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【side:千景】
自分で言うのは何だが、俺は仕事が出来るタイプだ。
営業職だと仕事の付き合いで飲みに行くのはよくあることだし、今回は取引相手の希望で、隠れ家的なバーを探した。
その店へ入るのは初めてだったけど、口コミ評価も写真の雰囲気も良かったのでここに決めた。
地下への階段を降りて店のドアを開ける。
店内は写真通りに雰囲気の良い店内だった。
店に入ると、すでに一組の客がいて、その前にはバーテンダーが立っている。
────!?
(……何でここにいるんだ……本当に?どうして……)
仕事柄いつも笑顔でいることを意識しているけれど、一瞬で呆気に取られて呆然としてしまっていた。
「日渡さん入りましょう」
接待相手の言葉にハッとしたが、すぐに笑顔に戻す。
軽いパニックの中、促されて店内へ入った。
店のマスターにカウンター席へ案内されて座る。
(──別人?いや、見間違えるはずは無い……全然変わってない。)
──あいつは……東 都希だ。
仕事中にも関わらず、過去のツキが鮮明に思い出された。
──あいつは……兄貴の元恋人だ。
◇
昨日は接待だったので、すぐに店を後にした。
帰ってからもずっと頭から離れなかった。
間違いなくあいつだ。
──けれど、
「薄暗い店内で見間違えたのかもしれない」
と、改めて思った。
息苦しさを感じながらも、今日もあの店へ向かっていた……
店に入ると閉店間際だからか、客は誰もおらず、空いているカウンター席へ座った。
──そこへバーテンが来る気配がする。
そっと顔を上げると……
──俺の目の前に、都希が立っていた。
(──やっぱり……)
きっと、驚いた顔になっていたと思う。
でも……なんとか平静を装って話しかけた。
「昨日も来たんですけど、覚えてますか?」
「はい。」
「この店、とても雰囲気が良いので、帰ろうかとも思ったんだけど、入りたくなっちゃって。閉店前なのにすみません……」
(────俺とは……気付かないか……あれから何年も経ってるし……)
「まだ大丈夫です。ご注文は?」
「じゃあ、ウィスキーロックで」
この会話が精一杯で、実際に本人を目の前にして何を話したら良いのか分からなかった……。
酒を一杯だけ飲み、席を立った。
店を出てからもモヤモヤしている内に、まだ店の近くで立ち止まってしまっていた。
少しすると、店の方から声がして、ツキが階段を上がって来た。
不本意だったけど、反射的に隠れて様子を伺う感じになってしまった。
──ツキに近寄る長身の男が見えた。
その男は当たり前のようにツキの荷物を持つと、そのまま二人でどこかへ行ってしまった。
……仲が良さそうに見えた。
友達なのだろうか……
──それとも恋人?
やっぱり都希だった。
それだけははっきりと分かった。
──また行こう。
何が知りたいのかも分からず、まだ現実味のない頭で帰宅した。
◇
……数日経ち、今日も店の前に来た。
どうやらツキの勤務は固定では無いらしい。
ツキと再会した二日後に、再びバーへ行ったけど、その時にはツキが居なかった。
マスターが「今日は出勤している」と言っていたので、どうしても気になってしまった。
自然と、足が店の方へ向いてしまっていた──
──今日はいる……
店の入り口に手を掛け、少し躊躇う。
兄貴……あいつだよ。兄貴を苦しめた、あいつがここにいるよ……
都希と気付いてからも、この先はどうしたら良いのかなんて、やはり分からずにいた……
過去の記憶が鮮明に甦る……
──優しい都希の笑顔。
──幸せそうに笑い合う二人の姿。
──泣いていた兄貴の背中。
幼かった自分には全てを理解することは出来なかったし、兄貴にも聞けなかった。
兄貴が苦しそうに泣いていたあの日から……今の俺が都希に対して抱いている気持ちの大半は”大好きな兄を苦しめた相手”ということだった。
◇
──仕事なら緊張しないのに……
一瞬唇を噛み締めて、店のドアを開いた。
カウンターに座ると、ツキが目の前に立った。
「これから常連になるんで、名前を知りたいんですけど……俺は日渡千景です。この近くの会社で営業しています」
「……あ、はい」
「あの、あなたの名前は?何て呼んで良いんですか?教えて下さい!」
──全然、こっちを見ない……
「……ツキです」と渋々答えた。
「ツキさん。苗字は?」
「……すみません。フルネームはちょっと……」
「馴れ馴れしかったですよね!すみません。よかったら仲良くしてください」
精一杯の営業スマイルと、高めのテンションで無理矢理に会話を繋いでみた……
その日の営業後も、都希の様子を店から離れた場所で見ていた。
俺、何やってんだ……ストーカーかよ。
店から出て来た都希に、女が駆け寄って行った。
抱きついたと思った途端に頬にキスをしている……
──すると、少し困った様な顔で都希が笑っていた。
女と都希は、手を繋いでタクシーに乗り込むと、その場からいなくなった。
──!!
……無性に苛立った。
俺がこの日に知ったことは、やはり都希本人だったことと、あの頃には見たことの無い、都希の表情だけだった……
「──あの頃とは別人みたいだ……」
記憶の中の都希の笑顔を思い出しながら呟いた──