田が浮かぶ。
相手を確認しようとスマホを手に取り、その名前が―――「原田」と表示されているのを見て、俺はもう一度スマホをベッドに放った。
出たくない。
今こんな状態でまともにあいつと話せない。
そう思って着信が途切れるのを待とうとしたのに―――裏返ったスマホから振動が止まり、ほっとしかけた矢先、「もしもし?」とくぐもった声が聞こえた。
(えっ)
驚いてスマホを掴めば通話中になっていて、投げた拍子に誤作動でつながってしまったらしい。
「もしもし?清水?」
原田の声が聞こえる。
通話終了ボタンを押したい衝動にかられたが、自分の失態を呪いつつゆっくりスマホを耳に当てた。
「……もしもし」
「あっ、清水!悪い。仕事だった?ごめんな」
「いや……」
なるべく感情を波立てないようにしようとすると、必然と言葉はゆっくりになる。
原田の話は聞きたくない。かといって自分からなにか話すこともできなかった。
「メッセージで送ったんだけど、俺多田さんに告白したよ。多田さん……びっくりさせてしまったけど、伝えたいことは伝えた」
相づちを打つべきかもしれないが、俺はただ黙って話を聞いていた。
「清水に伝えとこうと思って」
メッセージですでに言っていたことを原田は繰り返し、今度は俺の反応を待つように黙った。
なんで電話がつながってしまったんだろ。
聞きたくない。
すでにわかっていることばかり原田は言うのに、通話を切ることもできず、俺はただそれを聞いている。
「……そう。あとは若菜が決めるんじゃねーの」
「うん、わかってる。なぁ清水」
「なに?」
「前に俺、聞いただろ。再会してふたりで飲んでた時―――俺が多田さんを好きって言った時、清水は多田さんをいいなとか、そういうふうに思ってる?って」
言われてあの時のことを思い出した。そしてふと、頭にこれから原田が言おうとしていることがよぎる。それは―――。
「清水がその時俺に言ったこと、今とじゃ、考え変わってないよな?」
原田の声は、なにか相談がある時に、いつも俺に電話して来る時の声だった。
だけどそれは表面上で、いつもよりゆっくりな口調も、すこし沈んだように聞こえる声も、俺を気にしていると―――「考えが変わっていない」という返事を求めているのがわかる。
気にしすぎだと言われたらそれまでのわずかな変化は、俺が若菜を好きで、原田も若菜が好きだからこそ感じてしまう。
再会して飲みに誘われたあの時も、原田に若菜を「いいな」と思ってるか聞かれた。
あの時も今も考えは変わってない。
あいつを「いいな」なんて思ってない。
若菜のこと、そんな曖昧でなんとなくの感情で片付けられない。
それなのに、自分の思いを表現できる言葉を持ち合わせていなくて、若菜と俺の関係をだれにも触れさせたくなくて、あんなふうに答えた。
……いや、それだけじゃないか。
原田がもう一度俺たちの前に現れて、原田と自分を比べて、自分があいつに勝っているところがないと、無意識に気にしていたのかもしれない。
若菜と俺の間に入ってきてほしくないのに、俺はきっと……自分に自信がなかった。
「清水?」
原田が問いの答えを促すように尋ねる。俺は聞かれている内容には触れず、別のことを口にした。
「俺、○○県に異動するんだ。二週間後に」
「……えっ!?」
「それ、若菜にも伝えた。急な異動辞令だったし、あいつショック受けてたけど、でも……お前があいつ支えてくれるんだよな?」
声が震えそうになり、俺は必死にこらえてふんばった。
「若菜と若菜の家と、おじさんのこと。原田が支える。そうだよな?」
お願いするというよりも、それが決定事項のように語気は強くなった。
そうでなければ、そうだと言ってくれなければ、俺は自分がどうにかなりそうだった。
原田は息を詰めたらしく、驚いていることも急な話に頭がついていっていないことも雰囲気で伝わってくる。小さな息を吐くのが耳に聞こえた。
「……うん。そうしたいと思ってる。俺が多田さんも多田さんの家も支えたい」
「……そう」
相づちは比較的すぐに打てた。
だけど原田からその答えを求めていたはずなのに、求めていた答えを淀みなく差し出されると、自分がいかに小さな人間なのか実感して、差し出された言葉で胸を締めつけられる。
「なら、いい」
なんとか声を絞った。
若菜のことを頼むとか、そういったことは言えなかった。言いたくもなかった。言えるわけもなかった。
「清水引っ越すんだ。びっくりした……」
呟くように言い、原田は口調を改めて言った。
「多田さんのこと支えるから。原田も異動先で頑張れよ」
それから原田と短い言葉を交わして通話を終えた。
思考はほとんど停止していた。もう一度ベッドに横になった時には、自分の体が鉛以上に重く感じ、指一本動かせなかった。
原田は俺が聞かれた問いに答えず、話をすり替えたとわかっていたんだろうか。
わかっていても、俺がいなくなるなら―――俺が原田に若菜の家を支えるのかと尋ねたなら、ライバルにならないと思ったんだろうか。
考えても本当のことはわからない。わからないけど、原田はこれで心置きなく若菜にアプローチするだろう。
原田に食事に誘われて、お礼がてら行くと言っていた若菜の言葉も頭をまわる。
苦しい。
だけど全部自分が仕向けたことだ。若菜には幸せになってほしい。
その幸せを与えられるやつが自分だったら、と思ったこともあったし、そうであればよかったと思ったけど、実際俺にはそういう器がないんだと、今になって打ちのめされた。
翌日は早番で出勤だった。
ランチの仕込みをしていると、バイトの水瀬が出勤してきて、カウンター越しから俺に言った。
「今日水曜日ですねー。あの幼なじみさん来ますかねー。最近あんまり見ないですよね」
水曜日に水瀬がこれを言うのはもはや口癖だ。俺は「そうか?」と薄い反応を返しながら手を動かし続ける。
「もう異動になるって話したんですか?あの幼なじみさんに」
「お前に関係ねーだろ」
「わ、そういう言い方新しい店舗で言っちゃダメですよ、早々に嫌われますから」
「お前にしか言ってねーよ、仕事しろ仕事」
水瀬は「はーい」とやる気のない返事をしてフロアへ出て行った。
時計を見れば11時を過ぎたところ。
水瀬の言う通り、若菜は前ほど食べに来なくなっていたが、今日は昨日のことがあったし、きっと来ないだろう。
そうは思っていても、仕事をしながらどこかで気にしていて、もし若菜が来たら、と、ランチタイムが終わる間際まで、手を動かしながらも意識の端で思っていた。
会ってどうするわけでもない。
でももし来たら、俺は理由も説明もつかないけど、すこしほっとする気がする。
だけどやっぱり予想通り、若菜は食べに来なかったし、次の日も、その次の日も、もちろん姿を見せなかった。