「ねえほし? アタシ達だけで外に出てみない?」
ある日の事――シロがそんな馬鹿な事を提案した。
現在屯所内には女神他、カロンを除く全員が出ており、カロンのみが酒を呑みながら、独り言の真っ最中だった。
ぶつぶつと一人でかなり痛い。オレは極力、こいつには近寄らないようにしているのは言う迄もなかろう。
カロンから離れた位置にある縁側の戸は、猫一匹出られる程度に開いている。つまり何時でも『行ってらっしゃい』の合図が如く。好奇心旺盛な年頃のシロが、禁じられた誘惑に興味を示すのも無理はなかった。
だがオレはその提案に難色を示す。
「止めとけ……。バレたら切腹ものだぞ」
そう、局中法度により脱走は重罪。
「何よ切腹って? アンタ時代劇の見過ぎ……」
シロの馬鹿にしたような言い方が癇に障った。
見過ぎとは何だ見過ぎとは?
テレビはこの閉鎖された世界での、貴重な情報収集源。
オレはそこいらの飼い慣らされた、ぬるま湯にどっぷり頭まで浸かった猫とは、一味も二味も違う。
常にあらゆる情報を吸収し、不慮の事態に備えて邁進せねばならない。
「まあとにかくだ! 勝手に出るのは止めとけ。女神もきつく言ってただろう?」
オレは反論を堪えた。
つまりはそれに全てが集約。勝手な事をして、女神を困らせたくはなかったのだ。
だがシロは引き下がらない。
「それは分かってるけど……外を走り回ってみたいと思うでしょ?」
確かにな。シロの言っている事は、一応の一理は有る。
オレ等猫のみならず、全ての生体は地に足をつけねばならない。
大地の恵みは全ての生物の源なのだ。
「でもやっぱり駄目だろ? 女神が悲しんだり、怒られたらどうするんだ?」
いけない事程やりたくなるのは猫の性。オレとてそうだが、ここは理性で引き止める。
欲望の赴くまま行動するのは、猫も人間も間抜けのする事だ。
「御主人様が帰ってくる、ちょっとの間だけよ。アンタが行かないなら、アタシだけでも行ってくるから」
「あっ……ちょっと待て!」
尤もらしい言い訳を残し、シロが縁側の隙間から外へ飛び出た瞬間、反射的にオレも後を追う。
全く……雌は猫も人間も、本能でしか動かないから始末に負えない。
これは緊急避難だからな? 法度を破った訳ではないのだから、そこは勘違いしないで貰いたい。
それに――オレもやはり興味があったんだよ外に。
頭では理性が分かっていても、それは体のいい言い訳に過ぎなかったのだ。
************
そこは見渡す限りの壮大な大自然。四方八方が山々に囲まれている。
外には何度も出ているが、オレ達二匹だけの目からは、また違った世界に見える不思議。
改めて思う。此所はとんでもない田舎だなと。その中でも此所は末端に位置するだろうと。
ビル郡が建ち並ぶ世の中に於いて、此所は正に現代の秘境だが、決して悪い所ではない。
全ての生きとし生ける者は、自然と共に生きるべきなのだ。
昔はそうだったろ?
自然の恵みを食み、自然の土に還るのが摂理。
世の中が時代と共に移り変わり、科学が発達した代わりに、遺憾ながら大切なものまで失っていった気がする。人も猫も全てがな……。
だがそれは決して悪い事ではないのだ。
“生物は常に進化を繰り返す”
進化を止めた者等、何の意味も持たない。
「ほし~、もうちょっと遠くまで行ってみようよ」
――そうだった。オレは一応は形上、シロを止める為に追い掛けて来たのだった。
オレの崇高なる哲学モードの間隙を縫って、シロは何時の間にか庭範囲内から遠ざかっていた。
「馬鹿! それ以上行くな!」
オレはすぐにシロの後を追う。これは不可抗力だからな?
これだけの大自然の迷路の前では、シロはおろかオレまで迷子になりかねない。
「わぁ~」
「おぉ……」
オレは今、感動に震えている。
初めて出た敷地外。アスファルトの道の両脇に、ぎっしり占められた田園調布、と言えば聞こえが良いが済まん、只の田圃だ。
だがそんな近未来と過去が交錯した、そんな光景が不思議と絵になったのだ。
この屯所は山に続くふもとに所在しており、その高低差で眼下を見渡せる。
田圃に連なる点々とした家々。所々に在る古びた電信柱から聴こえるカラスの鳴き声は、そろそろ逢魔ケ刻の訪れを告げるのも相まって、何処か昭和時代にでもタイムスリップしたのかと錯覚してしまう。
古き良き時代とはこの事だ。……平成だがな。
「綺麗ね……」
「ああ……」
オレ達は法度も忘れて、その光景に暫し魅入られていた。
澄み渡る青空の雲が、夕日に染まる茜雲に変わるのは、そろそろ女神御帰還の合図でもある。
「……戻ろうか?」
証拠隠滅とアリバイは、確保せねばならない。名残惜しいが、オレはシロに帰還を促した。
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