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カーテンの隙間から、暖かい日差しが差し込んだ。小鳥のさえずりで目が覚めると、寝相が悪い俺は、いつものように自分のベッドから落ちていた。なにか不思議な事が起きたような、変な感じだった。夢でも見たのだろうか。でも今日は、なんだか一段と気分が重い。今すぐ二度寝をしてしまいたい気持ちを抑えて、学校へ行った。
いつも通り、授業は黙々と。休み時間は端の席で音楽を聴いたりマンガを読んだり。同じことをして終わる、退屈な毎日。でも何か足りない気がする。こんな俺にも〝楽しい〟と思えるような事があった気がした。そんなことを考えていたら、ふと声をかけられた。藤田仁という人に。
「霞くん、化学の課題回収してもいいかな?」
〝霞〟とは俺の苗字だ。苗字で呼ばれることに何だか違和感を感じた。俺は課題プリントを差し出した。
「ありがとう」
見覚えのある顔と聞き覚えのある声だった。でも、周りと馴染めない俺に友達なんていない、ただの妄想だろうとすぐに正気を取り戻した。
そんな自分に呆れて顔をあげた時、視界に入ってきたのは、いつも輪の中心にいる〝芙蓉悠斗〟だった。俺は頭の底にあった記憶が少し蘇った。
――俺は、悠斗と仁でよく過ごしていた。細かいことまでは思い出せない。なぜだろうと考えた時、昨日の夜、銀髪の少女に出会った事を思い出した。そこで、記憶を消した……?
でもなんで、なんのために消したのだろう。そこまではどうしても思い出せなかった。
下校時のチャイムがなり、校門を出た。外はジメジメしていて、空気が重たく感じた。今日は一人で帰る。悠斗や仁も俺のように記憶を消されたなら、今は別に友達としては見ていないだろう。無理やり三人で帰る必要はない。いや、でも俺が少し思い出せたのなら、あいつらも、もしかしたら……。そうかもしれないと思うほど嬉しいという気持ちが湧いてきた。
いろんなことを考えているうちに、大通りにでた。一部の建物が壊れていて、大勢の作業員が工事をしていた。そのとたん、心臓がえぐられるような不快感と、恐怖が襲った。ドクンドクンと心臓の鼓動が強くなる。記憶がフラッシュバックした。
そうか、昨日、悠斗は死んだ。トラックにひかれて。だから俺は、三人で過ごした記憶を消す代わりに悠斗を生き返らせるよう、少女に頼んだ。
考えていたことが解決してスッキリした。思い出はなくなっても、みんな生きている。俺は心の底からホッとした。
次の日、記憶をなんとなく取り戻した俺は、仁が一人で座っているのを見て、つい、前のように呼び捨てとタメ口で話しかけてしまった。仁はそんな俺に驚いたような様子だった。それに敬語のまま。記憶を消す前のような軽いノリはなかった。仁も記憶を取り戻したかもという淡い期待はその時に消えていった。
そのことに悔しくなったのか、俺は悠斗にも話しかけてみた。仁と同じ反応だった。驚きつつも、微笑みを見せた。だけど、太陽のような笑みを浮かべる悠斗は、もうそこにはいなかった。
翌日も重い身体を起こして学校へ行った。俺が急に悠斗や仁に話しかけたせいか、いじめがよりひどくなった。なので席の端でひっそり一人で過ごす余裕もなくなってしまった。いじめは小さい頃からされてたものなので、慣れているし耐性は強い方だ。だけど、わずか一週間程で、限界が来てしまった。
ボロボロのリュックを背負い、ゴミ箱に一度捨てられた汚れだらけの靴を履いて、ヨロヨロと下校していた。真夜中になり、親たちが寝た時。俺は家の玄関を出て、山にある少し高い公園の展望台へ向かった。高いところから見る街はとても眩しくきらびやかだった。俺だけポツンといる展望台は薄暗く、別世界のようだった。手すりに足をかけて身体を持ち上げ、柵の上に立った。
「諦めるんですか?」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。紫色に輝く光を操る、あの少女だった。
「諦めるって、何を⋯⋯」
「人生を。二人の記憶がなくなっても、また思い出を作ればいいのではないのですか?」
「話しかけても、記憶を消す前の太陽のような二人の笑顔はもう見れない。それに、やっと気付いたんだ。悠斗が死んだのはもともと俺のせいだって。俺が思い出を作ろうと誘ってなければ、少しでも時間がズレていたら、こんなことにはならなかったはずなのに。俺が悠斗を殺したんだ。俺は罰されて当然の人間なんだ。後⋯⋯これは俺のエゴだけど、もう楽になりたいんだ」
「――蒼汰クン、私が言った選択肢のこと覚えてますか?〝自分が死ぬ代わりに、三人との記憶を持ったまま悠斗クンと仁クンは生きていられる〟」
「⋯⋯確かにそんなのあったな。それに変えたい」
「できなくもないですけど、本当にそれがお望みですか?もうさすがに後戻りはできませんよ」
――こんな人間が幸せなんて望んではいけない。俺の身を捧げて、二人が記憶を取り戻しても、きっと時が立つにつれ思い出なんてすぐに忘れられてしまう。だから優しい二人は俺の命のほうが大切と考えるかもしれない。でも、俺たちが過ごした時間をふと思い出した時、笑ってくれたらそれでいい。二人だけでも幸せになってほしい。
「そうしたい。お願い、します」
「――わかりました、キミがそうしたいと言うなら。ですがワタクシ自らの手で他人の命を奪うことはできないので、ここから落ちてください。そうすれば二人に記憶を戻すことが可能となります」
「はい。頼みます」
俺は柵を踏み、まばゆい街に飛び込んだ。恐怖はない。ただ静かに目を閉じた――。
真夏の太陽が街を強く照らす。日照りで枯れる花もあれば、生き生きと咲く花もあった。
「おはよ!ってあれ、蒼汰は?寝坊でもしたんかな。あいつ朝苦手だし」
「悠斗君おはよう。僕も最初そう思ったんだけど、連絡しても既読がつかないし、電話もだめだった。なにかあったのかも」
「え、そうだったのか。心配だし、今日蒼汰んち行ってみようぜ」
「そうだね。何もなければいいけど」
ガラッと教室の扉が開いた。担任の先生の表情が曇っていた。クラスメイトは慌てて席に着く。
「えー、今日はとても悲しい話があります。よく聞いてください――」
先生の口から出たことは驚くべきことだった。信じられなかったし、信じたくなかった。
放課後、悠斗と仁は蒼汰の家に訪ねた。インターフォンを鳴らして出てきたのは、目の下にクマと涙の跡がついた蒼汰の母だった。
「ゆ、悠斗君と仁君?どうしたの?」
「そ、その、蒼汰って、本当にもうこの世にはいないんですか⋯⋯?」
「き、今日学校でお話があったんです」
「――そうなのね。私も最初はそんなこと信じられなかった。だけど少しずつ理性を取り戻していったときに、これが現実なんだってやっと気づいたの」
空気がシンとしてしまった。言葉が出なかった。
「⋯⋯まぁ、立ち話も良くないし、上がって上がって。座ってゆっくり話しましょう」
俺と仁は昨日あったことを蒼汰の母から詳しく聞いた。おそらく自殺だと。楽しくなかったのかな、俺たちが嫌だったのかな、などと思い悩んでしまった。でも蒼汰の母は「毎日、蒼汰が楽しそうに悠斗と仁の話をしていた。動機はわからない」と言っていた。話を聞いているうちに、涙が出てきた。仁も泣いていた。
蒼汰が自殺をした理由は、〝三人で過ごした時間の記憶がない世界〟での、酷いいじめに耐えられなくなったから。もう一つは、悠斗と仁が記憶を取り戻して、花が咲いたような笑顔で笑っていてほしいから。それに、悠斗が死んだのは自分のせいだと、自分に責任を感じたのもある。
三人で楽しく過ごした時間の記憶を取り戻した悠斗と仁には、このことを知る由もなかった。